デヴィッド・リンチなら、会社をどう経営するか?
Business Column イマドキのビジネスはだいたいそんな感じだ! その28
デヴィッド・リンチなら、会社をどう経営するか?
一時期、街の映画館がどんどん消えていくので、日本の映画文化が失われていくと日本中の映画通がやきもきした時代もあったが、シネコンというスタイルも各地のショッピングモールなどに付いたりして、それなりに邦画も洋画も頑張っている。
自称「映画評論家」のワタシにとっては喜ばしい限りだ(本数からすると、多分『映画好き』くらいだが…まあ“自称”だからいいのである)。
それにしても日本人は自称映画評論家とか映画通が多い。なぜか。そこには日本人の、とくにオヤジたちの抑圧された願望があるような気がするのはワタシの見立てだ。
つまり「自分は到底そんな立場でディレクションしたりマネージングする立場になれないから、一流の俳優を動かすことを夢想することに悦びを見出してしまおう」という代替心理である。
考えてみれば、対戦ゲームやシミュレーションゲームの大半は、優秀な戦士や部下を集めて指示を与え、超人を育成して秘密の宝を見つけたり、お姫様を奪い返したりするたぐいだ。
さするに監督願望というのは、時代や年代を超えてオヤジのみならず若者たちにも脈々と流れている不断の願望なのだと思う。
一方時代は移り変わり、いまや誰もが手軽に起業できる時代となった。ある銀行の調査では日本では30人に1人が社長だそう。
もはや、カフェや居酒屋で監督やマネージング論を語るだけでなく、社長としてその独自の監督論で培ったノウハウを存分に発揮できる時代となったのだ! いでよ、若者! いでよオヤジ!
で、実際に社長になったらどうかというと軽々に監督論は語れなくなるのだ。だって下手に「あ〜だ、こうだ」というと「結果も出せずに、語るんじゃねーよ」と手痛いしっぺ返しを受けるからね。
事実、いろいろな社長に他社の評論をお願いするとほとんど辞退する。語るのはコンサルとアナリストと、巷のおばちゃんである。
とはいえ、否、だからこそ経営者には映画監督のマネージングや人の使い方について学んでもらいたい。なぜなら、人財や資本、設備、時間など何かと限られた企業経営において、優れた映画の制作は極めて共通する部分があるからだ。
なかでも『エレファントマン』や『ブルーベルベット』、連続ドラマの『ツイン・ピークス』で知られるデヴィッド・リンチの考え方は、多くの中小企業に取り入れてもらいたいと思う。
その美学は多くの俳優を魅了している。ツイン・ピークスに出演した女優のグレイス・サブリスキーはリンチについて、「とにかく彼は他の監督と違った」と語っている。
「ふつう、監督には自分のイメージがあってそのイメージ通りに撮影がいかないと、『どうしてこうならないんだ!』と俳優やスタッフに向けて癇癪を起こすの。でもリンチは現場で起こる不測の事態を全部ドラマや映画の中に取り入れていくの」。
たとえば、照明係がちゃんと準備をしていたけれども、本番になったらパチパチと点滅して照明が点かなくなっても、「直さなくていいから」と言って、逆にそれを上手く利用してそのまま使うとか、撮影用のセットのテーブルをきれいにしておくように言われていたのに、テーブルが汚れていると、「それは拭かなくていい」と言って、そのまま活用して撮影するのだという。
カルトっぽい作風と気難しそうな風貌からは、そんな融通無碍な撮影法をするとは思えないリンチだが、実際はまるでトラブルやアクシデントを楽しむように作品を作り上げている。
なぜそんな撮影が可能なのか。そこには彼の美学が反映されているからだ。リンチはことあるごとに言う。「人生は美しい偶然の連続だ」と。
つまり、日々起こるさまざまなトラブルやアクシデントすら「美しい偶然」なのだと。
このリンチの考え方こそ、限られた条件のなかで奇跡のような美しい作品を生み出す源泉なのである。
経営も同じである。人間の営みの美しい偶然が生み出しているのだ。
そう思えば、今後起こるさまざまなアクシデントやトラブルにも自在に対応できるはずだ。何より無用な癇癪が減り、ものごとに冷静に対処できる。
経営を進化させたいなら、リンチの言葉を服膺するといい。
イマドキのビジネスはだいたいそんな感じだ。
◆2016年8月号の記事より◆
WEBでは公開されていない記事や情報満載の雑誌版は毎号500円!
▸雑誌版の購入はこちらから