◆取材:綿抜幹夫 /文:渡辺友樹

取締役会長 守屋勇治氏(写真右)/代表取締役 守屋京子氏
株式会社協同 (5) 加熱袋の中に発熱剤をセットして、温めたい食材と水を入れるだけでOK。高温の蒸気が袋の中に充満し、15分から20分程度で中にあるものを温めることができる。

入間から世界へ!

いざという時にも、あたたかい食事をとりたい。そんな需要に応えるのが、株式会社協同の発熱剤『モーリアンヒートパック』だ。軽量・コンパクトでありながら、水を注ぐだけで高温の蒸気が発生するこの画期的な商品、火や電気がなくても食べものを加熱でき、火災の心配がない安心・安全さが売りだ。

創業者、守屋勇治氏

同社の歴史は、創業者である前社長、守屋勇治氏のライフストーリー抜きには語れない。同氏は大正13年(1924年)5月3日生まれ、卒寿を迎えた現在も取締役会長として現役だ。国立の山梨大学を卒業後、明治大学の法学部に入学。両大学をともに優秀な成績で卒業し、周囲からは東大の大学院への進学を勧められるが、実業界を志望していた同氏は就職の道を選ぶ。就職先は万年筆で知られるパイロット萬年筆株式会社(現:株式会社パイロットコーポレーション)だった。

パイロットでの同氏は「営業の神様」と呼ばれ、営業レポートが社員教育の教材に取り上げられるほどの「伝説の人」だったという。やがて昭和26年(1951年)の平和条約の締結を受けて、パイロットの「これからは海外」という方針の最前線、ブラジル・サンパウロ市の中心に現地法人の本社事務所を置いて、工場の設立準備や営業の開発に携わった。現地で夜学に通いポルトガル語を身に付けた同氏は、かの地でも好成績とともに任務を全うし、凱旋帰国を果たす。

 

 

株式会社協同の創業、金属加工業として

帰国後もおおいに期待されていた同氏だったが、父親の病という事情により惜しまれつつ退社、実質10年弱のパイロット社員人生に終止符を打つ。父親は埼玉県の川口市で映画「キューポラのある町」そのままに鋳物の型工場を営んでいたが、この経営は親戚にまかせ、同氏自身は昭和41年(1966年)に、現在の株式会社協同の前身となる「東京機工協同組合事業部」を発足させ、理事長に就任する。その当時、川口周辺の鋳物の町工場では、大きい会社との直接取引が難しく、いくつもの中間業者を通じてしか仕事がもらえなかった。そこで同氏は、中間マージンを省いて、末端の工場が直接大手との取引ができるようにするために、協同組合を作り、小規模企業が潤う組織づくりを考え実行に移した。

創業時は、日立製作所から金属加工の仕事を請け負っており、同社が加工する部品は品質もコストも優れていたことから、下請けとして信頼を勝ちとり、毎年目覚ましい利益を上げていたという。

しかし、昭和末期頃から世の中の風向きが変わり始める。工場を海外に置いたり、一方で部品の外注をやめて内製化したりという『産業の空洞化』だ。銀行も倒産や貸し渋りが相次ぎ、同社も金融機関から、不動産を売って融資した資金を返すよう迫られたという。業績も落ち込んだこの時期、大手の顔色を伺いながら下請けを続けていくことの厳しさから、自社製品・自社ブランドの必要性を痛感。これが後の業態転換へと同社を促す一因となる。

 

 

入間への移転と業態転換

やがて平成7年(1995年)、勇治氏の知人も多く被災した阪神淡路大震災が発生する。季節は冬。このとき被災地から、「あたたかいものを食べたい」という切実な声が上がった。これをきっかけに、かねてより金属加工業者として扱っていたアルミを利用し、軽量かつパワーが出る発熱剤の開発に着手する。今日の当社の主力商品、モーリアンヒートパックのスタート地点である。もともと勇治氏は発明を趣味としており、これが自社製品の開発に活かされる形となった。

とはいえ、モーリアンヒートパックによって同社が息を吹き返すのはまだ先の話だ。その少し前、平成10年(1998年)に同社は創業以来の危機に陥る。勇治氏が重度の喘息に倒れたのだ。「キューポラのある町」の空気の悪さや経営上の心労も原因と考えられ、転地療法以外に助かる道はないと宣告されてしまう。急遽、新天地と定めたのが、現在の所在地である入間だった。事業のほとんどを従業員に暖簾分けし、「借金だけ持って入間に来た」という同社を救ったのが、当時の小渕内閣による『中小企業安定化特別制度』である。都道府県の保証協会に20兆円の保証枠を用意し、売上の3倍の資金を無条件で貸し付けるというこの政策により、同社は3000万円の融資を受けることができた。

 

株式会社協同 (3)

紹介が遅れたが、現社長の守屋京子氏は昭和25年(1950年)生まれ、鹿児島県の種子島出身だ。明治大学法学部卒業後、同社の顧問弁護士事務所で1年半ほど修業したのち、創業間もない同社に入社する。やがて養女となる守屋家とは家族ぐるみの付き合いがあり、入社したときから、将来の二代目という立場だったという。

勇治氏の生命にかかわる発病を受けて、急遽、空気のきれいな入間に移ってきたとき、同社は勇治氏と京子氏、そして技術職の社員1名の総勢3名。勇治氏は重度の喘息であるから、実質2名という体制だ。取り急ぎ貸家を借りてその一室を事務所とし、始まったのが「モーリアンヒートパック」事業であった。

 

 

モーリアンヒートパック事業を本格化、今日の躍進

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モーリアンヒートパック 発熱剤(単体)

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発熱剤と加熱袋がセットになった「モーリアンヒートパック加熱セット」

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「戦闘糧食Ⅱ型簡易加熱剤」(加水型:モーリアンヒートパック)を、防衛省陸上自衛隊補給処10カ所に国内調達初の出荷時の様子(平成18年9月)

同社に追い風が吹いたのは、平成13年(2001年)のことだ。この年、モーリアンヒートパックの商品化に成功。2年後の平成15年(2003年)には、モーリアンヒートパックの製法で日本、米国、欧州、韓国において特許を取得する。念願だった特許取得後、モーリアンヒートパック事業を本格化、まず売り込んだ先が陸上自衛隊だった。

 

当時、陸上自衛隊では、大きな鍋で湯煎した糧食をリュックに入れて演習に携行していた。しかしこれだと手間がかかり、冷めてしまう。温かいおいしい食事がしたいとの現場からの要望もあり、自衛隊内部でも新たな燃料の開発を模索していたという。モーリアンヒートパックはそのニーズにぴったり応える形となり、アプローチから1年ほどで採用が決定する。イラク派遣の際にも携行され、同社では当時2、3人の社員で10万個のモーリアンヒートパックを生産、出荷したという。

 

現在、自衛隊は同社から1年に2回、大量のモーリアンヒートパックを調達している。アルミを使った燃料としては唯一無二であるから、実質的にはシェア独占状態だ。自衛隊に限らず、防災備蓄用品として東京23区や警視庁、消防庁やその他自治体など、官公庁への出荷が多いという。

民間からの発注もある。同社でも予想していなかった市場として、ホテルや旅館などの宿泊業や飲食業が挙げられる。火や電気が不要なため火災の予防にもなる上、宴会などで数百人分の料理を作るような場合にも重宝されるのだ。その利便性は口コミを通して広まり、耳の早い宿泊・飲食業者からの注文が相次いでいるという。

 

更に、モーリアンヒートパックは先の東日本大震災でも出荷数倍増となる大活躍。このとき同社は正社員4名、パート3名に加えて、技術顧問が1名。3時間睡眠で夜に日を継いで生産したという。阪神淡路大震災での無力さ、無念さをきっかけとして生まれたモーリアンヒートパックが、東日本大震災では被災地支援におおいに貢献した。

この後も現在まで安定して需要は伸びており、企業経営者賞を2度、埼玉県知事から特別賞も受賞するなど各種受賞も相次ぎ、順調に成長している。

 

 

成功の秘訣は

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平成21年3月に完成したモーリアンヒートパック専門工場棟。生産設備を1ライン増設し、生産能力も3倍にアップ。

こうして見事、軌道に乗り上げたモーリアンヒートパック事業だが、開発に着手したのが平成7年(1995年)、陸上自衛隊に採用されたのが平成17年(2005年)であるから、ビジネスとして成り立つまでに約10年を要した計算になる。

 

京子氏に成功の理由を尋ねると、阪神淡路大震災時の被災地の役に立ちたいという想いに加えて、勇治氏の病をきっかけに後がないところまで追い詰められたことだと述懐する。極限状態にあって、生きていくために必死になったことが、成功への道であったということだ。

そこには周囲の支えがあり、これを受けて同社の経営理念にも「人を大切にする」とある。社員やその家族をはじめ、取引先、仕入先、地域住民、金融機関など同社に関わるすべての人々に対する、支えてもらった感謝を忘れず大切にする気持ちだ。縁もゆかりもなく転がり込んできた入間の地に同社が深く根を張り、愛されている要因のひとつであろう。

 

 

満を持しての海外進出。入間から世界へ

同社は次なる展開として、海外への進出計画を進めている。実はこれまでにも海外からのオファーはあったが、充分に対応する余裕がなかった。ようやくそれに応える基盤が整った今、本格的な海外進出に向けて連携しているのが、取引金融機関である西武信用金庫の『海外サポートデスク』だ。営業職のいない同社にとって、信用金庫として驚異的な業績を上げ、本誌2013年11月号で理事長自ら「知恵も人もお金もドンドン貸します」と言い切った同金庫の力添えは頼もしい。

アルミ粉末を主原料にした、水を注ぐだけで発熱する、この画期的な「モーリアンヒートパック」は、的確な営業さえ行うことができれば、世界を席巻する可能性すらある。「あたたかいものを食べたい」という思いは世界共通だ。創業41年、入間移転から16年。守屋親子率いる株式会社協同が、自分たちの食うや食わずの危機を乗り越え、世界じゅうの「いざという状況」にあたたかい食事を届けようとしている。

 

obi2_humanプロフィール

守屋京子(もりや・きょうこ)氏

昭和25年、鹿児島県種子島出身。

明治大学法学部卒業後、関連会社への就職を経て、株式会社協同入社。

平成6年、代表取締役。現在に至る。

株式会社 協同 (MORIANKIODO)

〒358-0011埼玉県入間市下藤沢1,097-1

TEL:042-965-4221

http://www.morians.co.jp/

 

2014年11月号の記事より
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