次世代の産業を担う【中小企業】初めて明かされる秘話
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株式会社木村建設 ‐ 至誠、天に通ず。地獄の果てに50代で掴んだ成功

 

オビ 企業物語1 (2)

株式会社木村建設 ‐ 至誠、天に通ず。地獄の果てに50代で掴んだ成功

◆取材:綿抜幹夫 /文:渡辺友樹 /撮影:高永三津子

オビ ヒューマンドキュメント

株式会社木村建設 (2)

株式会社木村建設/代表取締役 木村芳信

 

東京都羽村市の株式会社木村建設。土木・建設業として創業したが、元請けの相次ぐ倒産により莫大な借金を抱えてしまう。急激に業績を伸ばしたのは創業から20年弱を経て、産廃業に参入してからだ。苦しい時期も真面目に仕事に打ち込み続けた木村芳信社長。至誠天に通じ、50代でついに成功を手にした同氏の半生を辿る。

 

自社設計・施工のプラントで急成長

産業廃棄物処分業への参入から20年弱、同社の2014年期の売り上げは16億5000万円。産廃業は粗利が2〜3割と利益率の高い事業であるから、目覚ましい業績だ。木村社長が掲げる「3年後には売り上げ倍増、2020年東京オリンピックまでに借入を完済」という目標も、絵に描いた餅ではなさそうだ。

同社が稼働させている7箇所のプラントは、すべて設計を同氏が手がけ、施工も同社によるものだ。処理設備を地下に潜らせることで振動や騒音の軽減に成功、東日本大震災の揺れでもビクともしない強度も実現した。5〜7メートルを掘り下げる施工はコストもかかるが、安心・安全を重視した地下型プラントは日本で唯一だ。

 

 

青森から横浜へ

同氏は青森県南津軽郡藤崎町出身。本家は代々政治家の家系で、当代の木村太郎氏は自由民主党から青森4区で当選7回、第二次安倍内閣では内閣総理大臣補佐を務めた。木村太郎氏の父は青森県知事や衆議院議員を務めた木村守男氏、祖父は衆議院議員の木村文男氏と、その系譜を辿ることができる。

時は木村守男氏の時代。雪の深い青森では、農民は冬になると東京の建設現場に出稼ぎに出るのが一般的だった。しかし、当時の建設業に現在のような安全な技術はなく、地方からの出稼ぎ労働者が犠牲になる生き埋め事故が後を絶たなかった。そんな背景から、出稼ぎを少しでも減らすべく、田んぼのど真ん中に工業団地を作ったのが木村守男氏だ。青森はリンゴ畑と田んぼが多いことから農薬会社が誘致され、そこに応募した若者の中に19歳の木村芳信氏の姿もあった。

中学を卒業後、親戚が経営する自動車工場で修理工として3年間を過ごした同氏。面接の結果、晴れてこの農薬会社に採用となったが、19歳という若さのため、青森勤務ではなく横浜工場での2年間の研修を命じられる。9人兄弟の末っ子ということもあって家族は心配したが、「農薬の製造工程は完全オートメーション化され、人体への影響は全くない」という説明を受けて、それならばと横浜行きを決める。

 

 

話が違った農薬工場

夜行列車に揺られて朝早くに横浜の駅に降り立ち、待っていたハイヤーで工場に向かう。さっそく見学したところ、工場の様子は聞いていた話と大きく違っていた。オートメーションという説明はどこへやら、作業員が手作業で農薬を製造している。ツナギの作業着に、頭を風呂敷で包み、ガスマスクにゴーグル、ゴム手袋にゴム長靴という出で立ちで、ゴム手袋は農薬の侵入を防ぐために口を紐で結んでいる。さらに、食堂に入ってきた作業員たちのガスマスクの跡が残る顔を見れば、還暦を過ぎた高齢者ばかり。見学に来た若者の大半は逃げ帰り、残ったのは同氏を含めて二人のみだった。

同氏が帰らなかったのには訳がある。故郷の小さな村では、話題といえば他人の噂話。どこそこの倅がどうした、あそこの娘はどうだと幼少の頃から聞いて育った同氏は、ここで逃げ帰れば「木村の倅は根性なしだ」と噂されることを知っていた。家族と自分の名誉のために踏みとどまったのだ。

農薬工場で働きながら、仕事の帰りに新聞を買って求人欄に目を通すことを日課にした。苦い経験を踏まえて、良い会社の求人を見分けるにはどうすればいいかを考え続けた。やがて「工場新築のため」「事業拡張のため」といった文言のある求人を選ぶ知恵を付けた。良い求人を探し続けて半年後、ついに建設機械の修理を行う企業に転職。新幹線の製造で知られる「日本車輌株式会社」の代理店が南多摩駅に新設した工場での仕事だった。

 

 

機械修理工として

自動車修理工の経歴もあるように、機械の修理が大好きだった同氏。農薬会社を後にし、ピカピカの新工場にズラリと並ぶ建設機械を見たとき、興奮のあまり鳥肌が立った。ずっとこんな仕事をしたかった、早くこの仕事を覚えたい。武者震いとともに、機械修理工としての生活が始まった。

この代理店は3年ほど後に倒産してしまうが、すでに修理工として手に職のあった同氏は厚木の同業者に引き抜かれた。しかし、代理店の倒産で困ったのが日本車輌だ。新車を納入したきり何のサポートもないと顧客から苦情が殺到。倒産した代理店に勤めていた同氏一人を、日本車輌の社員として呼び戻そうとしたのだ。厚木にいた同氏の元へ、日本車輌の社員が一日じゅうタクシーを停めたまま、頼むから戻ってきてくれと粘っていた。当初は固辞していた同氏だったが、自分の会社を作って下請けとして入る形で、再び日本車輌の仕事に戻ることとなった。

 

 

土木重機との出会い

この下請け会社での仕事は、3〜4人の社員総出で残業続きの毎日だった。当時、月給2万円が一般的という時代に100万円を稼ぎ、ほどなく700万円ほどの貯えができてしまった。その頃、ある現場で目にしたのが、販売先が倒産したために新車同様の状態で戻ってきた建築重機だった。自分たちが毎日残業して稼ぐ1カ月100万円を、その機械は1台で稼いでしまう。自分がこの機械を買ったら仕事をくれるかと監督に尋ねると、色よい返事を得られた。若さゆえの勢いも手伝って、700万円を頭金に3台購入した。

 

 

地獄だった土木業

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重機を購入し、機械修理業のかたわら、土木事業を創業した同氏。ところが、この重機は故障が多かった。故障したと連絡があれば、日本車輌の現場に平謝りして重機の元へ駆けつける。そんなことが続くうち、とうとう「うちを辞めるか土木を辞めるか、どちらかにしろ」と迫られてしまう。重機を買ってしまった手前、土木業を辞めるわけにはいかない。月100万円を稼げる日本車輌の下請けを辞め、土木業に専念することとなる。

しかし、土木業は地獄だった。孫請けという立場の同氏は、元請けの倒産に苦しめられた。売り掛けの未回収により莫大な借金を作り、ようやく返済が終わる頃、また別の元請けが倒れる。その繰り返しだった。自分たちの下請けには、頭を下げて分割を認めてもらいなんとか支払い続けた。借金はあっという間に億に近い額まで膨らんだ。遊んでいて借金ができたなら分かる。しかし、同氏は仕事が好きで、毎日汗して働いていた。一生懸命働いているのにどうして自分がこんな目に遭うんだと、天を仰ぐこともあったという。

 

 

産廃業に参入

その頃、人を介して出会ったのが、株式会社小池建材(東京都八王子市)の小池武則社長だ。知り合った当初から意気投合し、毎日のように会うくらい親しくなる。その小池氏があるとき始めたのが産廃業だった。はじめは産廃業がどんな仕事なのかさえも分からなかった同氏だが、工事現場から出たコンクリートやヘドロを再処理して販売し大きく稼ぐ小池氏を見て、こんな商売もあるのかと感心したという。一方で自らを省みれば、相も変わらぬ土木業で借金の返済に追われている。いつしか自分も産廃業をやってみたいと思うようになっていた。

とはいえ、借金まみれの同氏が新しい事業に手を出すのは容易ではない。しかし、小池氏は快く応援してくれた。産廃業でのビジネスの手法や廃棄物処理の技術を親身に教えてくれたばかりか、機械を買い揃える資金として自社の手形を貸してくれたという。こうして、小池氏の助力を得た準備期間を経て、木村建設は産廃事業に参入。このとき同氏は齢50を超えていた。

 

 

活きた土木業での経験

その後の業績は冒頭で紹介した通り。7箇所のプラントすべてを同氏が設計し、同社で施工したが、これを為せたのは土木業の経験があるからこそ。「地獄を何度も味わった」と振り返る土木業時代だが、現在の成功に大きく貢献している。

昨年には、引退する小池氏の希望により小池建材を買収。木村建設70名、小池建材30名の総勢100名を率いる身となった。今が一番楽しい、仕事が楽しくてしょうがないと語る同氏。多少の苦労は、辛かった土木業時代を考えれば問題にならない。80歳まで現役を貫くつもりだ。

 いつ何時、どんな巡り合わせが待っているか分からない。何度も地獄を見た末に、50歳を超えて天職を得る人生もある。人には必ず、どんな過去もすべて現在に繋がると実感するときが訪れる。諦めるのがいつも自分自身であるように、未来を引き寄せるのも自分自身なのだ。

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オビ ヒューマンドキュメント ◉木村芳信(きむら・よしのぶ)氏

青森県南津軽郡藤崎町出身。

1980年(昭和55年)主に宅地造成、ゴルフ場造成にて創業。

1992年(平成4年)建設業に参入。

1996年(平成7年)建設土木業に参入。

1999年(平成11年)産業廃棄物処分業に参入。

 

株式会社木村建設

〈本社〉 〒205-0013 東京都羽村市富士見平2-17-13

〈営業・総務〉 〒190-1221 東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎1024

TEL 042-568-2215  http://www.kimurakensetsu.jp/

年商:16億5,000万円(2014年度)

従業員数:100名

 

2015年7月号の記事より
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