◆文;筒井潔(つつい・きよし)経営&公共政策コンサルタント

筒井潔氏

 

前回(その1、2015年7月号)では、第2次世界大戦直後から2009年の周小川・中国中央銀行総裁の論文までの基軸通貨を巡る動きを見ました。

https://www.biglife21.com/column/9162/

「その2」では、アメリカと中国の基軸通貨を巡る駆け引きと、仮想通貨について触れることになっていましたが、今回は仮想通貨について基本的なことを書いておきたいと思います。

 

暗号通貨(仮想通貨とも呼ばれる)がある意味で市民権を得るきっかけとなったのは、2013年のキプロス金融危機でしょう。地中海の島国であるキプロスは、2008年に欧州共通通貨ユーロに参加し、低税率を売り物に海外、特にロシアからの投資を呼んで金融立国を目指したのです。2013年、キプロスの銀行はギリシャ金融危機の影響を受け経営危機に陥ります。このとき、ロシアの投資家がキプロス政府当局による海外送金監視の目を掻い潜って、キプロスの銀行から預金を他国に持ちだす方法として使ったのが暗号通貨の一つである「ビットコイン」でした。これを機にビットコインは高騰したし、ビットコインは「実際に使える暗号通貨」として市民権を得たように思います。

 

「ビットコイン」は、サトシ・ナカモトを名乗る人物が2008年にインターネット上に公開した、「Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System」という一つの論文にはじまります。ブロックチェーンという分散台帳と、その分散台帳の正当性を認めるためのプルーフ・オブ・ワークという仕組みは、自律分散的で協調的です。第1次産業革命の影響の一つとして生み出された資本主義の維持には、中央集権的かつ自由競争的な社会が必要でした。暗号通貨で用いられている仕組みは、自律分散的かつ協調的という原理であり、中央集権的かつ自由競争的な社会とは異なるものです。

 

蛇足ながら、資本主義の発生は、18世紀末のイギリスで第1次産業革命後であると言われています。マルクスは資本主義のエッセンスを、私有財産制と自由競争という経済制度にあると考えました。第1次産業革命の産物として安いエネルギー源で動く機械を用いる生産活動は、個人や企業が市場で自由に価値の交換を行うような自由主義的な経済制度と組み合わさって、資本主義の形成をもたらしたという説明があります。つまり、資本主義はある意味、第1次産業革命の産物とも言えます。

 

資本主義は、経済的または様々な技術面でも後進地域であったヨーロッパで発生しましたが、当時の先進文明地域であったアジアやアラビアでは資本主義は生まれませんでした。それは、資本主義の誕生の条件がその地でしか満たされなかったからですが、産業革命がイギリスで起こったのは、マックス・ウェーバーが主著の一つである「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で展開した議論を引用するまでもなく、資本主義とキリスト教、特にプロテスタンティズムとの同一性も背景にあったのでしょう。キリスト教は魂をコレクションすることを中心概念とし、資本主義はモノをコレクションすることを中心概念とする点で両者は類似しています。

 

18世紀末以降、資本主義がヨーロッパ、アメリカ、日本で発展した一つの要因は、発展途上国と呼ばれた非西洋文明国の存在でした。これら非西洋文明国は、資本主義諸国にとっては「フロンティア」であって、資本主義諸国は、非西洋文明国を軍事的手段で征服し、土地と資源を奪い、その地に住む人々を隷属し安い労働力として活用することで経済的に発展しました。「コレクション」はフロンティアで実行されたのです。ここに資本主義社会における「国家」の存在意義の一つが見えます。貨幣価値の差違は、非西洋文明国との交易で資本主義諸国に大きな利益をもたらました。資本主義の発展という観点からは、「国家」は軍事力の発動単位としての役割もあったし、そのことと表裏一体として、通貨の発行単位としての役割もあったのです。この点は、仮想通貨の意味を考える点で重要だと私は思います。

 

資本主義諸国は時代を下るに従い自国の貨幣価値の維持のために手を尽くすようになります。たとえば、基軸通貨のドルを発行するアメリカは1971年には金本位制を維持することができなくなり、結果として、金本位制は廃止されたことは前回に触れたとおりです。そして、資本主義経済は、特に1990年代以降、バブルとバブル崩壊を繰り返すようになります。西洋の資本主義諸国が第1次産業革命による技術的優位性による軍事力を武器に非西洋諸国を侵略することによって資本主義経済の発展を支えるというシナリオは、コレクションすべきモノの所在地、つまりフロンティアの喪失とともに終焉を迎えようとしているように見えます。

 

このような状況で、情報通信技術(ICT)による第2次産業革命は興ります。第2次産業革命の原因と言われたICTは、暗号通貨の登場以前には、単に資本主義経済における生産効率の改善に使われていたように思えます。しかし、第1次産業革命が資本主義を生んだように、情報通信技術(ICT)が革命的技術であるならば第2次産業革命もポスト資本主義の原理を生み出すポテンシャルを持っていると私は思います。

 

私はこのポスト資本主義の原理について、仮想通貨が生み出す新しい金融市場によって自発的に形成される、というシナリオがあり得ると思います。物事は必然性がないところには根付かないものです。私は暗号通貨を考えるとき、ハイエクのカタラクシーの概念を連想します。

 

フリードリヒ・ハイエクが1979年に来日したとき、NHKの番組内で次のように語っています。

「経済的な組織はむしろ文化の基礎になるものだと思うのです。
経済の上にはじめて文化という建物が立つのではないでしょうか。
自由な文化の発達を促すためには、しっかりとした経済基盤がなければいけません。
経済基盤というものは、自由な市場、フリー・マーケット、あるいはプライス・システムの中からしか生まれません。
これは日本のなかにあると思うのです。」

 

そしてハイエクは、上の発言中の「マーケット」の意味について、日本の徳川時代の市を引き合いに出して、物を売ったり買ったりすることのみならず、そのほかにそれぞれの地域、あるいはそれぞれの国が持っているところの伝統あるいは文化の調整、合理化、文化の交換というような作用も含んでいるものに近いと言っています。

 

このような市場の上で形成される秩序をハイエクは「エコノミー」に対比して「カタラクシー」と呼びました。「カタラクシー」の語源はギリシャ語の「katallattien」である。「katallattien」は、「交換する」という意味の他、「コミュニティに入る」や、「適から味方に変わる」や「和解する」というような意味を持ちます。カタラクシーというのは、経済行為としての貨幣の交換より広い意味を持つのです。

 

カタラクシーとは、さまざま異なる目的を追求する無数の主体間の交換行為を通じて自発的に形成されるネットワークであり、市場における個別経済の相互調整によってもたらされる秩序です。「経済(エコノミー)」という言葉には、個人や組織といった主体が、所定の一つの目的のために、既に定められた様々な手段を利用して、各主体が利益を追求するというニュアンスがあります。一方、カタラクシーでは、異なる目的を持った当事者が互いに助け合うことによって、win-winとなるという原理が含まれています。ハイエク自身の言葉を借りれば、「交換」という取引について、

 


「当事者たちは、この取引が貢献する目的について合意する必要はないのである。
取引の各当事者の異なる独立した目的に貢献し、かくて異なる目的のための手段として
当事者たちを助けるというのが、そうした交換行為の特徴である。
それどころか、かれらのニーズが違っていればいるほど、交換から大きな利益を受けると思われる。
(中略)カタラクシーでは、相手を気遣ったり知ることさえなしに、他者のニーズに貢献するように仕向けられる。」

 

というものです。当事者たちは、この取引が貢献する目的について合意する必要はないのです。取引の各当事者の異なる独立した目的に貢献し、かくて異なる目的のための手段として当事者たちを助けるというのが、カタラクシーでの交換行為の特徴です。それどころか、カタラクシーでは、相手を気づかったり知ることさえなしに、他者のニーズに貢献するように仕向けられるというのがハイエクの考えです。

 

カタラクシーの概念が積極的に用いられてきた分野の一つがエネルギー・資源分野です。カタラクシーの概念は、経済成長と地球環境のトレードオフや経済成長とエネルギー・資源の流通など経済活動と地球の生態系を総合的に扱おうとする「エコロジー経済学」、より限定的には自由市場環境主義の理論的な支柱でした。二酸化炭素や汚染物質の排出権取引制度や、環境に優しい商品の流通を支援するグリーンマーケティングなどは、このようなカタラクシーの概念を理論的支柱としています。

 

エネルギー市場については、日本でも補助金、FIT(固定価格買取制度)による電力価格の固定化など、政府の積極的な関与がみられます。自由市場環境主義では、このような税や補助金を通じた中央政府の統制を良しとせず、環境・エネルギー市場の自生的秩序形成による市場の成長・発展を支持します。つまり、自由市場環境主義ではハイエクの市場哲学を基礎として、環境問題を「市場の失敗」として、環境・エネルギー市場への中央政府の市場介入の必要性を主張し、環境・エネルギー問題については、社会主義的な合理主義に似た理論の導入を主張する議論とは一線を画しています。

 

「市場の失敗」という意味は、環境・エネルギーでは、価格メカニズムが機能するような財・サービスの市場が成立しないという意味です。そして、このような「市場の失敗」に対しては、中央政府が市場に参入しようとする者に対して適切なインセンティブを与えることで、完全競争市場で得られるであろうパレート最適性を満たすような結果を生じるであろう制度を設計すべきというのが、従来の経済学的アプローチでした。それは、ハイエクが描く、「人間がそれを理解することなしに偶然に出会って見付けたのちに利用することを学んだ生成物」たる自生的秩序としての市場とは異なっています。自由市場環境主義の立場では、大気汚染や資源枯渇など環境・エネルギー問題へのアプローチにおいて、技術的な可能な限り、あらゆる資源に明確に特定された所有権制度を整備し、市場で自由に交換できるようにすることが唯一の解決策であるとします。

 

基軸通貨とは何か、ということを考えた時、従来の答えの一つに「石油の決済通貨であるから」というものがありました。この答えは「従来は」基軸通貨の一面を捉えていたかも知れません。ハイエクのカタラクシーがもたらす社会は、現在の資本主義経済下の競争社会から見ると、お花畑に見えるかも知れません。それでも、ハイエクのカタラクシーと仮想通貨とエネルギー・資源市場のトライアングルが閉じられたとき、ドルの基軸通貨としての地位は危うくなるように私は思います。

 

 

〈筆者プロフィール〉

筒井潔(つつい・きよし)…経営&公共政策コンサルタント。慶應義塾大学理工学研究科電気工学専攻博士課程修了。財団法人技術顧問、財団法人評議員、一般社団法人監事、一般社団法人理事などを歴任。大学の研究成果の事業化のアドバイザとしてリサーチアドミニストレータの職も経験。共訳書に「電子液体:電子強相関系の物理とその応用」(シュプリンガー東京)、共著書に「消滅してたまるか!品格ある革新的持続へ」(文藝春秋)がある。