次世代の産業を担う【中小企業】初めて明かされる秘話
日本再生の鍵を探せ 企業x学校物語

渡邊建設株式会社 – 100年企業目前! 地域になくてはならない建設会社へ。

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渡邊建設株式会社 – 100年企業目前! 地域になくてはならない建設会社へ。

◆取材:綿抜幹夫 /文:渡辺友樹

オビ ヒューマンドキュメント

渡邊建設株式会社01渡邊建設株式会社 代表取締役社長 渡邊裕之(わたなべ・ひろゆき)氏…昭和37年(1962年)、東京都出身。上武大学を卒業後、アパレルメーカーへの就職を経て渡邊建設株式会社に入社。現在、同社代表取締役社長。
渡邊建設株式会社02施工案件/F HOUSE
渡邊建設株式会社04施工案件/ケヤキアパートメント渡邊建設株式会社03 施工案件/サチ池袋本町 

名物社長だった先代を継いだ「反発していた次男」の物語。

地元豊島区を中心に、池袋西口の再開発など多数の実績を築いてきた渡邊建設株式会社。鉄筋コンクリートの魅力を活かした、シンプルでベーシックな住宅づくりには定評がある。3代目である渡邊裕之社長に話を聞くと、同社の歴史には祖父、父、そして兄との家族の物語があった。

祖父・八十郎氏

同氏の祖父、渡邊八十郎氏が興した同社は、現在創業87年目だ。栃木県真岡市出身、叩き上げの大工だった八十郎氏が椎名町(東京都豊島区)に移ってきてからは1世紀を超えるという。当初の同社は大手の下請けとして宮内庁の宮大工をしていたが、やがて大手の下を離れ、地元地域の公共工事を手がけるようになる。豊島区や周辺地域の学校を数多く建設し、「東京で一番学校を作っている会社」として取材されたこともあったという。

 

父・輝(あきら)氏

当時は木造から鉄筋への建て替えの公共工事ラッシュで、同社もこの恩恵に預かっていた。この頃に入社したのが、現社長・裕之氏の父である輝(あきら)氏だ。北海道上磯郡知内町出身、100人以上の使用人がいるニシン漁の大網元に9人兄弟の末っ子長男として生まれるが、父を早くに亡くし、病弱だった母や姉たちに育てられた輝氏は、工業高校を出て上京、縁あって同社に入社する。一社員の立場で、八十郎氏に対して経営や仕事について遠慮なく意見する人物だったという。

裕之氏は「大網元の息子だったので、大きな器を持っていたのではないでしょうか」と分析するが、こうした性格を気に入られ、入り婿として八十郎氏の次女と結婚、同社の跡継ぎとなる。

 

やがて公共工事ラッシュが落ち着き、同社は主力業務を公共工事からマンション建設へとシフトさせていく。地域の地主に向け、資産運用としてマンションの設計と施工を行う事業をメインとし、当時の分譲マンションブームには乗らなかった。技術者だった輝氏は「現場を知らない人間が図面を書いて正確なものができるのか。現場の人間が自分で図面を書かないで、他人が書いた図面が頭に入るのか」と、施工図面を決して外注せず、あくまでも「施工会社」であり続けたことも大きかったが、裕之氏は「ブームに乗って分譲マンションを手がけていたら、今日の当社はなかったかも知れません」と語る。

また、地主に向けた資産運用としてのマンション販売のみならず、空いている資材置き場に自社マンションを建て、家賃収入を得る事業にも着手。売り上げが落ち込んでも、家賃収入から社員の給料を支払える仕組みを築き上げた。

 

公共工事からマンションへのシフトの早さや、施工への特化、自社マンション事業、また、後にもいち早くパソコンに着目したり、CADを導入したりと輝氏の嗅覚は鋭かったが、優れていたのはビジネスのセンスだけではない。本社ビルの建設途中に第二次オイルショックが起こり、資材が手に入らなくなったときには、本社ビルを1年以上も未完成のままにしておき、クライアントの仕事を優先したという。輝氏の、こうした地域やクライアントを最優先する信念をはじめ、その経営哲学を表す強烈なエピソードは枚挙に暇がない。

 

裕之氏の社長就任まで

業界では名の知れていた輝氏の時代を経て、その後スムーズに裕之氏にバトンタッチされたかといえば、そうではない。実は裕之氏には、8つ違いの兄がいた。極めて優秀な人物で、跡継ぎとして育てられて同社に入社、次年度から三代目社長となる目前の段階まで至っていた。輝氏は、兄弟で経営に関わると派閥ができたり、争いになったりとうまくいかない例を多くみてきたため、裕之氏に対しては、同社には入社させないから好きに生きろ、というスタンスだったという。

裕之氏は、こうした父に悉く反発。中学時代から札付きの不良で、警察の役員をしている父に対して、次男はいつ警察の世話になるかわからない状態だったという。1年留年した末になんとか大学を卒業した後は、いうまでもなく同社には入らず、洋服が好きだったことからアパレルメーカーに就職。営業のかたわらネクタイのデザインをしていたというが、「自分でデザインしたものが大きなデパートなどに陳列されているのを見るのは無上の喜びでした」と振り返る。

低賃金ながら、熱意を持って夜遅くまで働き、終電で帰宅する日々だったというが、輝氏には全く理解されなかった。朝型である建設業界の人間だったこともあり、輝氏にはそもそも夜遅くまでかかるような仕事があるという感覚すらなかったのだ。

 

こうして、輝氏と裕之氏はお互いに反発し合っていたが、兄はそうではなかった。弟が低賃金で働いていることを知り、渡邊建設も忙しかったことから、「たった二人の兄弟なんだから手伝ってくれよ」と、裕之氏を入社させるべく動いたのだ。これに対して輝氏は「自分は裕之を入れるつもりはないが、跡継ぎであるお前が入れたいならば、本人の判断に任せる」という反応で、その代わり、親子だからといって社内で自分に意見することは絶対に認めない、文句があるなら家まで来てから言え、という条件付きだったという。

裕之氏はこれを受け入れ、それまで思ってもいなかった渡邊建設の社員となる。社内での輝氏は、出勤してくる車の音が聞こえるとそのとき何をしていても社員全員で起立して迎える存在である。26歳の裕之氏の、それまで反発していた父に最敬礼で接する日々が始まった。

とはいえ、輝氏と兄と三人で地域の集まりなどに行くと、「渡邊さんいいね、二人の息子さんが継いでくれて」などと声をかけられ、裕之氏も入社して良かったと感じるようになったという。こうして2~3年ほど経ち、来年度からいよいよ兄が三代目に、という年の七夕の日のこと。その兄が36歳の若さで心筋梗塞によって急逝してしまう。深夜に一報を受けた輝氏や裕之氏が駆け付けたときには既に息を引き取っていたという。

その日の退社際に突然「お前、頼むな」と声をかけてきたのが最後だったと語る裕之氏は「そのときは、『頼むって何を?』と思ったんですが……」と述懐する。裕之氏が輝氏の涙を見たのは、駆けつけた病院の駐車場での一度きりだという。「マラソンを走っていて、やっとゴールが見えたと思ったら、また一から走らなくてはいけないという気持ちだ」と零したという輝氏はこのとき62歳。引退間際から一転、その後8年の間、社長を続投することになる。

やがて裕之氏36歳のとき、輝氏から「俺は70歳で辞めるから、4月からお前が社長だ」と三代目社長就任を告げられたのは、年も明け、年度末が迫ろうかという時期だった。

 

裕之氏体制

自社の社長だけでなく、東京商工会議所豊島支部の会長を22年間の長きに渡り務めた輝氏。後任が決まらず、請われて続けるうちに長引いてしまったというが、同社や輝氏がそれだけ地域に貢献し、信頼されていたということだ。地域への貢献は、裕之氏が社長となった今でも変わっていない。地元の祭や区のイベントにはボランティアで参加するほか、商店街の活性化にも尽力している。裕之氏は「地域になくてはならない会社になろう、あの会社がなくなったら困っちゃうよね、と言われるようになろう、と話しているんです」と語る。

 どこへ行っても輝氏と比べられるという裕之氏は、「自分は父とは別人」と語るが、受け継ぐべきものは受け継いでいる。輝氏から叩き込まれた「決断しないといけない場面で、自分で考えて決断できないようではだめだ。決断した結果、会社にマイナスになるかも知れないが、そこは責めない」という理念を、自身でも社員に言い聞かせているという。

また、バブル期には社員数を年々倍、また倍へと増やしていく企業も多かったが、同社は先代から少数精鋭を貫き、現在でも社員数は35名ほどだ。社員への賞与は手厚く、今まで取引先の都合で1度だけあった赤字の際にも、裕之氏が自らの預金を崩して支払ったという。

このとき同氏自身は黙っていたが、役員が社員たちに知らせたことで、結果的に士気のアップに繋がった。こうした裕之氏の誠意は、社外にも行き届いている。昨年のことだが、協力会社の職人たちに褒賞金と感謝状を贈ったという。

 

現在同社は、以前からの事業である相続対策としてのマンション販売も継続しつつ、建売住宅の建築・販売という新たな試みも行っている。鉄筋コンクリートで類のない住宅を目指し、デザイン面でも他社が行わない手間のかかるものを丁寧に作っている。苦労は多いが、技術者のスキル向上にもなると、10年ほど前からコツコツ行っているのだという。

「当社も、いつまであるかわからない。ひとりひとりの技術を磨く仕事をし、これからも技術者として生きていく上で、こういう仕事をしてきたんだからどこへ行っても恥ずかしくない、と誇れるようになろう。そういう社員を一人でも多く擁することが、自社が存続していくためにも重要であり、また地域に必要とされることにも繋がる」

これが、同氏の理念だ。

 

今年、創業88年を迎える同社。建設業界は厳しい状況にあり、建設会社は今後20~25万社まで減るという見方もあるが、社員や取引先、クライアントとの信頼関係を重視し、地域に根ざして実直に仕事を続ける同社は盤石のようだ。祖父や父、兄、そして裕之氏と受け継ぎ築いた礎が、強固な土台となっている。

 

オビ ヒューマンドキュメント

●渡邊建設株式会社

〒171-0052 東京都豊島区南長崎1-22-16

TEL 03-3951-1161

http://www.watanabe-kensetsu.co.jp/

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