自由民主党政務調査会審議役  田村重信氏・インタビュー【第1回】

『歴史から紐解く日本人の心理』

◆取材:加藤俊 /文:山田貴文

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2012年12月、憲政記念館で安全保障を基調テーマとする講演が行われた。憲政史上初という歴史的な講演に立ったのは、青年時代から政治に興味を抱き続け、それから長年、日本政治の内側を見てきた自由民主党政務調査会審議役の田村重信氏。2005年からは社会奉仕活動の一環として、日本論語研究会を主宰しており、論語の教えである「言行一致」を実践する学びの場を提供している。

 そこで今回は、昭和50年に拓殖大学政経学部卒業後、宏池会の門を叩いた知られざる秘話や日本が歩んできた歴史を深掘りしていきながら、全国各地で賛否両論を巻き起こしている安全保障関連法案について専門家、または与党の立場として考える視点に迫った。

※このインタビューは2015年8月に行われたものです。

■青年時代に経験した『トップ』の仕事

筒井:今日は、田村先生が職業として政治を目指されて、自民党に奉職されてからこれまでのことをお聞きしたいと思っています。

 

田村:僕は新潟県の田舎、栃尾市の出身。今はもう合併して、長岡市になっています。だから、櫻井よしこさんと会ったときに「僕はあなたに吸収合併された」って言って。櫻井よしこさんは長岡なの。僕は、河井継之助とか、山本五十六っていうのは、あんまり評価しないの。小説を読んでいる人は評価するけど。

結果として、長岡を火の海にしたとか、日本全体をどうしたということを考えると、あまり評価しない。だから、僕の仲人で、尊敬する政治家でもある、村山達雄(元大蔵大臣)という人がいるのだけれども、村山さんがあるところに文章を書いていて、山本五十六が長岡中学に講演に来た時のこと、その際に、村山先生は「やたら寒かったことだけが記憶にある」と。それしか書いてないの。意味深長でしょ。

 

筒井:講演の中身については何も触れないのですね。

 

田村:「講演内容は覚えておらず」というのです。「やたら寒かった」と。だから、マックス・ウェーバーの『職業としての政治』を読めば分かるけど、心情倫理と責任倫理という話がある。大事なのは、政治家というのは責任倫理だと。結果的に、いい政治をしなきゃいけない。結果的に火の海になったり、戦争の惨禍を繰り返すようになってはいけない。いくらそれがかっこよくて美しくても。

ところが、心情倫理というのは、学者・文化人が「それは憲法違反の自衛隊」とか、好き勝手言ったって、別にどうってことないの。

栃尾ってところは、上杉謙信が若い時に勉強した所。だからこそ上杉謙信という人物を非常に誇りに思うわけだよ。それが長岡になると、それは小説とか……。だいたい人物っていうのは小説がヒットすると、大人物になる。でも、実際、その時の政治で評価される人と、小説を書いて人気が出る人と、違うと思うの。

例えば、小村寿太郎は『ポーツマスの旗』で超有名になった外務大臣。その時はでも、総理大臣というのは桂太郎なの。だから、桂太郎は長く総理大臣をやったわけだよ。それは様々批判があるにしたって、あの時、やっぱり桂太郎が日露戦争を仕切った。そういうこと。

そういう意味では、僕が卒業した拓殖大学を創設した桂太郎も誇りを感じる。だから、そういう意味では、世の中、小説でうけているものと、実際の史実の中で、本当にちゃんとした人とは別だというところを、ひとつ考えてみる必要があると思う。

 

筒井:いつごろから政治を意識されたのですか?

 

田村:僕が政治というものに関心をもったのは、中学校時代の生徒会の時。僕は手を挙げて執行部に対して色々批判していた。僕はいい意見を言っていると思うのだけど、どうも全学生、生徒は最終的にはやっぱり執行部というか、体制を支持すると思ったの。

それで、僕は高校に入った時に、クラスで弁論大会の代表に選ばれた。そこで意見を言った。でも、めちゃめちゃ下手だったの。ヤジも受けたし、自分でも反省した。でも、その時に何を考えたかというと、ああ、僕は人の前で話をしたと。失敗したけどいい経験をしたと。

一方で、段の下でゲラゲラ笑って僕のことを批判した人は、それだけしかやってないと思った。その後、生徒会長の選挙があった際、立候補した。どちらかというと僕はノンポリ(nonpolitical)だった。そしてもう一人、珠算部っていう一大勢力から有力候補が立候補してきた。最終的に雌雄を決するのは、全生徒が集まって、全校の討論大会、演説討論大会。

それぞれの候補者が演説して、その後、質問するわけだ。最初はやらせの質問が多かった。ところが、そのうち、やらせでない質問がどんどん出るわけ。そうすると、今度は僕のほうが早く手を挙げて、きちんと答えたの。多少勉強していたから。そうすると、反対のほうがどんどん慌ててきた。僕が手を挙げて答えると片方のほうから、万雷の拍手が沸き上がってきた。それは女生徒だよ。そうして、集会が終わった。

僕はその時の選挙参謀に「まあ、選挙は分からないけど、あなたのおかげでこういう場で選挙が戦えて、こうやってうけたから、僕は本当に良かったと。感謝するよ」と言った。蓋を開けたら、50票差で勝ち生徒会長になった。そうすると、自分で実行しようと思ったことは、実行できるわけよ。これが政治だと思ったの。

 

筒井:自分で実行しようと思ったことは、実行できるというのは為政者ですね。

 

田村:だから、批判してもだめなの。やっぱり政権取らなきゃ。与党を取る。執行部。そこで僕は考えたの。例えば、牛乳の自動販売機がなかったから、それを設置しようと。たいした話じゃないかもしれないけど、そういうことができる。その当時、靴は黒い靴で登校しないといけないという規定があったけれど、運動靴でもいいのではないかという提案をして、運動靴でも登校できるようにした。

それに加えて生徒会長は、新聞に原稿を投稿しないといけない。書いたけど、担当の英語の先生から、怒られたの。文章が下手だから。本当に下手だから。僕は本をほとんど読まないで育った。本なんかない家だから。だから、家で「勉強している」なんて言ったら親に「下へ降りてきて、掃除してからやれ」と。「勉強なんかいいから」と。

そういう家庭に育ったわけだから、家の中に本なんかないの。だから、本を読み始めたのは高校の時で。読書感想文ってあるじゃない?その時に、初めて本らしい本を読んだの。長い本は苦手だから川端康成の『伊豆の踊子』だな。短いから。

 

筒井:川端康成がお好きだったわけではないのですね。田村先生の時代だと、三島由紀夫はすぐに名前が挙がる方ではないですか。三島由紀夫の晩年は政治活動家のような扱い方をされていましたが。

 

田村:読んだ、読んだ。そのあと、本を読むようになった。僕も凝ったよ。三島由紀夫とか。あの頃は、河童ブックスね。KKベストセラーズ。あの新書が非常に流行した時代なんだ。だから、そこに石原慎太郎とか、三島由紀夫ね。けっこう読んだよ。

あとは三島の『豊饒の海』とかすぐ出て、全部読んだ。あと、僕らの世代的には、五木寛之だな、『さらば愚連隊』とか。『青年は荒野をめざす』とか『青春の門』だよ。そんな程度だったね。

だから、結局、高校の生徒会長をする。そうすると、人の前でそこそこしゃべることもできるようになるからね。ああ、なるほどと。結局、生徒会長に出たのも、人の前でしゃべるっていうのは、必ずあるだろう。大人になって、小さな会社に入ったって、朝礼っていうのがあるだろ? そこでみんなの前で話さないといけない。だから、学生の時にそれの訓練をしといたほうがいいだろうって。

あと学生は失敗が許されるから、ということで。大学は、まだ田舎だったから、変な話があるんだよね。東京で大学に入ると、夏に帰ってくると、腹を大きくした女の子を連れてくるとか、そういう話があったりして、えらい心配。分かる? それで、僕の関係するところで、拓大の先輩もいるし、あそこなら大丈夫だろうと。

 

筒井:それで拓殖大学に進学されたのですね。

 

田村:そうそう。学校長推薦で入学した。英語があんまりだめだし、入れるところないし、東京に。僕の高校なんて、大学に行く人はほんの一握りだから。なにせ、東京に出られるっていうだけで、すごい話だから。うちもその頃、多少裕福になったから、大学に出してやるって言って。それで大学に行ったんだ。それで拓殖大学に入って。

それから、大学で勉強し始めた。学生自治会に入ったりして。それで、学内で弁論大会なんかがあると出たりして。最初はだめだったよ。次は二位だったけど。その次は優勝だよ。あとずっと優勝になるから、僕が出ようとすると弁論部が来て「田村さん、出ないでくれ」って。

「あなたが出ると優勝が決まるので、他の人ががっかりするから出ないでくれ」って言って。そういうふうになった。だから、なんてことないの。勉強すりゃできるわけで。

僕は、3年、4年から和敬塾っていう大学の寮に入った。和敬塾では、有名な人の講演会っていうのがあって、その講演会を聞いて、そういうのを参考にしながら、演説の資料を作ったり、本を読んだり。だから、すごく恵まれていた。弁論資料とか勉強資料とか。

結局、なんでもそうだけど、スピーチなんかもそうだけど、みんな上手になるわけよ。しゃべるのが下手なのはしゃべらないだけ。講演しないだけなの。最初は、僕だってものすごい人よりも下手だったけど、一応しゃべれるようになるわけよ。それは場数踏んで、やればいいんだよ。僕は歌うまいでしょ?

 

筒井:はい。先生の歌のCDも持っております。

 

田村:それは若い時からいっぱい月謝払って歌っているから、うまいに決まってるんだよ。歌が下手な人は歌ってないだけで。なんでもそうなの。やっぱりチャレンジ。

だから、今の若い人たちがだめなのは、チャレンジしなさすぎること。今の日本人が悪いのは、屁理屈ばっかりで、行動しないこと。人の揚げ足ばっかり引っ張って。

今、若い人たちが、例えば就職できないから困っているなんて言って、それに対して、政治家も学者も「いやあ、今は世の中、良くないから。安倍政権が良くないからね」って言って、就職できない理由を社会が悪いからとか言うわけでしょ?

そうすると、余計勉強しないで、人物的にも受かりそうもない人が余計さぼっちゃうわけだよ。ひどい罪作りなの。今、それがやや蔓延している。僕はそういう勢力といま果敢に戦っているの。

 

筒井:おっしゃる通りだと思います。私は以前、自民党の一階で勉強会があって、それに参加したことがあるのですけど、そのテーマは教育の問題でした。それで、大学で何を教えるか、という内容で。そしたら、大学の目的として、就職できる人間を育てるっていうのですね。そういうスローガンがあって、それを見て、私は途中で帰ったのですけど。

確かに就職できるというのは大事かもしれないのですけど、それ以上に、自立できるっていう概念っていうのが、なんか日本には足りないのかなと思うこともあるのですけど、いかがですか?

 

田村:両方必要だな。というのは、自立するなんていうのは、「俺は自立して、勉強しないでデモに参加する」って、そういうのも困っちゃうわけだよ。だから、ホリエモンなんかが……。これ活字にするとき、デリケートだから注意しないといけないけど。

 

筒井:最近の問題ですと、政治デモに参加するような人は採用しないと言われていましたね。

 

田村:それはそうだよ。あの程度の考え方に傾聴して、デモをするようだから。とてもあの程度の頭だと、会社にとって、社員として働いてもらうっていうのは、それはあかんよという話。けっこうそういう話あるの。だから、勉強をしたらいいのだよ。僕なんかは子どもの頃は勉強しなかったけど、勉強すればするほど良いことばっかりだから。

なんでもそうだけど、チャレンジすれば良いことばっかりだし。失敗すれば、また同じ失敗しないしね。だから今、それがもうだめだよね。何にもしないで、屁理屈、評論家みたいな人で。それで、変な話、うっかり捕まって。それで変な宗教団体に入るとかね。いま困るのは一流大学を出て、一流の会社に入って、途中で挫折してしまうと、どうにもならないって人がいるのだよ。

それはやっぱり、僕らは特に、幼い時は色んな人と争ったり、独りでいるとやられるから、グループに入ったほうがいいとか、そういうのを経験しながらやってきたけど、今はもうそういう経験ないし。大学の時は大学の寮にずっと入っていたからね。二つの寮を経験したからね。そういう人間関係だね。人間、怒られたことのない人は一発怒られると、もう相手を怨んじゃったりするような人が出たり。ものすごく、そこらがだめになっているね。(次号に続く

 

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プロフィール/田村重信(たむら・しげのぶ)…1953年新潟県長岡市(旧栃尾市)生まれ。拓殖大学政経学部卒業後、宏池会(大平正芳事務所)勤務を経て、自由民主党本部勤務。党本部では、全国組織委員会で党員の研修活動、支部組織の活性化を担当。その後、政務調査会で農林・水産、憲法、沖縄、安全保障政策等を担当し、橋本龍太郎政務調査会長の下で政調会長室長、橋本龍太郎総裁の下では総裁担当、事務副部長を歴任。現在は自由民主党政務調査会審議役、日本論語研究会代表幹事などを務める。

 

●インタビュアー/筒井潔(つつい・きよし)

慶應義塾大学理工学部電気工学科博士課程修了。合同会社創光技術事務所所長。株式会社海野世界戦略研究所代表取締役会長。「南山会」会長。アジアパシフィックコーポレーション株式会社代表取締役社長。共訳書にIsihara「電子液体:強相関電子系の物理とその応用」(シュプリンガー東京)、共著書に「消滅してたまるか!-品格ある革新的持続へ」(文藝春秋)がある。

◆2016年2・3月号の記事より◆

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