オビ 企業物語1 (2)

株式会社ルケオ ‐ レンズに曇りなし 辛苦の体験が育んだ先手先手の経営哲学

◆取材:綿抜幹夫 /撮影:周鉄鷹

 

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歪み検査測定器などで国内外に広く知られる光学機器メーカー株式会社ルケオ/代表取締役会長兼CEO東京商工会議所 板橋支部/会長 吉村健正氏

 

安倍晋三首相の再登板に引っ掛けたわけではないが、日本のモノづくり界は今、ありとあらゆる面で着実に、〝戦後レジームからの脱却〟に向けて動き出している。その一つが、〝都市型小規模企業〟とでも呼ぶべき新たな概念の下に生まれた、新たな経営フォルムだ。

かつてのようなネズミ算式の拡大路線は、けっしてとらない。大都市ならではの良質な情報と通信・物流網を最大限に活用した、下請けならぬ〝横請け〟技術者集団である。

 

そこでこの人に注目した。僅か30人の小規模ながら、ガラスやプラスチックの製品づくりに欠かせない、歪み検査測定機で国内外に広く知られた光学機器メーカー、ルケオ(東京・板橋区)を率いる吉村健正氏(65歳)だ。

 

人事を尽くして天命を待つ

まずは何をどうやっている会社か。その辺りから話を進めていこう。

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前記したガラスやプラスチックの歪み検査測定器をはじめ、各種光学センサーユニット、ガラス強度計、目視検査用光源など、ひと言で言うと光学機器全般の開発・製造販売会社である。「ルケオ」なるちょっとイカした(?)社名は、ラテン語で「明るい」とか「輝く」ことを意味する。

 

創立25周年(1991年)を機にCI(コーポレート・アイデンティティ)を導入、その一環として旧社名の「明照光器」を改めたものだ。 

もちろん社名やロゴマークを改めるだけがCIではない。

 

──働きやすい職場から、お客さまのニーズに合った製品を積極的に生み出し、社会に貢献する。

と謳った同社の企業理念も、おそらくはそのとき社員みんなで確認し合ったに違いない。その〝積極的に生み出し〟というところが実は重要なポイントで、

 

業を企ててこそ企業です。それには下でも上でもない。顧客(カメラや顕微鏡、精密機器などの最終製品メーカー)と同じ立場で戦略的、戦術的に製品を開発し、提案する横請け型の経営フォルムでなければならない、というのが私どもの基本的な考え方です」(吉村氏、以下同)

 

これはけっして背伸びではない。もはやそうでなければこの事業はやっていけないからだ。ご案内の向きは多いだろうが、東京・板橋区は元来、世界にも知られた日本光学機器界の聖地であり、メッカ(発祥地)である。それが今では時代の流れに押され、「絶滅品種ですよ(笑い)」というほどまでに少なくなった。

 

これは何も光学機器の業界に限ったことではない。この国のモノづくり界全般に言える、時代の趨勢というやつだ。高度経済成長の波に乗ったはいいが、その間にやるべき(振り返る、学習する、考える、先手を打つ)ことを怠ってきたツケと言っていい。

 

Luceo01 「ちょっと景気が良くなると、後先考えずに大きい工場を建てたりね。拡大路線にばかり突っ走ってきたから、逆に景気が落ち込んだり、アジアの新興国がローコストとマンパワーを武器に攻勢を掛けてきたりすると、一挙に淘汰されるわけですよ。景気は必ず循環しますし、経営環境も常に変動します。要はそれを見越して、先手、先手と手を打っていくことなんです。

 

幸い東京23区には、会社経営に必要な情報がいっぱい溢れていますし、良質でスピーディーな通信・物流網が張り巡らされています。これを活用しない手はありません。活用して顧客のニーズに合った、付加価値の高い製品づくりを積極的に進めることですよ。もちろん得意とする技術を活かしてのことですが、それによってはつくるモノ、目指す市場を、まったく新しいものに変えたっていいんです。

大企業ではなかなかそうはいきませんが、所帯が小さければ難なくできます。それが都市型小規模企業の強みだと、私は思いますよ」

 

ちなみに同社は2012年度の第2四半期を終えたばかりだが、その3カ月間は連続して、

「リーマンショックのあとより遥かに悪い業績が続きました。会社が始まって以来のドン底と言って過言ではないと思います。だからと言ってあまり心配はしていません。早くからそれを見越して手は打ってきましたし、今も次の手を着実に打ち続けていますから。シャレではありませんけどその点、私のレンズには一点の曇りもありません

 

禍福は糾(あざな)える縄の如しで、景気や経営環境の変動は常にやってくる。たまたま今回は大きな打撃を被ったが、それもこれも見越した上で、いつなんどきも人事を尽くして天命を待つこと。それが都市型小規模企業経営者の矜持であり、覚悟だと氏は言うのだ。

 

 

工場も田畑も手離して掘っ立て小屋から再スタート

話は少し飛ぶが、氏には現在37歳の長男がいる。工場を任されている常務取締役で、時期社長を期待されている吉村健太郎氏だ。

 

「入社してこれまでは順調にきているところしか見ていないので、彼も今回は本当にいい体験をしたんじゃないでしょうか。この逆境に父親がどう対峙し、どう手を打ってきたかを具(つぶさ)に見ることができましたから。こればかりは、口でいくら教えても分かることじゃありませんよ」

 

実のところこの述懐にこそ、氏の矜持や覚悟、更に言えば育んできた哲学の源泉が隠されていると言っていい。話はまた少々飛ぶが、それを知るには、約半世紀前のある出来事から紹介しなくてはならない。

最盛時には250人もの従業員を擁した実父の経営する会社(レンズ工場)が、財務の悪化から解散を余儀なくされたのである。

 

「人の好い父でしてね。早く言えば騙されたんですよ。自分の持っていた技術を全部持って行かれて、気が付いたら顧客からは注文を打ち切られるし、優秀な技術者はほとんどいなくなるし、どうにもならない状況だったんです」

 

時折しも、氏が大学受験を控えた高校三年生の初夏である。

「1000坪近くあった鶴ヶ島の工場はもとより、組立工場や持っていた田畑も全部手離しましてね。残ったのは自宅だけでした。そんな中でも必死になって、私を大学にやるために父は金を集めてくれたんですよ。あの時はさすがに勉強嫌い(笑い)の私も、ガムシャラに勉強しました。それにしてもタフだったんですね、父は。その年の秋には新しい会社をつくったんですよ、自宅の庭に掘っ立て小屋を建てて」

 

時に1966年9月、これが今日あるルケオ(当時の名称は明照光器)の創業である。

 

「でも会社はつくったものの、金はない、人はいないでしょ? 私もすぐに運転免許を取らされましてね、どこどこの研究所やらカメラメーカーやら金融機関やら、毎日のように父を車に乗っけて東京中を走り回ったものです。今だから笑って話せますが、あのときの父の苦労は並大抵じゃありません。一緒にいた私にとっても、もの凄い実体験になりましてね。それが、曲がり形(なり)にも私をここまで育ててくれた源だと思っています。この体験は私にとって一生の宝物ですよ」

 

そんなこんなをしているうちに、あるきっかけから同社は一大転機を迎えることになる。

 

「ウチに偏光フィルターを収めていた高齢の技術者から、後世に伝えたいと言って、技術の伝授を申し出てくれたんですよ。そこで共同研究という形で、その頃需要が増えていた一眼レフカメラに使う偏光フィルターの開発に取り組んだところ、フィルムをガラスに接着するのにたいへんな苦労はしましたが、何とか成功しましてね。結果的にこれが大ヒットしたというわけです」

 

ちなみに当時の人気は国内にとどまらない。これに目を着けた商社が海外に紹介したところ、明照光器の偏光フィルターは、瞬く間に世界に知られることになるのだ。しかし好事魔多し、である。

 

 

働くことの意義、企業としての存在意義

「この仕事をやっているとある意味で宿命的なことかも知れませんが、どんなに優れた技術も真似られてしまうんですね。オイルショック(1973年~74年)からしばらく後に、その弊害をモロに被ることになりました。円高の影響もあって、おまけにカメラ用の需要が見る見る減り始めたんです。そうなるとアッと言う間ですよ。まさにローリングストーンズ(転がり落ちる石)です。あのときはさすがに、今度はもうダメかと思いましたね」

 

しかしそこは、(元々はひ弱だった=本人談=が)あの厳しい父親に鍛えに鍛えられたタフガイである。農業用選別機のセンサーや顕微鏡用のフィルターに需要があると見るや、躊躇なく方向を転換、それまでに培ってきた偏光や波長の最先端技術を駆使して、見事、業界に先駆けて開発してしまうのだ。

 

とりわ顕微鏡の偏光フィルターの分野では文字通り独走、以来、国内外の主要メーカーと取引するまでの成長を果たしている。これに加えて、冒頭に書いた歪み検査測定器の大ヒットだ。ぶったまげる他あるまい。

 

「いえいえ。たまたまそういう相談があったから恵まれただけで、それについては感謝する他ありません。それより問題なのは、オイルショックの頃に、順調だからと言って、何も手を打ってこなかったことですよ。しっかり手を打っておけば、あんなに慌てることもなかったんですから。その意味ではここでもまた、何にも代え難い貴重な体験をしたと思っています」

 

ということで、もうお分かりだろう。業績が良いからといって慢心することなく、悪いからといって落胆することなく、体験したことをきちんと振り返り、学習し、考え、先に先にと手を打つことが、如何に大切かということである。ついでながら、

 

「大切なことと言えばもう一つありますよ。当社の企業理念にも謳っていますが、社会にどう貢献するかということです。企業はそれがなければタダの金儲け集団で、働くことの意義はもちろん、存在する意義すら薄れようというものです」

 

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ちなみに同社は今、NPO法人「緑のカーテン応援団」の環境運動にも積極的に取り組んでいるという。これは家々の窓外や縁側にゴーヤやヘチマ、夕顔などのツル植物を植えるなどして、張り巡らせることで日除けをし、自然の涼みを取り戻そうという運動で、節電効果(CO2の排出削減)は言うまでもなく、子供の教育や地域のコミュニティづくりに役立つなど、有形無形の様々な社会貢献に繋がる。

こうした取り組みが認められ、同社は平成24年2月に「『緑のカーテン』コンテスト・審査員特別賞」に輝いた。

 

「実は私が通っていた小学校(板橋区立第七小学校)が、緑のカーテン発祥の地なんです。音楽教諭をされていた菊本先輩が10年ほど前から始めた運動でしてね、今では全国規模に広がりつつありますよ」

 

TVニュースなどですでにご存知の向きも多いだろう。東日本大震災の被災地の仮設住宅の縁側に下げられたあの緑のカーテンも、実はこの運動の成果である。

 

技術が良くても経営が悪いとダメ

最後に今、日本のモノづくり界には何が求められているか、また今後ますますグローバル化する中で、中小企業の経営者はどういうことに留意すべきかについて訊いてみた。

 

「一番はやはり、技術もそうですが会社の付加価値を如何に高めるかでしょう。そのためには顧客のニーズを正確に読み、先手、先手で次の手を打っておくことだと思いますよ。

ウチの例で言うと、大体15年周期で大きな変化がやってきて、7年周期で小さな変化が起こっています。その都度それを見越して、フルモデルチェンジに踏み切ったり、マイナーチェンジをすることが求められてきました。そこで気が付いたことですが、そのためには技術だけでは足りません。技術が良くても、経営が悪いと必ずダメになります。したがって経営という視点からも、経営者は我が身をきちんと振り返ることが何より大事になると思います。例えば、決算書を深読みし、分析をして問題点をしっかり把握するとかですね」

 

ということで読者諸氏、御社の次の一手はもう決まっています?

 

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吉村健正(よしむら・けんしょう)氏

1948年生まれ、東京出身。中央大学(理工学部)卒業と同時に、明照光器入社。研究員として東京大学物性研究所に通う傍ら、社にあっては後継者として研鑽を積むなど、長く〝二足の草鞋〟生活を送る。36歳の年に代表取締役社長に就任。1991年のCI導入時に社名をルケオに改めるとともに、その後、代表取締役会長兼CEOに就任する。

株式会社ルケオ

〒173‐0024東京都板橋区大山金井町30─9

℡03‐3956‐4911

http://www.luceo.co.jp/

 

 

 

町工場・中小企業を応援する雑誌BigLife21 2013年5月号の記事より

町工場・中小企業を応援する雑誌BigLife21 2013年5月号の記事より