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経営コンサルタントが砂川判決について思うこと【対談】

 

オビ インタビュー

経営コンサルタントが砂川判決について思うこと

文:海野世界戦略研究所会長筆頭秘書(弁護士)、筒井潔(海野世界戦略研究所代表取締役会長)

 

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以下は、先月号(2015年7月発売号)で砂川事件について思うこと」というコラムを書いた海野世界戦略研究所会長筆頭秘書(弁護士)と、筒井潔(海野世界戦略研究所代表取締役会長)の対談である。

※これらの見解は個人の見解であり、所属組織としての見解では「ない」ことを断っておきます。

 

会長筆頭秘書(以下単に、秘書):先月号で私が法律家の立場からコラムを書かせていただいて、あの当時、衆議院で安倍内閣が進めようとしていた安保法制の制定について、憲法を重視しましょうということを言ったわけです。今回のテーマはコンサルタントからみた砂川事件ということですが、私のコラムをどのように読まれました?

 

筒井:私は法律家ではないから法律用語について厳密ではないことがあるだろうから、適宜、直してください。まず、日本は明文憲法が存在する法治国家ですから、憲法を守りましょうということは当然だと思いますよ。

そして、今回の集団的自衛権の問題に砂川判決を持ち出すのは、高度に政治的なイシューについては、統治行為論を根拠に最高裁は違憲性を判断しないことを裏付けるためだけという印象です。学者の方々は実際にはどうだったというようなことを議論するけど、形式的には憲法も砂川判決も日本が自主的に判断して制定したり判決を下したもの。

ビジネスの契約で言うなら、印が押してあれば、もう仕方がない。ところで、法治国家というのは、国のアクションが法によって決められている、という意味ですけど、法律家はこういう使い方はしないの?

 

秘書:法治国家という表現は正確ではないのでは。法治国家の類似概念として法の支配があるけど、法治主義は国家ありきで行政や裁判が法律に拘束される、法という形式をとっていれば内容は問わないというもの。

一方、法の支配は支配者によって作られるものではなく発見する法として、コモンローの観念の下、国家権力を正義で適う法により拘束するというもので、法治国家と法の支配ではベクトルが違います。

とはいえ上でいう法治主義は形式的法治主義と言われるもので、法治主義も現在では法律の内容の正当性が問われる実質的法治主義と変化し、法の支配との相違は以前よりみられなくなったと言われています。日本国憲法はアメリカにならって違憲審査制を定めていて、これが法の支配のあらわれと言われているのです。

 

筒井:国家と企業を対応させることの是非はもちろんあることは知っているけど、我々は仕事上、企業を作ることや、逆に企業が潰れる場面に出くわすじゃないですか。すると、アプリオリに国家が存在することを前提とする議論は無意味のように思ってしまう。

国が滅びて憲法が残っても仕方がない。経営コンサルタントとしては、企業統治というとガバナンスって言葉がある。もう一つ、コンプライアンスという言葉もある。
秘書:コンプライアンスに法律の遵守だけではなく内規を含むとしても、社内でしか通用しないからといってどんな内容の内規でもいいわけではないですよね。

 

筒井:憲法が特殊なの?

 

秘書:憲法は最高法規ですから。憲法に違反するあらゆる法律、条例等は無効だし、それを司法機関が判断するための違憲審査権も憲法に定められてる。憲法を読んだことはございますか?その法的性格については諸説ありますが、前文がある点でも特殊ですよね。

 

筒井:自民党の憲法改正案だと、前文は約2倍の長さになってるよね。でも、外国には前文がない憲法もあるでしょ。最高法規という意味では、企業だと定款が最高法規かな?

 

秘書:国と企業の対比は単純にはできませんけれど、日本の憲法は硬性憲法で簡単には改正できない。会社の定款も変更するには会社法上特別決議が必要とされていますね。

 

筒井:会社の定款なんか、よく変えるよね。では、なんで変えるのか、というと、例えば、時代とともに事業の内容が市場に合わなくなってくることはよくある。

 

秘書:定款には会社の目的を記載しなければなりませんからね。

 

筒井:定款の会社の目的の部分は大事だよね。経営陣は定款の変更は、経営戦略の一つとして常に持っている。何が言いたいのかというと、企業は生き残りのために、最高法規である定款を変えることは厭わないんですよ。

だとするなら、国家の生き残り戦略の一環として、憲法改正はありだと思う。こういう考え方だと、1946年憲法も、日本国家の生き残り策だと思うんだよ。押し付けられたとか言う人がいるけど、そういうことではない。国家として生き残るために日本が自主的に選択したはずだよ。首相が自害しようが、そんなことは選択の自主性には関係なく。

 

秘書:会長はコンサルタントだから世界の様々な情勢もよく調べていらっしゃるはずですけれど、もちろん日本の現状も踏まえて、憲法改正の必要についてどのように考えていますか?

つまり、国家消滅の可能性はあるとお考えですか?あるとすれば、国家消滅の回避のためには憲法改正の必要性があると思われますか?

 

筒井:憲法改正をしないと日本が潰れちゃうリスクがどこにあるか?ということだよね。今の日本国憲法が制定されたのは1946年でしょ。良くも悪くも、戦争直後に制定されたという色が濃く出ているのではないか思うのだけど。

日本国憲法は、戦後直後の時期において、「日本という国が生き残るために受け入れざるを得なかった種々の条件」の中で制定されたわけで、その「種々の条件」は変わっているんじゃないのかな。国家消滅の可能性というと、1946年憲法の射程範囲が現実に追いつかなくなったときが危ない。現在の日本国憲法は、軍事紛争にまったく対応できない。ここで私が「軍事紛争にまったく対応できない」と言っているのは、軍事紛争に日本が直接関わるとかしないということではなく、「憲法の射程範囲」が現実とマッチしているか、ということだけ。

 

秘書:憲法の射程範囲が現実とマッチしていないとは具体的にはどういうことでしょうか?現実=軍事紛争という意味でおっしゃっているのでしょうか?

 

筒井:「現実=軍事紛争」ではない。今の世界をどう見るかだけど、「一超多強」じゃん。1つの超大国と多数の強国とか大国から世界が構成されているという意味。「パックスブリタニカ」とか「パックスアメリカーナ」は、一超多強状態での世界の平和だよね。冷戦終結後では、もちろん、1つの超大国とはアメリカで、多強には、欧州、ロシア、中国、インドを言うようです。

日本は入らないのかというと、軍事力が足りないということらしい。この一超多強状態での世界平和の維持の条件の一つは、1つの超大国と多数の強国の間の差が大きいこと。

では、現在の「パックスアメリカーナ」の終焉はあるか、ということを考えると、パックスブリタニカの末期と同様に、「一超」と「多強のトップ」との差が、いくつかの意味で縮まっていることが確かでしょ。アメリカと中国のことだけど。

 

こう考えるとパックスアメリカーナの維持は容易ではない。「パックスブリタニカ」の終焉のときは、第一次世界大戦の開戦のように、最後は急展開した(注1)。1946年という第二次世界大戦直後では、世界秩序が急に展開するということは世界のどの国も想定していなかっただろうけど、これからはそうではないかも知れない。「憲法の射程範囲が現実とマッチしていない」の一つの意味はこういうこと。

 

秘書:だからと言って安全保障について、集団的自衛権のような軍事的なイシューに議論が集中する理由はあるのでしょうか。経済安全保障など、非軍事的な手段も考えられるし、国際政治上の日本のブランディングという点でも、非軍事的な安全保障の提案などをもっと積極的に行えばよいのではないかとも考えられます。

そもそも一超多強と言った時に、日本は強国に入ってない。それは、日本は経済力はあるけど軍事力を持たないことが理由です。ジョセフ・ナイが「ソフトパワー」ということを言っていますが、基本的には覇権は、軍事力と経済力で決まる。

 

筒井:一つは日米同盟ですよ。今回の集団的自衛権の議論の根底には日米安保条約がある。私は現行の憲法を考えるとき、必ず日米安保条約をセットで考えないと、世界的視野で日本がどのように見られているのかを見誤ると思う。日本が強国でないことと、日米安保条約は強く関連している。日本を外から見ると、第二次世界大戦後の日本は、軍事と外交をアメリカに丸投げして、政治は内政、特に経済成長に専念することができた、とみられている。

確かに、戦後の日本は海外経済援助(ODA)の形で海外にかなりの金銭を出したけど、そもそも強国どころか、自立した国とは見られていなかったのかも知れない。

 

秘書:会長は常日頃より、田中清玄先生の言葉を引用して「国の自立には、食糧、エネルギー、安全保障だ」って言っていますが、私は国家としてのビジョンが大事で、安全保障についての集団的自衛権のために憲法を改正する云々より先に、この先の国家としての日本の姿を国民全体で議論すべきだと考えています。

もちろん、日本国民が率先して戦争をしてはいけないし、会長がご自身で「消滅してたまるか:品格ある革新的持続へ」(文芸春秋、2015)に寄稿していたとおり、人口減少の問題こそが、日本という国が生き残るためには解決しなきゃいけない問題だと考えるわけです。消滅してたまるか、というのは何も地方だけの問題ではないと思います。

 

筒井:そりゃ、その通りです。経営コンサルタントとしては、企業などの組織を見るときに、まず「存在理由」を問うんですよ。その組織が存在すべき理由がなければ存在しなくてもよい、というのがビジネス界の掟だと思う。

もちろん、それが国際政治にそのままあてはまるかどうか、というとそうでもないけど。これから日本は、存在意義を問われるようになるでしょう。

そのとき、日本国民は日米同盟についてどう考えるのか、について判断せざるを得なくなるはずです。田中清玄氏が自伝の中で言っているのは、アメリカは尊大で傲慢で、基本的には歴史の長さも文化の深さも大したことがないアメリカが自ら「世界ナンバーワン」であると言っているのは自惚れていい気になっているだけだと(注2)。そんなアメリカに盲目的に追従していいのか、と。

今、田中清玄氏のようなことを言う日本人は少ないように思うけど、憲法問題を考えるなら、こういうことも考えないといけないと思うよ。今となっては日米同盟は日本に組み込まれすぎていると思うけど。

 

秘書:日本国の存在理由は、現行憲法の第1条から第8条までと関わるのかも知れませんけれど、それは別のところで論じることにして、では日本国としてまず掲げるべきビジョンはなんですか?

 

筒井:独立自尊、「一身独立し一国独立す」ということでは。福沢諭吉。蛇足ですけど、福沢諭吉の「脱亜論」はアジアとの連帯と言ったかと思うと、福沢の個人的な感傷からか清国や朝鮮を軽視したり、ちょっとふらふらしていて使い物にならないと思う。

 

秘書:ちょっとふらふらの部分がよくわかりませんが、肝心の砂川判決をどのように捉えていますか。

 

筒井:アメリカによる日本への内政干渉でしょ。アメリカが得意な戦法ですよ。だけど、当時のアメリカと日本の関係は、せいぜい、大企業と下請けの関係ですよ。いくら法律を整備してもパワーバランスだけで決まることもあるということだけ。逆に、違う形の砂川判決があり得たか?というと、どうだろう。やはり歴史にIFは禁句じゃないのかな。

 

秘書:私は前回のコラムでも暗に述べたように、集団的自衛権の行使を認めるか否かの是非と、砂川事件判決はあまり関係ないと考えています。先ほども述べたとおり、我々国民が今考えなければならないのは国家のあるべき姿、会長の言葉を借りるなら国家が消滅しないために独立自尊するための方策であると思います。軍事だけを議論の対象としていることが不自然ではないかと。

 

筒井:さっき、これまで覇権国家となるためには軍事力と経済力が必要だったと言ってたでしょ、ある意味、あれはあれで正しいんだよ。四元義隆氏も「政治は最高の道徳だ。政治は力だ。力なくしては何もできない」と言っている。この言葉はアメリカのやり方を思い起こさせる。一方、田中清玄氏、四元義隆氏の師匠である山本玄峰老師は「力で立つ者は力で滅びる。金で立つ者は金で滅びる。徳で立つ者は永遠じゃ」とも言っている。私はこの言葉を日本人はもう一度、実践すべきじゃないかと思うのだよ。世界史に対する挑戦だけどね。

(注1) パックスブリタニカの崩壊過程におけるドイツの役割とか思い出してみると良いだろう。パックスブリタニカの終焉がいつなのかは多少の誤差は説によって違うだろうけど、第一次世界大戦後には世界平和はなかったという意味で、第一次世界大戦の時期がパックスブリタニカの終焉と重なっているのは確かである。「当時のヨーロッパ列強は複雑な同盟・対立関係の中にあった。列強の参謀本部は敵国の侵略に備え、総動員を含む戦争計画を立案していた。・・・(中略)・・・各国はドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアからなる中央同盟国(同盟国とも称する)と、三国協商を形成していたイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国(協商国とも称する)の2つの陣営に分かれ」(Wikipediaの「第一次世界大戦」の項)ていた。
このような状況で、サラエボでイツ・オーストリア帝国の皇太子が殺されると、一気に世界大戦に突入した。イギリスを一超とする一超多強状態を壊したのは、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国の台頭だった。テクノヘゲモニーという言葉があるが、イギリスは19世紀に産業革命を経験し、技術的、それはすなわち軍事的に世界のトップとなったが、第一次世界大戦のころの技術力のトップはドイツであった。現在はパックスアメリカーナであり、パックスブリタニカの崩壊過程におけるドイツに対応するのが、中国である。ただし、現在の中国は、技術力でアメリカには大きく劣ると私は考えている。
(注2) 「オットー大公らが始めた欧州連合も、45年かかって、マースリヒト条約の各国批准、経済市場の統合というところまでおぎつけました。日本も口先だけでなく、もっと真剣にアジアのことを考え、行動しなくてはならない。それを日本がやり切って初めて、アジアの人々は日本を見直し、心底から尊敬の念を抱いてくれるでしょう。ところがそれを何より警戒し、実現させたくないのがアメリカだ。この国は自分たちの意のままに、自分たちの影響下に、日本もアジアもヨーロッパも世界中を、置いておきたいのだ。」(田中清玄自伝(ちくま文庫、p.339))

 

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