オビ コラム

先知して計略を練る

◆文:筒井潔(合同会社創光技術事務所 所長)

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「先知して計略を練る」という戦い方について、孫子の中では、何箇所かにこのことが書かれています。

 

(A)故に明君賢将の動きて人に勝ち、功を成すこと衆に出ずる所以の者は、先ず知ればなり。先ず知るは、鬼神に取る可からず、事に象(かたど)る可からず、度に験(ため)す可からず。必ず人に取りて敵の情を知る者なり。(用間編第十三)
(B)是の故に、諸侯の謀を知らざる者は、預め交わる能わず。山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行る能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得る能わず。四五の者、一を知らざるは覇王の兵に非るなり。(九地編第十一)

 

(A)は要するに、用間(スパイ)を使って敵情を知れということです。つまり、一対一の闘いにおいて敵を知れということです。聡明な君主、賢い将軍がアクションを起こして敵を破り功をなすことができるのは、先に敵情を知ることによってである。先に知るというのは、祈り占いのような鬼神的な方法でもなく、自然の法則でもなく、経験によるものでもなく、必ず人を介して敵の実情を知ることである。

(B)は相手のことのみならず、もう少し広く、たとえば自分を取り巻く人々、地形などについても情報収集をせよということが説かれています。諸侯たちの腹のうちを知らなければ同盟も組めないし、山林、険しい地、沼沢地など地形を知らなければ、軍隊を進めないし、現地ガイドを使えなければ、地の利を得ることができない。これらの一つでも知らないものは覇王の軍ではない、ということです。

 

まず、(A)に書かれているようなスパイに関してですが、産業スパイ、政治的なスパイの両方について日本はスパイ天国だと言われています。もし、本当に最先端技術を所有していると思っている企業で経営コンサルタントを雇うことを考えているなら、産業スパイについての見解を聞いてみると良いかも知れません。

また、研究者の方々の中には、外国の企業から自身の研究成果について問い合わせが来て、「誠実に」対応してしまう方も居られるかも知れません。

そのようなときは、是非、リサーチアドミニストレータか外部のコンサルタントに相談することをお勧めします。具体的な事例をここで紹介することは出来ませんが、日本が産業スパイ天国と言われていることは知っていて良いと思います。

 

産業スパイに関連する話しをしますと、日本企業の知財に対するコンプライアンスは決定的に遅れていると思います。

たとえば、特許には「冒認」という概念があります。盗んだ技術についてあたかも自分で発明したかのように特許出願をしてしまうことを「冒認出願」と呼びます。統計的な数字は表に出ていないと思いますが、残念ながら日本企業が別の日本企業から技術情報を盗んで特許出願をする冒認出願は多いと思います。

特許の冒認出願に関しては、盗む方も盗まれる方も落ち度があります。多くの場合、大企業が中小企業の技術を盗むわけですが(逆は、私自身はあまり知らない)、盗む方の大企業についてはビジネスマンのモラルが、盗まれる方の中小企業については知的財産管理に甘いところがあります。

私は日本のビジネス界の問題点は、中小企業がなかなか大企業になれないことだと考えていますが、もし中小企業が大企業になりたければ、中小企業のうちから知財管理はしっかりやった方が良いと思います。いずれにせよ、今の日本のように、国内企業同士で技術の盗み合いをしている事態は尋常ではないと思います。

 

国際的な産業スパイに関しても日本企業は非常に甘い。日本人自身が積極的に外国企業のスパイ役を演じることもかつてありましたし、現在でもあると思います。美人局(つつもたせ)、いわゆるハニートラップに対しても、日本人男性は弱いと思います。

また、政治的なスパイ、特に国際政治の舞台で活動するスパイに関しては、各自お調べ頂きたいとしか言いようがありません。調べられない方は無理をなさらない方が良いと思います。

(B)に書いてあるように、相手のことのみならず、もう少し広く、たとえば自分を取り巻く人々、地形などについても情報収集をせよ、ということですが、まさに「インテリジェンス」と呼ばれる分野です。

未来の予測法に幾つか方法があります。国際情勢は、各国の地理的な条件に大きく左右されるという地政学を使った予測や、スパイを使って未公開情報を取得するという方法もあります。

私は経済学者の森嶋通夫の予測法が面白いと思っています。森嶋通夫は、かつては「ノーベル経済学賞に最も近い学者」と言われた経済学者ですが、彼自身が交響楽的社会科学と呼んだ、経済学のみならず、社会学、教育学、歴史学などを取り混ぜた社会科学領域での一種の学際的総合研究分野を提唱しました。

森嶋は「なぜ日本は没落するか」(岩波書店)の中で、彼の予測法を開示しています。彼の予測法は1999年に2050年の日本を予測するというもので、一見すると(B)のステートメントとは若干異なり、相手のことではないのですが、論語にも

 

子曰く、人の己れを知らざるを患えず、己れを知らざるを患う。(学而第一)

 

とありますように、「人が己れを知ってくれようがくれまいが問題ではない、そもそも己れが己れを知らないことの方が問題だ」(安岡正篤「論語の活学」(プレジデント社))というのも真だと私は思います。また、自分自身を知る方法は、相手を知る方法でもあるからです。

森嶋はまず、人間が社会の土台であるとします。そして、将来の社会を予測する場合、社会の土台である人間がどのように量的、質的に変化するかを考えるのです。その土台の上の上部構造として経済や政治を考えましょう、という方法です。

 

その土台である人間の部分で何に着目するかというと、まずは量的な面として人口分布です。質的な面をどう評価するかというと、それは教育の成果として森嶋は評価します。デュルケームの規定を引用して、「成人ないし社会人教育ではなく、青少年に対する教育とは、青少年が大人の社会に参入するのを円滑にする」という目的で行われることであるとします。

大人の社会と子供の社会が登場しますが、森嶋の論点は、日本では大人社会と子供社会が分裂しており、そのコネクションに膨大は無駄とコストが存在しているということです。大人社会とは、集団主義、学歴主義、縁故主義、集団差別主義などのキーワードで特徴付けられ、子供社会は、戦後教育の影響で、自由主義、個人主義などのキーワードで特徴付けられるものです。ちなにみ、戦前教育は全体主義的、国家主義的であり、戦後教育は自由主義的、個人主義的ということです。

 

より具体的に、人間の質的な部分とは何か、というと、その一つは精神的な面です。戦前の儒教精神に対して、戦後は欧米的な価値観が教育されたことは日本人の精神の荒廃をもたらしているということです。パレートの社会理論を適用して、日本の将来を予測します。パレートは人間の性格は6つの基本要素のうち、どれを強く持っているかによって分類されるとしました。その6つの基本要素とは次の6つです。

 

(1)新しい組み合わせを見付けだそうとする意欲
(2)個人より全体を優先させようとする性向
(3)自分の感情を行動で外に向かって表現したがる傾向
(4)社交性の傾向
(5)自分の身と財産を保全しようとする傾向
(6)種の保存欲

 

これらのうち、(1)はシュンペーターがイノベーションと呼んだものです。これらの6つの基本要素のうちの一つまたは複数の要素の強弱の組み合わせによって、人間は8つのタイプに分類されるというのが森嶋の主張です。たとえば、(1)と(2)が強い人は政治家に分類されるでしょう。

ここで政治家を出したのは、歴史を振り返ってみると、日本では政治と経済のどちらが先に没落するか、というと政治が先であることが多いからです。つまり没落と貧困が必ず同時に起こるかと言うと、そうでもないということです。たとえば、明治維新を見ても、徳川体制は行き詰っていても、経済的に国民全体が貧困に苦しめられていたわけではありません。

このような人間という土台の上で、経済、金融、産業、教育の各分野について考察をするというのが森嶋の方法です。結論だけ言えば、森嶋は日本は没落すると予想します。

 

森嶋の予測法とは離れても、戦後の日本は、政官財の「鉄の三角形」が回転していたからであり、では、その「鉄の三角形」はなぜ上手く回ったかのかを考えると、それは軍事と外交をアメリカ任せにして、「鉄の三角形」で経済成長だけを目指し、特に国内需要の創出に注力してきたからにほかなりません。先日、福井俊彦・元日銀総裁の話しを聞く機会があり、そこで福井氏も主張していましたが、戦後日本経済を引っ張ってきた「鉄の三角形」が機能しなくなっており、これからは、「鉄」ではなく、もっと柔らかい三角形にしないといけない、と。

森嶋は日本の没落への対応策として「東北アジア共同体」案を提案します。森嶋の「東北アジア共同体」は、EUのような「市場共同体」ではなく「建設共同体」として構想されていますが、それはあたかも日本が戦後に成長してきたスキームを東北アジアで再展開しようというプランにも見えます。

私は、新潟県長岡市の民間地域シンクタンクがまとめた「消滅してたまるか!品格ある革新的持続へ」(文藝春秋企画出版、2015年4月刊)の中の「地球規模で考える安心安全エネルギーの確保と課題解決の方法」という論文中で、2050年の日本の一地域の姿として次のように書きました。森嶋の「共同体」構想とは逆の方向に世の中は動くという論文ですが、その一節だけ引用します。

ICTによって引き起こされた第2次産業革命は、人間らしい生活への回帰をもたらした。第1次産業革命が生み出した資本主義経済下では、人や組織は同質性と機械化が重視され、皆が同じように、機械の如く効率よく事を処理する役割を担うことを期待されていた。同質性と機械化は、全体としての成長の要因だったのかも知れないが、一方ではリスク分散を妨げ、不安定性の要因でもあった。

第2次産業革命は、それらへの反動として引き起こされた。つまり、第2次産業革命後の社会において重視されるのは「人間らしさ」である。類似の「人間らしさ」を求める人々が社会を作り、独立したコミュニティを自己運営している。このコミュニティは、集権主義的な国家運営がなされていた時代では、その国の地方と呼ばれていた。

集権主義的な国家体制が世界中で雪崩を打ったように崩壊を始めたのは、福沢諭吉の生誕200年である2035年頃であり、同時に福沢の「分権論」的な社会が広く受容されるようになった。行きすぎた資本主義が集権主義的な国家体制の維持を難しくした。体制の変化の最後のハードルがエネルギー問題であった。政治的権力はエネルギーの供給体制と密に関わっていた。

森嶋が見落としていたのは、「革命」という言葉が、「循環する周期運動」を意味することかも知れません。つまり、歴史を振り返れば、必ず揺れ戻しがあるのです。

 

※上記の見解は、事務所、会社としての見解というより、所長である私個人の見解であることは先に断っておきます。所内にもいろいろな意見があります。

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筒井

筒井潔(つつい・きよし)…経営&公共政策コンサルタント。慶應義塾大学理工学研究科電気工学専攻博士課程修了。外資系テスターメーカー、ベンチャー企業を経て、経営コンサル業界と知財業界に入る。また、財団法人技術顧問、財団法人評議員、一般社団法人監事、一般社団法人理事などを務める。日本物理学会、ビジネスモデル学会等で発表歴あり。大学の研究成果の事業化のアドバイザとしてリサーチアドミニストレータの職も経験。共訳書に「電子液体:電子強相関系の物理とその応用」(シュプリンガー東京)がある。

〒150-0046 東京都渋谷区松濤1-28-8 ロハス松濤2F

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2015年6月号の記事より
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