オビ コラム

イマドキのビジネスはだいたいそんな感じだ! その11 

なぜマルちゃんはメキシコで国民食になり得たのか?

◆文:佐藤さとる(本誌編集長)

 

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日清のカップヌードルと言えば、言わずと知れた「世界食」である。

世界80カ国で年に300億食を販売しているという。その日清のカップヌードルが勝てない国があるという。あのアギーレ監督の母国、メキシコだ。じゃあ日清はメキシコのどこに負けているか─MARU CHANだ。そう、地場のコングロマリット……ではない。

『赤いきつね』とか『緑のたぬき』なんかが知られているマルちゃんこと、東洋水産である。

メキシコで「マルちゃん」と言えば、そういう命名のカップ麺を指す。メキシコ人は、マルちゃんにチリソースをかけて真っ赤っかにして食べたり、ちょい辛のサルサなどを振って食べる。さっさとね。

その人気はすさまじく、「マルちゃんする」と動詞化されているほどだ。「マルちゃんする」は、「一緒にランチする? マルちゃんで」ではなく、「素早くさっさと終わる」という意味で使われる。用例としては「会議がマルちゃんして助かったよ」とかサッカーで素早いカウンターを「マルちゃん作戦」などと呼ぶ場合もあるらしい(嘘っぽいけど本当だ)。

 

なぜメキシコでマルちゃんが国民食たり得たのか?

マルちゃんは、最初アメリカでそこそこ話題になった。味もそこそこ、いろいろトッピングもできたりした。何より安い。それを出稼ぎに来ていたメキシコ人が家族の土産に大量に買い込む例が増えていった。いわば、報酬なしの試食会が勝手に大々的に行われたのだ。

そうこうしているうちに出稼ぎ土産はマルちゃん→メキシコの家庭でもマルちゃん→別に出稼ぎしなくても買えるマルちゃん→スーパーで買いこんで、自分でトッピングができるマルちゃん→マイマルちゃんとなって、国民食マルちゃんとなった。もちろんマルちゃんが、日本メーカー製カップ麺であることなど知らない。

 

問題はこれを特殊な例とするか、ありうるマーケティングとするか、だ。メキシコのマルちゃんは確かに特殊だ。しかしモノが売れるということは、常に生産者の予測を超えたファクターが潜んでいる。それはその場に立ち、暮らして初めてわかることなのである。

たとえば冷蔵庫。日本の家電はすごい。省エネや鮮度保持機能など性能はピカイチだ。それでも欧州では苦戦をする。パナソニックの齋藤さんという人によれば、「日本やアジアの人間は、冷蔵庫を家電だと思っていますが、ヨーロッパでは『冷えるキャビネット』という見方をしている」という。つまりインテリアの一部なのだ。昔から冷蔵庫は扉が2枚なのだそう。我々が目にする5つドア、6つドアといったマルチ収納型は、冷蔵庫とみなされないのだという。

 

じゃあ洗濯機もインテリアか、というとそれは違うという。

「機能性が重視されておばあちゃんの時代からの信頼性がモノをいう」らしい。パナソニックは「だったら」ということで、ななめドラムの最新鋭で挑んだらしいが、惨敗した。サイズがでかすぎて、キッチンカウンター下のスペースに収まらない。洗濯機は昔から標準とされるサイズが暗黙のうちに決まっていて、それを逸脱しては『洗濯機』と認められていないらしい。

 

こうしたことは何も欧州だけではない。

インドでは冷蔵庫は金庫でもある。つまり鍵がないと売れない。まもなく人口世界一となるインドはドメスティックメーカーに日本、韓国、中国、欧州勢入り混じっての家電群雄割拠時代を迎えている。そこで最初に頭一つ抜け出たのは韓国勢だった。日本勢が例によって機能や形を訴求したが、韓国のLGは、ごっつい出で立ちに鍵をつけたら大ヒットした。

冷蔵庫を買えるインド人はそこそこリッチな層。こういう家庭にはお手伝いさんがいるのだが、彼女たちは、割と自己中だったりするので、勝手にいろいろなものを私物化する。そんなお手伝いさん対策として登場したのが、この鍵つき冷蔵庫だった。

 

当たり前だがどんなに機能や性能が優れていても、受け入れられるかは、その地域の価値判断次第だ。

「こっちが便利じゃん。使えば分かるじゃん」と訴えても懇願しても、響かないものは響かない。よく日本の市場をガラパゴスと呼んだりして自嘲気味に語るケースがあるが、市場はそもそもガラパゴスだと思ってかかったほうがいい。逆にとんでもない進化を遂げるかもしれない。

イマドキのビジネスはだいたいそんな感じだ。

オビ コラム

 

2015年2月号の記事より
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