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台湾元駐日代表・羅福全閣下に聞く日台関係 「東アジアは新時代を迎えている」

 

オビ インタビュー

台湾元駐日代表・羅福全閣下に聞く日台関係

「東アジアは新時代を迎えている」

◆取材:加藤俊 /文:菰田将司

羅福全閣下 (1)

羅福全閣下 台湾元駐日代表

 

長く国民党独裁が続いた台湾は、90年代に入り「アジアの四匹の龍」の一角として急速な民主化・経済発展を遂げた。しかし2000年代には一転して不況に陥り、今も出口が見えないままでいる。

元台北駐日経済文化代表処代表(駐日代表、駐日大使に相当)羅福全閣下は、戦後日本の歩みにも重なる今の台湾をどう観ているのか。そして日本や東アジア情勢をどう考えているのか。

 

■日本にとっての台湾の重要性

―台湾は日本に友好的と聞きますが、何故台湾の人々は日本に友好的なのでしょうか?

 

羅福全(以下、羅):台湾は50年間、日本の統治下にあった。その間、新渡戸稲造や後藤新平といった政治家たちが、台湾の農業・工業の振興に尽力してくれた。その結果、台湾経済は発展し、植民地経営の収支が黒字になっていたことが大きい。満州国・韓国・南洋諸島とはこの点が異なる。要するに、豊かになった。この時に開発された農地と技術は、戦後も台湾の人々を潤した。このことへの感謝の気持ちを我々は持っている。

また、近年に於いても、1999年の台湾大地震の際、日本の救助隊は真っ先に台湾に入り救助活動を行ってくれた。だからこそ、東日本大震災の時に、(※)アメリカに次ぐ150億円の支援を民間主導で行えたのだと思う。これは、ただただ日本に恩返しをしたいという大多数の民意無くしては成し得ないことだった。

※政府からの支援は3億円で、残る140億円以上は、一般市民からの募金だった。

 

―アメリカと中国が接近している今、台湾は微妙な立場に置かれています。閣下が日本に期待されることは?

 

:台湾を取り巻く情勢は複雑だ。愈々もって、拡大路線をとる大陸は、我々から見ればやはり脅威だ。さらに、台湾一国という視座を離れて東アジア全体の安全保障を考える時に於いても、単に、台湾対中国という図式で、この問題を捉えることはできなくなっている。アメリカや日本と連携して安全保障を考えていく必要がある。

この文脈上で、日本に期待することとして、「日本にとっても台湾は重要な国である」と、アメリカを始めとした諸外国に伝えて欲しい。

また、台湾国内も今、新しい台湾を作るプロセスの中にある。移り変わる東アジア情勢の中で、台湾のあるべき姿を模索している、その最中にある。

 

―2008年の総統選挙で「台湾」名での国連加盟を訴えた民進党は、中国と対立することは台湾に不利益だ、と主張する国民党馬英九に大敗しました。しかしその後、中国からの観光客の受け入れや、更に産業も招こうとした馬英九に対し、ついに昨年学生たちは反対運動を起こしました。これはこの数年で、台湾の世論が動いてきていることを意味しているように思えますが。

 

:現在、大陸に戻りたいと願っている台湾人は全体の10%以下に過ぎず、特に20代から40代の若い世代では、80%以上が大陸に戻ることを明確に拒否しているという世論調査の結果がある。『台湾は台湾』という意見が多くを占めているのだが、かといって完全に独立して中国と対立することまでは望んでいない、というのが現状の主流的考え方だ。

現在台湾では、学生運動が去年の『ひまわり学生運動』を経て高まりを見せている。今度の選挙では若手のリーダーたちが現れてくるだろう。おっしゃるように、台湾は今、正に新しい時代を迎えようとしている。

 

 

■台湾の抱える「格差」とこれからの東アジア

―若いリーダーの台頭や世論の醸成など、台湾は日本より民主的な点も多いと思います。では、台湾の抱える経済面の課題はなんでしょうか。日本では今、地方の疲弊が大きな問題となっています。

 

:その点は日本より寧ろ台湾の方が深刻な問題だ。日本の中央・地方の問題は、中央の大企業と、その下請けとしての地方の中小企業という図式に綻びが見えたことが原因にある。近年、大企業が安い労働力を求めて海外に下請けを出した結果、地方の中小企業がただの地場産業になっている。

かといって悲観することはない。日本の中小企業には、今もって世界に誇れる素晴らしい技術力がある。他国に技術力がキャッチアップされたといっても、一朝一夕でどうにかなるものではない。日本の国際競争力は今後も一定レベルを保持できるだろう。

対して台湾はというと、同じ言語を使うという連帯感もあって、大陸の企業に下請けを任せすぎた嫌いがある。その結果、2000年にはアメリカ・日本に次いで第3位のIT産業市場だった台湾は、現在、大陸の企業にノウハウや情報を奪われ、大きく後退している。さらに、台湾は、大企業が儲かればいいと考える節が有り、中小企業を育てる努力をしてこなかった。これは非常に不幸なことだった。

 

―長く不況が続いている台湾ですが、格差の問題はいかがでしょうか?

 

:これは世界的な現象だ。グローバリゼーションが進んでいる昨今、地方を見限った若者たちは都市部に集まって来る。台湾も人口の3分の1が台北に集中している。こうなると家賃や物価が上がり、若者は家も買えず子育ての余裕も持てなくなる。

そして、このような格差問題は大陸では更に顕著だ。裕福な沿岸部の1億と、内陸部の12億の経済格差は深刻そのもの。特に国連が定める貧困線である一日の生活費が1.25ドル以下の人々は3億人もいる。他方、政府高官はドルを溜め込んでいる。共産国家とは言えないだろう。

 

―今後2020年までの東アジアの展望は?

 

:東アジアの最大の問題は大陸と北朝鮮。台湾と韓国は90年代に大きく民主化したが、これは教育を受けた中産階級が国内で発達したことによる。歴史を紐解けば、教育を受けた世代が増えることによって独裁政権は打倒されるもの。

私は、一人あたりの所得が11000ドルを超えると中産階級が生まれると考えているが、今大陸の平均所得は6000ドル。この所得が増え、中産階級が増えてくると、徐々に民主化されていくだろうと考えている。このさき、どうなるかを注視していきたい。

また私は国連時代ASEANの仕事もしたが、台湾もASEANのメンバーになり、大陸やアメリカと同じ距離で話し合えるようになったらいいと期待している。ASEANは世界的に見て、成功している事例だ。昔は喧嘩していた6カ国が、大国と互角に伍するために結びついたのだから、台湾もそこに加わり、大国に対してイエス・ノーを言える立場を築くことはアジアの平和を築く良い方法なのでは、と考えている。

 

オビ ヒューマンドキュメント

羅福全閣下とは?

半世紀にも及ぶ国外生活

羅福全閣下 (2)

「長いこと、わたしはホームレスでした」と笑う羅福全閣下。「国際的にあちこち走り回ったため、台湾に自宅がなかったのです。国連地域開発センターは名古屋にありましたし、その後、東京の国連大学にも勤務していましたので、都合27年間、日本で生活していました」

 

羅福全は1935年、当時は日本統治下にあった台湾嘉義市で産まれている。家庭は裕福で、不自由のない生活を送っていたという。幼少期には日本に在住、田園調布の小学校に通い、戦時中は日本で疎開も経験している。玉音放送を聞いたのも埼玉県であった。戦後、台湾人として台湾に戻るが、その頃の台湾は、日本の支配から蒋介石率いる国民党の支配に変わっていた。そんな最中、小学5年生の時、2.28事件(※)が起こる。

 

その後、台湾大学で経済学を学んだ後、再び来日して、早稲田大学に入学。さらにアメリカ・ペンシルヴァニア大学へと進み、博士号を修得。そして、国連地域開発センターやアジア・太平洋開発センターなど国連機関に勤務し、世界中を飛び回る。この間、故国へと戻ることはなかった。というよりも、実際には戻れなかったのだ。

日本留学中から台湾独立運動に身を投じ、台湾独立連盟の前身となる台湾青年会に加入していたことが、大陸回帰を目論む国民党政府の目に付き、ブラックリストに加えられたのだ。以後、1992年に李登輝総統によってブラックリストから除かれるまでは、台湾の土を踏むことがなかった。

 

やがて、羅福全が世界中で経済開発のために粉骨砕身している間に、故国の情勢は大きく変わっていた。国民党の支配は、李登輝が1990年に台湾初の民選総統になると大きく民主化に舵を切る。38年間に及んだ戒厳令の解除、立法院議員の初めての選挙が行われ、民衆運動家たちも故郷に戻ることができるようになった。

 

羅福全も2000年に国連を辞し、改めて台湾の国籍を取得。台湾に帰国する。その後、李登輝の推挽により陳水扁政権から台北駐日経済文化代表処代表(駐日代表、駐日大使に相当)に任ぜられる。駐日代表時代は、安倍首相らと知己を得たうえ園遊会にも招かれた。後継大使の許世偕とともに、民進党の八年間、日台関係の絆をさらに深める。その後も亜東関係協会会長などを務め、日台関係の発展に尽している。

(後編に続く) 「台湾の苦難、そして今」
※ 2.28事件:国民党支配に反対する運動を、国民党が軍隊を使って弾圧した事件。「台湾全土で2万人から3万人が殺され、私も仲が良かった画家や医師が銃殺されるのを目の当たりにしました」

 

◉羅福全閣下のお話を聞くにあたり、特定非営利活動法人 修学院に尽力頂いた。

 

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羅福全(ら・ふくぜん)

経済学者。元台北駐日経済文化代表処代表(駐日代表、駐日大使に相当)(2000年5月-2004年7月)。退任後、亜東関係協会会長。台湾独立運動の指導者の一人。その他の要職、元国際連合大学高等研究所(UNU-IAS)副所長。

 

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