オビ 企業物語1 (2)

相羽建設株式会社 ‐ 国産自然素材で唯一無二の住宅づくりを 戸建注文住宅に特化、拡大しない企業戦略

◆取材:綿抜幹夫 /文:渡辺友樹

相羽建設株式会社 (5)

相羽建設株式会社/会長 相羽正氏

 

可変性を持つ『木造ドミノ住宅』や太陽の熱を使った『OMソーラー』で、中小企業ながら全国にその名を知られる相羽建設株式会社。国産自然素材を使った戸建注文住宅に特化し、拡大しない企業戦略で独自のポジションを築いた。創業者の相羽正会長は「30歳で人生の計画を立て、その通り実現してきた」と語る。

 

◎戸建の注文住宅に特化 

国産自然素材での注文住宅づくりに特化

同社は1971年の創業当初から戸建の個人住宅を専門とし、加えて幼稚園や保育園、老人ホームなどの木造施設も手がけている。同社の住宅の特徴は、国産の自然素材を使用している点だ。今でこそ自然素材使用をアピールする業者は多くなったが、同社は創業当初から国産自然素材使用を一貫してきた。

また、太陽熱エネルギーを家の暖房やお湯に利用する『OMソーラー』も大きな特徴だ。太陽の「光」で発電する太陽光発電とは異なり「熱」を利用する仕組みで、25年前から導入している。

これらの自然と共生する家づくりが評価され、2005年には東京都の街づくり事業『むさしのiタウン』の事業者に選定。その後もさらに、府中市美好町の都営住宅跡地にて『長寿命環境配慮住宅』の提案コンペにも採択され、16棟の分譲住宅団地を建設し、2014年に全棟完売するなど、東京都との協同事業を行ってきている。

 

唯一無二の住宅づくりで価格競争に乗らない

相羽建設株式会社 (1)写真はいずれも木造ドミノ住宅施工例
相羽建設株式会社 (2)「むさしのiタウン」(東京都東村山市)の上空写真

注文住宅へのこだわりは家そのものだけではない。システムキッチンや浴室、洗面化粧台などの設備や家具についても、既製品を使わずすべて職人の手づくりだという。

手づくりで真似のできない住宅を建て続ける同社のモデルルームには、業界の大手企業からも見学者が訪れる。大手は既製品を使うことによるローコスト志向も多い中で、同社は価格競争に参加しないスタンスを取る。中小企業が大手の価格競争に乗ってしまっては、自分の首を絞めることになるからだ。

他社と比べようがない住宅を建てることで競争に乗らず生き残ってきた同社には、ハウスメーカーやプレハブメーカーが作る建物では満足できない、こだわりを持った顧客が多いという。

 

木造ドミノ住宅

注文住宅専門で長年の経験を生かし開発した規格型住宅が、可変性のある『木造ドミノ住宅』だ。開発には、とくに優秀な技術や技能を持つ建設技能者に贈られる『優秀施工者国土交通大臣顕彰(建設マスター)』を2013年に受賞した大工職人・秋山和雄氏も参加。

外回り、骨組みをしっかり作る一方で、内部は自由に変更できるため、何十年経っても代を継いで住み続けられる。

時代が変われば家族構成も変わる。間取りや使い方を変えられなければ、いくら作りが丈夫でも、子や孫の代まで住み続けられないのだ。同社では「木造ドミノ研究会」を立ち上げ、全国の工務店を会員としてノウハウを提供している。また、各会員工務店は地域ごとの気候や風土に即した木造ドミノ住宅の普及につとめており、本部である相羽建設としては「ドミノ住宅で金儲けはしません。みんなで良くなりましょう」と利益度外視の姿勢で臨む。

 

 

◎30歳で人生を設計

16歳で上京、25歳で独立

1945年、新潟県新井市に生まれた同氏。中学卒業後、東京に出たい一心で、小平市で工務店を営んでいた叔父を頼って上京する。仕事を探しながらブラブラしているうちに叔父を手伝うようになり、そのままなんとなく弟子入りしてしまったというのが、同氏の大工人生の始まりだ。

「16歳で大工になったのですが、親方はとにかく厳しかったですね。9年間修行して、25歳で独立したんですが、早く独立できたのはそんな親方のおかげです。独立して、職人さんを抱えて仕事をするようになり、27歳のときに結婚しました。職人さんたちの世話を妻が行ってくれるようになりましたから、とても助かりましたよ」

 

30歳で人生の計画を立てる

やがて30歳の時、次女が生まれたことをきっかけに、その後の人生計画を決めた。当時の建設業界は大雑把で、いわゆる「どんぶり勘定」な面が多分にあった。かと言って、新潟の実家は裕福ではなく、いざというときにも頼るわけにはいかない。

「妻や子どもたちを守るために、何が何でも自分でやらなくてはいけない。会社を倒産させるわけにはいきませんから、不安定な下請けや手形の仕事をしないとか、そういうことをこのとき全部決めたんです。自分の人生を最後まで計画しました」

 

65歳で引退

10月に古希を迎える同氏の人生は、30歳のときに決めた計画通りに進んでいる。人生計画では「一般のサラリーマン+5歳」で引退すると決め、そのためにどうすれば良いかを逆算した。

創業40周年にあたる2010年に65歳で引退したが、このとき大々的に事業承継の式典を行った。引退にあたっては、すべての不良債権を処理。現在も、同社は不良債権の無い健全経営だ。

 

「会社は社員が大事。社長が一生懸命働いても、社員がついてこなければ意味がありません。ですから、社員たちには私が引退するまでに後を任せられるようになって欲しかった。そこで、引退する7年前の新年の抱負で『7年後に引退する』と宣言したんです。その後はことあるごとに、あと何年、あと何年と言い続けましたよ。おかげで、私が黙っていてもひとりひとりがしっかり働いてくれるようになりました。引退して5年経ちますが、自分の思いを達成できたこと、それをみんなが引き継いでくれたことがすごく嬉しいですね」

 

 

◎『家守り(いえまもり)』のための組織づくり

社員教育を重視

事業承継に限らず、組織には「社員がすごく大事」と語る同氏。社員教育には力を入れており、時間も資金も会社持ちで、社員が望む所にどこへでも研修に行かせている。社員たちはいまでもあちこちに行って勉強しており、同氏が「行き過ぎじゃないかと思うぐらい」と笑うほどだ。

また、社員教育を重視する同社は、東村山市内の7つの中学校から職場体験を受け入れている。最近では高校や大学からの職場体験も増えているという。職場体験は、朝一番からタオル一本を持っての素手でのトイレ掃除で始まり、その後は朝礼で活力を養う。きれいに整列し、秒針を見て時間ぴったりに始まる活力朝礼は同社の名物。大きな声で元気良く行う様子を見学に訪れる企業も多いという。

 

「社長が遊んでいてはダメというのは当たり前です。会社は社員がしっかりしていなければ、いくら偉い社長がいても継続していかない。社員がちゃんとしていて、やる気になっていく組織を作っていかないといけないんです」

 

盤石の二代目体制

4人の娘を持つ同氏だが、長女の娘婿が二代目社長の相羽健太郎氏だ。さらに専務の早川真氏は、三女の夫。経理を務める静世夫人をはじめ、長女夫婦、三女夫婦が同社で働いていることについて、同氏は「娘たちの巡り合わせにも恵まれた」と感謝を口にする。37歳で二代目に就任し現在42歳の健太郎氏は、取材や講演に忙しい日々だ。

 

「堅実に経営していってくれると思います。当社は不良債権が全くありませんから、よっぽど変なことをしない限りは悪くなりません。無理する必要もないですし、背伸びしてかっこよく見せようとしなければいい。おかげさまで、小さい工務店ながら当社の名前は全国的に知られるようになり、二代目も全国を飛び回っています。注目してもらえることはとても嬉しいですね」

 

健全経営で末長く『家守り(いえまもり)』を

工務店は、住宅を建てた後の『家守り(いえまもり)』をしていくことも重要な仕事だ。長年住める住宅であればそれだけ、顧客へのサポート、住宅のメンテナンスを行っていかなければならない。家守りを継続するためには健全経営が必須だが、それには、「絶対に会社を大きくしないこと」と語る同氏。実際に、同社の売上はこの20年近く、15〜20億円で変動していない。

 

「建設業は特に経済に左右されやすい業界。しかし、当社は自分でハンドルを切れる規模にしているので、景気の変動に影響されないんです。オイルショックやバブルもありましたが、良いときも良くならないかわりに、悪いときも悪くならない。バブルのとき、不動産に手を出して稼ぎ、料亭で札束をばらまく仲間も多かったですよ。

ですが、私は『こんなことを始めたら、建築なんてばからしくてできなくなる』と、不動産には決して手を出さなかったんです。バブルが弾けて彼らはみんな倒産し、夜逃げする同業者もたくさん見てきました。当社はバブルで拡大しませんでしたから、弾けたときも動じなかったんです」

 「引退に合わせて株を娘夫婦に半分譲渡し、仕事にも経営にも一切口を出していません。そういうことが大事なんです。会議にも出ませんよ。出ればどうしても一言二言、言いたくなりますから、出ない方がいいんです。私もまだやろうと思えばできるでしょうが、それではキリがない。彼らも頼ってしまうでしょうしね。だから一切関わりません。そうしようと決めていたんです」

計画通りの人生。その裏には、心もまっすぐ、仕事もまっすぐな清らかさがある。住まいづくりは、そんな棟梁に任せたい。

 

〈お宝拝見!〉

相羽建設株式会社 (3)

相羽建設株式会社 (4)

とある縁がきっかけで同社が譲り受けることとなった精巧な潜水艦の模型。操作パーツ(下)に菊の御紋があしらわれているが、実はこの潜水艦、かつては大正天皇へと献上された過去を持つ〝お宝〟なのである。パネルには『呉海軍工廠水雷工場謹製 大正十一年三月二十三日』と刻まれており、操作やメンテナンス方法の書かれた『玩具 潜水艦模型説明書』も付属。実際に水に浮かべて走らせることもできるという。

オビ ヒューマンドキュメントプロフィール

相羽正(あいば・ただし)氏

1945年 新潟県新井市(現・妙高市)に生まれる。

1960年 中学卒業後上京し、大工棟梁の叔父を頼り上京、弟子入り。

1971年 相羽正工務店を創業。

1979年 有限会社相羽正工務店を設立。

1987年 相羽建設株式会社に組織変更。

2010年 取締役会長に就任。

相羽建設株式会社

〒189-0014東京都東村山市本町2-22-11

TEL 042-395-4181

http://aibaeco.co.jp/

木造ドミノ研究会

〒189-0014東京都東村山市本町2-22-11

TEL 042-395-1010

domiken.jp

 

2015年10月号の記事より
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