ベトナムに移住した不動産会社社長の日本語教師のひとりごと(1)- 日本アーバネットシステム株式会社 斉藤泉
日本アーバネットシステム株式会社代表取締役 斉藤泉
日本大学文理学部卒、大手ゼネコン勤務を経て、日本アーバネットシステム株式会社を設立、代表取締役に就任。「安らぎの場を、金融商品として住まいに関する夢の実現をトータルサポート」を旗印に、不動産関連事業に従事しセンチュリー21・ジャパン東京地域副会長等を歴任。還暦を機会に、日本語教師になるべく拓殖大学日本語教育研究所に入学。卒業後、ベトナムラジオ放送局・EMICOグループの日本語学校に就職し、2019年11月にベトナムに移住。
きっかけは些細なこと
ベトナム紀行を書くことにした。
「なんでベトナムに居るんですか?」と、よく聞かれます、私自身も「なんでベトナムに居るんだろう」、そう思うこの頃です。
この話は三年前(2016年)に、私がベトナムの首都ハノイにマンションを購入することから始まりました。ベトナム人の友達とベトナムに来たのが間違えでした。来た途端、マンショの購入の案内ばっかりです。こちらは人材派遣をしたかったんですがやはりそんなことは聞いてくれません。ただただ、目の前の仲介手数料を稼ぎたく執拗に私に食い入るのでした。当時、ベトナムはバブル。日本も安部ちゃんバブルですが住宅の建築は凄い勢いで始まっておりました。ホーチミンは、特に2区3区の開発はすさまじい勢いで、街全体に活気が溢れ、民衆達の気分も完全にバブル気分でした。私も日本でバブルを経験したのでよく分ります。みんなが土地の売買に走ったのです。日本の東京オリンピックは1967年ですね、懐かしい。私が小学校5年生か6年生の時の話です。それはともかく、いまやセミリタイヤした私としてはマンション購入を勧められて、その時は「必然か?」と思ったものです。ベトナムの友人は良いことばかり言うので半分その気になりました。それからが私とベトナムの物語の始まりでした。
突然ですが、私のそのベトナム人の友達はグエンさんと言います。その「グエン」ですが、6割のベトナム人がグエンを名乗っております。なぜだか分かりませんがそうなんです。分りましたら皆さんに報告いたします。
上がった。何が「上がった」のか、マンション価格のことです。ほんとかよ?バブルか?そんなことも思っておりましたが、実際には、何が何だかわからずにいました。グエンの手数料が上がったのです。そうやって私は簡単にだまされます。騙されやすいんですね、私。私自身、困りものです。その後ハノイのマンションができるまで3ヶ月に一回は支払いにハノイに足を向けていました。日本からは送金ができないのです。そうです、ドンを銀行が扱ってくれないのです。少し多めに振り込んでも送金手続き中に為替が変わってしまって、思い通りの額が振り込めない。困ったものです。なんだかんだ言っている内に行く方が早くなり送金のたびに行くようになりました。それこそがこの旅の始まりでした。
月日が経ち、2019年春には、2019年の11月にはハノイに行こう、そう心に決めておりました。何故って、日本ではセミリタイヤした私に良い仕事なんかないし、このまま年を取って終わるのもなんか虚しい、大冒険の始まりを告げるゴングが鳴りました、私の頭の中でガンガンとね。
ベトナムの舞台はEMICO
EMICOは、ベトナム放送局が支配している公立大学、第一建設短期大学内にある国際人材センターです。このEMICOもラジオ放送局も第一建設短期大学を経営する一族が経営しております。大学と人材センターの両方を経営しています、ベトナムでは5カ所が公設の機関です。2019年6月に初めてこの国際人材センターに訪れた時、ここで日本語を学ぶ学生数は800人ぐらいでしたが、2019年10月に来たときは1200人ぐらいに膨れ上がってておりました。凄いです。人間は沢山います、若いのが沢山います。
この若い人たちが明日の日本を作る労働者になりたくて日本語を勉強しています。日本では年収700万円から800万円クラスの中年をリストラして、ベトナム人を3人雇った方が良い企業は沢山あります。もう中間管理職が業務で行う判断はAIがやれば良いのですから、中堅の人間はいりません。日本は、ベトナムとは別の意味で凄い国だと思いました。
そして、心の準備期間と言い聞かせながら半年が経過しました。月日が経ち、いろんな思いが体と頭をよぎります。初めての海外生活で言葉も分らず頼りはポケトークのみです。自分でも、「凄い」としか表現がありません。時間が押し迫ってきますとやることが沢山あるものです。日本語学校の教師には、終わりがないような仕事ばかりです。私は日本では不動産会社の社長でした。ここ1、2年、もう新しい仕事はしてませんでしたが、日本で仕事が無い寂しさを思えば、ここベトナムで新しい海外生活にトライしている方が良いような気持ちになります 。そうこうしてるうちに毎日、沢山のやり残しがあり、沢山の後ろ髪を引かれる思いをしながらも、日々は淡々と過ぎてゆきました。
ベトナムで人間らしく生きることを再発見した
私にとって2019年は吐き出しの年になりました、1月12日には父が亡くなり、最後に11月27日の愛犬の斉藤六が逝きました。寂しいですが、私はハノイで新しい人生を始めており、次の日からはバイクで通い、寂しさを紛れさせようとしております。ここでのバイク通勤も大分、慣れてきました。、あれだけのバイクが走るとバイクも騒音です爆音と言っても良い感じがいたします、凄いです。ルールはないし、早いもの勝ち、信号は無視走った者が勝つルールです。
まるで日本の50年前の暴走族と同じです。もちろん警察も交通警察もいますがお構いなしに走ります。流れに乗らないと弾かれます。まるでどっかの蟻さんの群れの戦いです。生存競争というのはこういうところから始まります。みんなも一度は走ってみれば分ります。全てが勘、生きるも死ぬも勘の世界です。勘の鋭さが生存競争の勝利への鍵です。彼らの命の値段は300万円だそうです。法律で決まっているのです。
男も女も差異はなく同じです。私のバイクは全部で25万円位でした、もちろん、こちらで免許の更新はしていません。全くの無免許で、パスポートと日本の免許それと50万ドン(2500円)これがあれば良いです。どうせ我々は日本人というだけで50万ドン取られます。現地人は20万ドン、差額の30万ドンは外人税です。仕方ありません。毎日朝夕方の帰宅まで2回行います。皆さんも試してみれば良いと思います、腕に自信があれば面白いです。
この国で生きていくと言うことは凄いです。毎日ビックリすることの連続です。ここで目立つのはネズミの多さです。多いですよそこら中にいます。犬猫は肉として食べてしまいますから、必然的にネズミが増えます。道でバイクに引かれるのはネズミです。又、こちらのネズミは大きいですから何でも食べます。教室にもネズミは沢山居ます。映画の世界です。本当に電線の上を走って行きます。ベトナムの電線は、日本の昔の単線2本で配線してます。私が勤務する学校のビルは、建築されてから20年ほど経っていますが、そのボロさは、日本の感覚では築後50年のビルです。私は不動産屋ですから分かります。本当は約2000年築です。つまり、20年前のベトナムは、築20年でボロボロになってしまうビルしか作れませんでした。それから20年あまりで、40階建てのビルを作れるようになりました。素晴らしい進歩です。韓国勢ですかね、教えたのは。多少曲がっても建っているから凄いです。日本の感覚だと、これで完了検査が通ることにびっくり仰天です。多分、完了検査なんてないのでしょう。
ここベトナムの人たちは本当に人間らしく生きていると思います。本当に生きるということを知るには勉強になります。ベトナムに来る前に日本でワクチン種を打ちに医者の処に行きました。そこの先生は山の方は危ないですよ、テング熱には気をつけてと言ってましたが、ここベトナムでは山に行かなくてもテング熱には出会います。勤務先の学校では職員室で私の前席の女の先生が最近見ないな、そう思って同僚の先生に聞いてみると、彼女は血がおいしいと言い、何だ?又別の先生は朝蚊に刺さされた、熱が出てきたのでから帰ります、と言う。なんだなんだ、日本では恐れられているテング熱です。熱は38度前後に達し、酷い人で1週間軽い人で2日は寝たまま動けないそうです。病院に入院すると点滴を2日から3日行いようです。この国では蚊も結核も、せいぜい風邪みたいなものです。山なんか行かなくても普通にハノイの街中に全部あります。あれだけ鼠が居るのにペストが無いのが不思議です。
日本の昭和の生活がベトナムにある
ハノイの現在の生活を再現するのを忘れました、電気料金は実感からすると日本の半分、ガソリンは約100円、ガスはありません。水道、お湯は半額くらいか?ホテルのスパは格安で500円位、マッサージが1000円から1500円位です。日本のラーメンは600円から900円。パンもそうです、あんパンが100円、クリームパン100円で、日本人が経営する店の料金は日本と同じです。しかし日本のスーパーマーケットでは安いパンなら85円で買えますから、やはり日本の方がちょっと安い。フィットネスが1年6万円、6ヶ月4万円スパがない、日本のフィットネスクラブはスパがあります、値段は日本と変わりません。
ここではクリーニング屋があっちこっちにないので、アイロンとアイロン台は必需品です。洗濯してアイロンを掛けて、と得ます、こちらの生活は手間暇がかかります。そんな生活の中で生徒が頭が痛い、熱がある、風邪引いた、モノマライ程度では病院には行きません。薬のみで治します。モノモライはたまげます、隣の子が膿を出ます治ると言いながら自分らで治療してします。これを団結と言います。たまげます。こっちは授業をしていますが、生徒は生徒同士でモノモライの治療をしてます。ただ膿を出し合っている、人間は凄いですね。日本人も昔はこうやって生きていたはずです。自分で生きていかないといけないのです。40階建てマンションの裏側の路地はお昼過ぎまで市場です沢山の露天が凄いです鶏も一杯います、売れたら裁いてくれます、新鮮です日本人からすると
筋があって肉が固い肉です、誰もおいしいとは言わないでしょう、でもこちらの人たちは美味しいと言って食べております。「美味しいよ」と言って私にくれますが、私には食べれません。
結核は1年半の薬物治療だそうです。要は完治がないんです。発生し無ければ良いのですが、結核菌はいますから、発生するかしないかです。ここで私も知ったのですけど、結核の種類は3種類ぐらいあります。よくベトナムの秘境に日本人が探検に来ますね。私も暇だから人生の探検してますが、本当に探検隊のごとくです。私が勤務するこの学校は街の中心から40分ぐらいの処にあります。それでもこんな感じで人間は生活をしております。
今のこのベトナムの生活は、私には十分刺激的です。ベトナム戦争をするためにアメリカから来た人たちは大変だったと思います。アメリカ人兵士だって来たくなかったはずです。
1日500円の生活が始まった
毎日のルーティンワークは、朝に学校に行き、休み時間に毎日同じ喫茶店MOOでブンチャーを食べて時間まで暇を潰し、午後に学校に戻り授業をする。喫茶店MOOは、ベトナム人ママとあと2人の店員の計3人で営業している店です。学校に来るたびに、2万5000ドン、最近は3万ドンでブンチャーを食べます。日本円で150円。これにヨーグルトドリンクを追加で頼むと5万5000ドン(約275円)になります。一人ではまずまずでしょう。他のベトナム人教師たちは90円のランチか200円の高級ランチどちらかでしょう。だいたいみんな3万ドンぐらいまでかな。安さを求めるだけなら、外食費は1日300円でいけるね。水がいりますか?20円くらいで、たいしたことは無い。一日500円で30日だと15000円か、本当に50000円あれば暮らせます。