コラム – 立退交渉の法律実務と立退料を巡る不動産鑑定評価
立退交渉の法律実務と立退料を巡る不動産鑑定評価
◆文:安藤 晃一郎(法律事務所リーガルアンサー代表弁護士)
1.はじめに
近年、昭和30~40年代に建築された建物を中心に、建物の老朽化とともに、建替えが進んでいますが、建替えを行うに当たって問題になるのが、賃借人(入居者)との建物賃貸借契約をどのように終了させるか、いわゆる立退交渉をどうするかという点です。立退交渉については、法律があまり整備されておらず、また、立退料など不明瞭な点が多いのが現状です。本稿では立退交渉について整理してみたいと思います。
2.立退交渉の基本ルール
(1)契約違反がある場合と契約違反がない場合で手順が異なります
賃借人(借主・入居者)に、賃料(家賃)の不払いや契約に違反する用途として建物を使用するなど「契約違反がある場合」には、賃貸人(貸主・大家)の判断で賃貸借契約を「解除」することができますので、立退交渉は不要で、契約解除を理由に建物の明渡しを求めることになります。
(2)賃借人が契約違反をしていない場合が問題になります
立退交渉が問題となるのは、賃借人に契約違反がない場合です。この場合には賃貸人の判断で賃貸借契約を解除することができませんので、賃借人と協議をして、賃貸人と賃借人が退去の合意をすることによって立退きをさせることになります。このときには、賃貸人が賃借人に「立退料」を支払うことが慣習化しています。
(3)期間満了による賃貸借契約の終了
賃貸借契約の期間が満了した後、賃貸人と賃借人との間に契約を更新するとの合意がない場合であっても、期間満了により当然に契約が終了することにはならず、法律上は更新されたとみなされます。このような更新の合意がない場合のことを「法定更新」といって従前の契約がそのまま更新されることになります。
また、期間が満了した場合に、契約を更新しないと通知するなどした場合でも、契約を終了させるためには「正当事由」が必要になります(借地借家法28条)。
(4)法律上は「正当事由」が必要になります
建物や土地の賃貸借契約を規律する法律として「借地借家法」という法律があります。
そして、借地借家法は、賃借人の意思に反して賃貸借契約を終了させる場合には、契約を終了させることにつき、賃貸人の解約申入れに「正当事由」が認められることが必要であるとしています(借地借家法28条)。
3 立退交渉の手順
(1)賃貸人ないしは不動産管理会社による交渉・協議
立退交渉を開始するにあたって、いきなり弁護士が交渉することはあまりありません。弁護士が入らない方が円満に立退きが進むことがあるからです。
他方で、この段階から弁護士に相談することをお勧めします。賃借人への説明や提案する立退料などについて相談をしながら進めた方が良いからです。
手順としましては、まずは、賃貸人ないしは建物の管理を行っている不動産管理会社から賃借人に対して退去の打診をすることになります(不動産管理会社は賃貸人と賃借人の仲介をする場合もあります)。この時点では、立退料には言及しなくてよいでしょう。
退去の打診の結果、賃借人が、特段立退きの条件を提示することなく退去に応じる場合にはもちろんですが、賃借人から立退料に言及するなど退去を拒否していない場合には、交渉を継続します。賃借人の要望(立退料の金額など)を聴取して検討することになります。
不動産管理会社が立退交渉を行うときには、賃借人が明確に立退きを拒否している場合には、不動産管理会社は賃借人と交渉することはできません。
(2)弁護士による裁判外の交渉
賃貸人ないしは不動産管理会社からの退去の打診に対して、賃借人が明確に拒否をした場合には、弁護士による裁判外での交渉に移行します。弁護士による交渉では、賃貸人としては裁判も辞さないこと、裁判になる前に退去に応じれば裁判になった場合よりも高い立退料を支払う用意があることを伝えて交渉することになります。
(3)裁判所への訴訟の提起
弁護士による裁判外の交渉が不調に終わった場合には、賃貸借契約の期間満了を理由に建物からの退去を求める裁判を起こす(訴訟を提起する)ことになります。裁判では、借地借家法28条の「正当事由」について証拠を提出することになり、その中で、立退料を支払うことを明示することになります。
4 立退料の相場
(1)前提
立退料の金額に関する法律上の規定は存在しません。そのため、立退料の金額について、過去の裁判例でも、時代(バブル期の裁判例には異常に高額な立退料の支払いを認めたものがあります)や賃貸借契約の状況などによって大きな開きがあり、基準と呼べるものはありません。
裁判例における立退料の相場は、建物を必要とする事情や、建物の老朽化の程度、賃貸借契約の内容など様々な要素が絡み合って構成されていると考えられています。
なお、過去の裁判例のケースは、いずれも立退について裁判外で合意ができていない場合ですが(前述の手順の(3)の段階)、裁判になる前に立退交渉の段階で、当事者間で退去条件について合意することによって終了するケースも多くあります。
(2)立退料の基本的な考え方
立退料は、借地借家法28条の「正当事由」の一事情となっています。そして「正当事由」は、
①賃借人の事情(賃借人が建物の使用を必要とする事情)
②賃貸人の事情(賃貸人が建物の使用を必要とする事情)
を主たる要因として、
③建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況、建物の現況
④立退料
を従たる要因として、これらの事情を総合的に判断することとされています(借地借家法28条)。
つまり、立退料は、あくまで正当事由の従たる要因の一事情にすぎないため、立退料を支払えば立退きが当然に認められるわけではないことに注意が必要です。
立退きが認められるためには、建物を使用したいという何らかの事情(①と②の事情)があることが必要であり、立退料は補充的な要因です。立退料以外に賃貸人に有利な「正当事由」がある場合には立退料の金額は下がる傾向にあります。
(3)立退料の算定方法について
不動産鑑定評価では、立退料について、「立退料=移転費用プラス借家権価格」と考えられています。そして、借家権価格について、不動産鑑定評価では、複数の手法を求めることによって借家権価格を算定し、移転費用については実額相当額を計上して立退料を計算するものとされています。
ただし、借家権価格を算定する鑑定評価手法は複数あり、いずれも理論的に問題点があります。借家権に関する不動産鑑定評価が不明確なことが立退料の算定を混迷させている一つの原因です。また、不動産鑑定評価は「正当事由」の他の事情を考慮しませんので、裁判では活用しにくいものになっています。
他方、裁判例では、立退料の算定に関する明確な基準はありませんが、現在では、「①移転費用プラス損失補償」、又は、「②移転費用プラス借家権価格」を、立退料を算定する際の基礎としている裁判例が多いといわれています。
この点、移転費用については、実際に賃借人が支出するであろう費用相当額を計上することになりますので、多少の幅はあるとしてもある程度は相場があるといえます。問題となるのが、損失補償ないしは借家権価格です。
損失補償ないしは借家権価格の算定については、裁判実務は混迷を極めている状況ですが、賃借人を建物から退去させても良いかと考えられる相当な金額が立退料ですから、合理的・論理的にその金額を算定することになります。
なお、居住用と店舗用(事務所用を含む)の賃貸借契約では、店舗用の賃貸借契約の方が立退料が高額になります。これは店舗の場合にはその場所で長年営業してきたことによる営業権ともいうべき無形資産があると考えられるためです。
(4)建物の老朽化(耐震性)と正当事由
建物の状況は、正当事由の補充的な考慮要素とされています((2)の③の事情)。しかし、その建物が老朽化しており、十分な耐震性を備えていないという事情が、近年の裁判例では重視されつつあります。
これは先の東日本大震災を経て、建物の安全性が重視されてきたことによるものと思われます。つまり、耐震性に問題がある建物をそのままにしておくことは社会的に問題であるという価値判断が重視されつつあります。建物が老朽化しているというレベルを超えて建物の耐震性に問題があるという状況になっているのであれば、耐震性をきちんと調査してそれを正当事由を基礎づける事情として主張すべきです。
ただし、建物の修繕が必要な状況であるにもかかわらず、それを放置した結果、耐震性に問題を生じた場合には、正当事由があるとは認められない余地がありますので注意が必要です(大規模修繕を実施しなければならないかは判断の余地があるところです)。
5 立退交渉の対策
(1)長期的な計画が必要です
これまでの説明のとおり、賃借人が立退きを拒否している場合には、交渉が難航することが多いです。また、裁判になってしまうと、かなりの時間も費用(予測しにくい立退料や弁護士費用)もかかります。
他方で、最終的には裁判による解決しか選択肢がありませんので、裁判で適切な立退料できちんと勝訴できる準備をすることが重要です。
裁判になれば、「正当事由」があるかがポイントになり、立退料の金額もこの正当事由の強さによって決まります。そのため、正当事由を強めるような事情を長期的な視野で準備していくことが重要です。
例えば、賃貸人に建物を必要とする事情があるのであれば、その事実の構築に向けて準備していくことや、建物が老朽化しているのであれば、どこがどのように老朽化しているのか建築士などの専門家による検査(耐震検査など)をしてもらった上で、修繕をどの程度まで行うかも検討することなどが必要になります。
(2)賃貸借契約書の記載
立退きを円滑に行うために、賃貸借契約書に、「建物の建替えを行う場合には本賃貸借契約は終了するものとする」などと記載してあることがあります。
このような条項は、賃借人に不利益な内容ですから、このような条項が入っているからといって直ちに賃借人を建物から退去をさせることはできません(借地借家法30条)。
しかし、近年の裁判例の中では、このような条項が入っていることを賃貸人の正当事由の一事情としたものがあります。これは、賃借人が、契約締結時に、将来建物の建替えがあることについて理解しており、将来建替えの可能性があることを理解している以上は、正当事由の一事情にはなり得るとしたものと考えられています(もちろん立退料の支払いは必要です)。
(3)賃料増額請求
賃借人が立退きを拒否している場合の対策として、賃借人に対して、賃料の増額を求めることで立退きを促すことがあります。賃料増額については、法律で、賃借人が同意をしていなくても賃料を増額することができる場合があります(借地借家法32条)。この方法は、その時点の賃料が相場よりも低い場合には有効な手段となります。
●プロフィール/安藤 晃一郎
法律事務所リーガルアンサー代表弁護士
【東京弁護士会所属】
(弁護士・不動産鑑定士)
明治大学法学部卒業・中央大学法科大学院修了。不動産鑑定士資格を有する数少ない弁護士として、不動産案件、不動産に関する遺産相続トラブルを専門とする。 著作に「賃貸トラブル 法律知識&円満解決法」(日本実業出版社)、「これならわかる〈スッキリ図解〉介護事故・トラブル」(翔泳社)など。
〈事務所概要〉
法律事務所リーガルアンサー
〒160-0022 東京都新宿区新宿1-6-11 水野ビル3階
TEL:03-6274-8099
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◆2017年07月号の記事より◆