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直系長男で継承300年。江戸時代からの経験と勘に最先端技術を融合! 柴沼醤油醸造18代当主の挑戦

オビ 企業物語1 (2)

直系長男で継承300年。江戸時代からの経験と勘に最先端技術を融合! 柴沼醤油醸造18代当主の挑戦

◆取材:綿抜幹夫

オビ ヒューマンドキュメント

柴沼醤油醸造株式会社 (2)柴沼醤油醸造株式会社 18代当主「庄左衛門」
代表取締役社長 柴沼秀篤氏
写真上:江戸時代から続く代々当主の母屋

古くて新しい「おいしさ」を求めて

今や世界に知られる万能調味料・しょうゆ。日本では大昔から普及していたように思われるが、実は庶民が気軽に使えるようになったのは江戸時代からだとか。その頃からずっとしょうゆ一筋の柴沼醤油醸造

直系長男が300年以上に渡って家系を繋いできたこの奇跡の会社に、2013年4月、18代当主が誕生した。若きリーダーは歴史ある会社に革新を巻き起こす!

 

 

実は醤油の町だった茨城県土浦市

しょうゆが普及したのは江戸時代。その江戸時代初期は、政治の中心は江戸に移っても、文化や経済の中心はまだまだ上方(京都・大阪地方)だった。しょうゆの産地も上方が中心。特に泉州境で酒とともに作られていた「醤油溜(しょうゆだまり)」は名産品として諸国に流通していた。

江戸が大市場として成長していくと、菱垣廻船や樽廻船が大阪と江戸を結び、評判の上方しょうゆも江戸に運ばれ、「下りしょうゆ」と珍重された。この頃はしょうゆに限らず、上方から下ってくる「下りもの」は高級品、江戸周辺の産物は「下らない」もの、つまり下級品だったという。

 

やがて江戸では、「下りしょうゆ」の割合が落ちて、近郊の地廻りしょうゆが爆発的に勢力を伸ばしていく。

今現在もしょうゆ産地として名高い野田や銚子。そして茨城県土浦市はそれらと並び称され、関東三大醤油醸造地の一角として、醤油作りで栄えた町だった。

土浦に近い筑波山周辺では、しょうゆの原料となる良質な大豆と小麦が豊富に採れた。そしてきれいな水にも恵まれ、土浦で作られたしょうゆは、江戸でも特に珍重された。

諸説はあるが、寿司屋でしょうゆを「むらさき」と呼ぶのは、筑波山が「紫峰(しほう)」と呼ばれていることが由来だとも言われている。

さらに、しょうゆのマークによく「キッコー(亀甲)」が使われているのは、土浦城(別名:亀城)に肖ってのことだそうだ。

 

 

土浦の孤塁を守り通す柴沼家18代当主降臨!

その土浦の地に、300年を超える歴史を誇る老舗しょうゆ屋がある。柴沼醤油醸造株式会社だ。18代当主「庄左衛門」を襲名し、会社のかじ取りを任されたのが現社長・柴沼秀篤氏。

「私が家業に戻ってきたのは4年半前です。それまでは味の素に勤めていました。社長に就任したのはこの4月ですが、戻った時から実質的には代替わりをしていて全権を任されていました」

 

柴沼醤油醸造は創業325年を数える。帝国データバンクの調査では、創業百年以上の長寿企業数(個人経営、各種法人を含む)は2万2219社(2010年8月時点)。それが300年以上となるとどれほど希少な存在かがわかる。

我が社は18代に渡って直系長男が会社を継いで今日に至っています。祖先の思いが脈々と継承されているのが会社存続の大きな要因でしょうね。私は、子供の頃はしょうゆ屋だけには絶対なりたくなかったんです。親の敷いたレールに乗っかるのがいやだった。周囲の〝しょうゆ屋の長男なんだから当然継ぐもの〟っていう目もいやでした」

子供の頃の、家や父親に対する反発は、誰にでも覚えのあることだろう。

「ずっとテニスをやっていたので、プロテニスプレーヤーになるのが夢でした。とにかく父とはまったく違う道を進みたかった。父は進学校である土浦一高(土浦第一高等学校)から一橋大学出ています。当然、私にもそういう進路が望まれていました。だから、違う高校に進み、ぜんぜん違う進路を選びたかった。東京農業大学を出て、味の素に就職したのもそのためです」

 

だが、大人になると違う考えも芽生えてきた。

「どこの会社でも、いい時もあれば悪い時もあります。悪い時を乗り越えるのは、一族の力だったり、その思いだったりするんじゃないかと。どんなに有能な番頭さんでも最後の最後での踏ん張りは難しいんじゃないかと思うようになりました。そこには柴沼家の長男に生まれてきたプライドがあるからでしょうね。家を、会社を守る信念や執念が違うんですよ」

7年半のサラリーマン生活に未練はなかった。

 

 

しょうゆ屋の矜持を胸に……

柴沼醤油醸造株式会社 (3)江戸、明治、大正の3時代の木桶(左)と、桜並木と木桶の散歩道「紫峰の郷」(右)。散策しながら醤油造りの道具に触れて楽しめる

柴沼醤油醸造は茨城県随一のしょうゆメーカーだが、全国規模で見れば30位の中堅だ。生産量で大手と争う道ではなく、その味と品質で勝負してきた自負がある。

「江戸時代から木桶を使い続けていることは、我が社のアイデンティティです。何の世界も同様でしょうが、差別化は大事ですから。近代的な工場での大量生産品とは違って木桶は年を経るごとに深さや味わいが出てくるものです。それはどんな人でも感じることができるほどの差なんです。大手には決してまねのできない部分です」

 

子供の頃、あれほどいやな家業だったが、今ではしょうゆ愛では人後に落ちない。

しょうゆ屋は50年前には5000社以上もありましたが、すっかり淘汰されてしまい、1500社を割り込んでいます。いまどきスーパーの安売りでは、1リットル100円以下でしょうゆが買えたりするんですよ。これはちょっとしたミネラルウォーターより安い値段です。しょうゆの価値ってそんなに低いんでしょうか。

確かに消費者から見れば、安い方がいいに決まっているんでしょうが、行き過ぎた価値破壊はいずれ食の崩壊を招くかもしれない。我々はそんな安売りのしょうゆとは一線を画した価値を大事にしています。昨今の食品の簡便化や低価格化に対して、手造りのよさを訴えていきたいんです」

 

 

新旧の融合が次の伝統を生む!

柴沼秀篤氏が会社の全権を掌握した時、手を付けなければならない問題があった。老舗メーカーにはありがちな問題だ。

「私が会社を継いだ時、醸造の職人を集めて話し合いました。今のままでいいのか。歴史が止まっているのではないのかと。単に職人の経験と勘だけに留まって進歩というものが見られなかったからです。他所から見れば、古い伝統の継承で、いいことのように思われるんでしょうが、私はそういう体制ではダメだと感じていたんです」

 

そこで、後輩である東京農大のマスター(修士)とドクター(博士)を研究職として採用、新たな知識や技術の導入を図った。

「彼らを職人たちに引き合せました。彼らには現場に入って最新の知識をどうやって活かすか考えなさいと。当然、反発が起きるわけです。彼らからすれば、ラボで学んできたことと比較すると如何にも非効率なことをやっていると感じるし、職人からすればこれまでのやり方を変えたくないし、技術や知識なんてものは先達から盗むものとの意識もある。だけど、衝突しながらもいつか歩み寄りがあるだろうと思っていました」

 

反目し合いながらも、一緒になって汗をかいているうちにお互いを理解するようになった。半年、1年と経って、職人も彼らに任せ始めるようになってきた。

「彼らには1年間、とにかくデータだけは取っておけと命じておきました。職人の経験や勘がきちんと役立つように、形(データ)として残しておきたかったからです。経験と勘が具体的な数値として分かっていれば、それを新しい知識とどう結びつければいいかも分かってくるはずですから。そうやって両者の持っているものが融合してくると、もちろん失敗もあるんですが、どんどん品質が向上していきました。香りがよくなる、アルコール分が高くなる、旨味が増す……。そうなると職人側も認めざるを得なくなります」

 

若い研究職と古くからの職人が、お互いを尊重しながら仕事を進めていくことができるようになっていった。

そうして伝統の中にも新しいものを取り込むことが出来てくると、思わぬ副産物が生まれた。モノづくりをやりたい若い人が入ってくるようになったのだ。

「今一番若い子は短大を出たばかりの21歳です。そういう若い子にも重要なパートを任せることで、モチベーションは高く保てます。これが中小企業の強みとも言えるかもしれないですね。任されることの喜び、面白みを知ってもらえますから」

 

 

新時代の柴沼醤油を価値あるものに

18代当主として、思い描く新しい柴沼醤油の基盤は整いつつある。

「これから先の展望としてはどうやって価値と価値とを交換していけるか、ですね。我が社の価値は何なのか。いくらなのか。その価値をどうやって世間に伝えていくのか、そこが難しい。価値イコール価格という単純なものではありません。それだけなら簡単だし、言葉もいらない。バブル期にあった売上至上主義の行きついた先には価格破壊があった。それは価値破壊でもあったわけです。老舗の会社は往々にして自らの価値を高く設定したがるが、その価値をどうやって世間に認知させるかが難しいんです。高すぎる価値が故に、つぶれてしまう老舗は多い」

 

では、柴沼醤油の価値を、世間に認知させるためにどうしているのだろう。

蔵見学ですね。手間がかかって大変ですが、我々の価値をダイレクトに理解していただくために手間を惜しんではいられない。これは最高のコミュニケーションの場ですから。我が社を見ていただくことで、ここの製品を使ってみよう、贈ってみようという気持ちになっていただければうれしいですね。

高齢者や障害者の方などは、この手の工場見学を断られるケースが多いようですが、我が社はお断りしないのがモットーです。この見学で我々の説明をお聞きいただき、それがご家庭内での話題になって、しょうゆに興味や関心を持っていただければ、それも一つの価値と言えますから」

 

確かに柴沼醤油の商品は安くない。だが、年間3000人以上の見学者は、その現場見てきっと納得しているはずだ。「お常陸(ひたち)」や「紫峰(しほう)」といった定番商品のほか、数々の逸品が、そして業務用などを含め、およそ300種類以上の商品が産み出されるこの蔵には、古くて新しいおいしさがあることを。

 

柴沼醤油醸造株式会社 (1)

【同社製品】(左から)木桶仕込み濃口生醤油「紫峰の滴」/板前仕立て醤油「紫 峰」
(1リットル/500ミリリットル/卓上ビン)/百年木桶仕込み生醤油「お常陸」
(500ミリリットル/卓上ビン/限定受注品・桜ラベル)

 

オビ ヒューマンドキュメント

柴沼秀篤(しばぬま・ひであつ)氏…昭和55年茨城県生まれ。平成15年東京農業大学卒業後、味の素入社。平成20年柴沼醤油醸造入社。平成25年代表取締役社長に就任し、現在に至る。

 柴沼醤油醸造株式会社

〒300─0066茨城県土浦市虫掛町374

℡029─823─6781

http://www.shibanuma.com/

従業員数:60名

年商:10億5,000万円(2012年度)

※この記事は2013年8月号に掲載した記事を再構築したものです

 

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