金子産業株式会社 ‐ 静かなる熱血漢が日本のバルブ業界を変革!!
金子産業株式会社 静かなる熱血漢が日本のバルブ業界を変革!!
◆取材:姜英之
中小企業の壁を越えて、目指すは世界市場
1919年創業以来、一貫してバルブの生産を手がけてきた金子産業。現在は電磁弁、液面計、通気装置など、石油化学・原子力業界向けバルブ関連商品の開発生産で一目置かれる存在である。まもなく創業100年の歴史をもつ企業を率いるのは、サラリーマンから5代目社長となった中村善典氏。自社のバルブ製品にかける思い、ベトナム進出に未来を託すその姿を浮き彫りにする。
バルブは日本の〝モノづくり〟の基本中の基本
キーパーブリザー…貯蔵タンクの内容物と大気とを遮断するために不活性ガス(窒素)を封入したり、引火性内容物の気層部(爆発性気体)に不活性ガスを封入することにより安全対策をする場合に設置し、タンクの内容物の品質、安全を守る。 インラインフレームアレスタ…配管ライン内の延焼を止めるセーフティデバイス。石油、化学、ガスなどのプラントを始めとして、燃料電池関連の水素を扱う設備やバイオガス設備等、可燃性のガスや溶剤を扱う広範囲の工業の配管ラインを防護するために使用される。いずれもISO16852に基づき、フレームアレスタの評価試験を続けている(上:インラインフレームアレスタ/下:デトネーションフレームアレスタ) 水素防爆電磁弁…同社の防爆型電磁弁は耐圧防爆構造を有しガス防爆及び粉塵防爆の様々な認証を取得しており、EU、ロシア、アジア諸国の広い地域で使用が可能。また、危険区域「ZONE1(ガス)」「ZONE21(粉塵)」のそれぞれの環境にも対応している。
「バルブというと、わかっているようでわかっていないのが一般の人の印象ですよね」と穏やかな口調で話し出す中村善典社長(以下、同)。
「我々はよく『バルブ屋は何をしているんだ』と上から目線で見られることも多かった。でも東日本大震災の時に、政府が必死になって被災した方々のために仮設住宅を作りましたよね、あれで理解されるようになったんです。建物ができ、水道管・ガス管も敷いてライフラインを確保したとしても、水やガスを出しっぱなしにはできません。止める時に止めたい、これにはバルブが必要なんですね。
バルブ業界は経済産業省の管轄下にあるのですが、緊急事態になって初めてその役人さんたちがバルブの必要性、重要性を感じてくれた。『バルブを何とか間に合わせてほしい』と……その時、やっと自分たちの存在意義が深く理解され報われた、という気持ちでしたね、ほんとに」
日本経済が右肩上がりの時には、あまり表面には出てこなかったバルブ業界。しかし、長い間日本の産業を支えてきた立役者なのだ。たとえば今、この時代に高層マンションのトイレの水が流れなくなったり、逆に流れっぱなしになったりしたらどうなるか。そういうことを想像するだけで、どれだけ生活に密着しているのか、バルブの重要性がおわかりいただけると思う。
「日本バルブ工業会が60周年を迎えて、今後日本の発展のためにどういう方針で行くのか、10年先を見越してバルブ産業のビジョンを経済産業省に提出しなくてはなりません。私は委員長としてその課題を担当しています」
一般にビジョンというのは、描いた餅になりやすい。そこで中村社長が進めているのは、一企業だけでなく工業界全体の各社にさまざまなテーマを投げかけ、企業間の壁を乗り越えて協力し研究していく場所や機会を作ること。
「結果的にはバルブ産業に携わる皆さんに反映できるようなものにしたい、と思っています。でもやはり一番のテーマは少子高齢化ですよね。今の若い学生たちはなかなかモノづくりに興味をもってくれないですから」
バルブ業界では鍛造や鋳物から携わっている企業が多く存在する。いわゆる3Kといわれる仕事もある。
「大学の工学部の先生たちに聞いても、工学部を希望する学生が少なくなっている。その少ない人材を大手企業が吸い上げていってしまう。日本バルブ工業会に属する企業のほとんどは中小企業ですよ。そういった企業に優秀な人材を呼び込むにはどうしたらいいのか、知恵を絞っています」
今のところ、学生論文を募集して賞金を出すとか、写真展を企画するなどいろんなチャンネルを通して、〝若者にバルブ業界に興味を持ってもらおう運動〟をしている最中だ。
「『モノづくりは人づくり』と言われるように、厳しいし難しいテーマですが、なんとか方策を考えないと。このままではバルブ業界の未来はないですから」
親が反面教師、芽生えたモノづくりへの情熱
「私自身は親父が銀行員だったもので、最初はお金を扱う仕事に憧れを持っていましたね。ただ銀行員の実像を教えられた時に、『銀行員にだけはなるのを辞めよう』と思いました(笑い)」
その時のお父上の言葉はこうだ。
「お前、なんで銀行員が白いワイシャツを着て髪の毛をきちっと決めているのかわかるか? 銀行は金貸しなんだ。同じ金貸しだったら怖いところよりは外見を調えたところで借りようというのが人ってものだ。だから一旦借り入れしていて返済期日が来たら、相手が困っていても取り立てするよ、それが銀行員だ」と。
「それで私はモノづくりを志して工業高校に進学。卒業してすぐに金子産業に就職し、希望していたバルブの設計をする仕事につくことができました。その当時はもちろんコンピュータなどない時代でしたから、T定規を使ってケント紙に鉛筆で書くわけですよ。先輩たちはそれは厳しくて、駄目だったらば赤鉛筆でバツをする。つまり書き直せってこと。でもどこが悪いのかは教えてくれない、『自分で考えろ』って突き放されるわけです。今ではありえないですけどね(笑い)」
中村氏が設計の仕事についた頃は、バルブといっても鋳物の型から設計をする時代。木型を作る職人や鋳物屋といわれる職人たちからも様々なアドバイスをもらいながら、仕事をしてきた。
「振り返るといろいろな人に助けてもらいながら、モノづくりの楽しさを覚えてきたと思いますね。今はCADで設計できるから、不具合はコンピュータ上でわかります。それはそれで優れたことではあるけれど、若い設計者には『現場の鋳物を噴く職人さんの気持ちを考えろ、現場を見ることも必要だ』と言っている。やはりいい仕事は人と人とのつながりがあって生まれるのだから」
紆余曲折? サラリーマンから社長への道
「1919年、新潟から三国峠を超えてやってきた金子佐武朗氏が個人会社を創業した。1933年にはバルブコック類の設計製造を始めたようです」
現在の中村社長に至るまでに、二代目は大番頭が社長になるなど、歴代社長は血脈ではつながっていない。親子や同族経営の多い中小企業では珍しいケースといえよう。
「三代目の社長だった方が会長になり、四代目は私と師弟関係の間にあった佐藤氏が社長に就任された。その時すでに三代目社長のご子息三人が揃って入社していました。そんな状況ですから、五代目はそのご子息が継ぐのではないかと思っていました」
それと前後して、金子産業では経営のあり方を模索していた時期でもあったという。
「コンサルタント会社に経営状況を調べさせると、『この会社はあと数年で潰れる』という。それに対して三代目社長はコンサル会社の常套手段と考え『問題なし』としたのです。佐藤氏は非常に気にされて、私に分析を依頼した」
中村氏もまた佐藤氏の後押しがあって産業能率大学の通信科を修了した頃で、学んだばかりの経営について様々な知識を活かせることになった。
「実際調べてみると、適正在庫とかキャッシュフローの問題とか、いろいろ山積みでした。また経理部長だった方が病いに倒れた時期で、経理を見ることにもなりました」
中村氏はまず、メインバンクに経営計画書を提出した。その際に金子産業の大きな弱点を指摘されたという。
「当時役員は会社の株を25パーセントずつ持っていて、誰も決定権がない状況でした。『中小企業というのはきちんと決定権を持った人間がいて、これから来るいろんな時代を乗り切っていかなければならない』と言われたのです」
その後、メインバンクの支店長との信頼関係を築くことができ、運にも資金にも恵まれて、1996年五代目社長に就任。技術だけでなく経理財務に精通し、総合力に秀でたその手腕で金子産業を大きく飛躍させた。中国人やベトナム人なども雇用するなどグローバル感覚を持ち合わせていたことも効を奏した。
「中小企業といえども、海外進出も果たし、何とかここまでやってきました。従業員の平均年齢も37歳とかなり若返って、私ももう68ですから、そろそろ自分の次の承継を考えなければいけない時期にきていると思います」
金子産業に脈々と流れる
「困ったことに答えを出す」というDNA
ただ一方でバルブ業界を取り巻く事業環境もかなり変わってきている。金子産業はどのように対応するのだろうか。
「石油化学、原子力プラントの分野では、最近経済産業省が発表したように精製プラントは潰せと、そして効率化を図るという方針が示されましたから、当然マーケットは小さくなっていく。でも我々のモノづくりがなくなってしまうかというとそうでもなくて。これからはクリーンなエネルギー水素ガスの分野が有望なんです」
周知のように日本経済が生き残っていくためには、石油などの化石燃料ではなく水素などの新たなエネルギーへとシフトしていかなければならない。
「実は水素を扱う際の問題は配管内での火災なのですが、日本ではまだあまり議論されていない。我々は長い間、タンク貯蔵での火災に備えてタンク内に火が入らないよう制御する製品を作ってきた経験上、この問題を重要視しています。それにはフレームアレスタというパイプラインの延焼を止めるセーフティデバイスの開発が必要不可欠なんですが、今は水素ガス対応の製品開発に一番力を入れています」
金子産業では主要製品のうち電磁弁で、ヨーロッパの機能安全規格IECを取得した。いくら品質のいい製品を作っていても世界ではこの認証を受けていないと勝負できない。
実はグローバル化に打って出ようという中小企業にとっては、資金面の問題もあり、ヨーロッパの認証を受けることがネックになっているという。こうした問題をすべてクリアし、優れた技術開発力とそれができる環境づくりをもって、金子産業では他のバルブメーカーとは一線を画す差別化をはかってきた。
では現在までに至る金子産業の原動力とは何なのだろか。
「たとえば、私が設計にいた時の話。大手ガス会社から液化天然ガスのタンクに使う液面計の開発を頼まれました。マイナス温度と圧力が掛かる状況で使用する計器の開発になるので、最初は手に余るから断ろうと思いました。でもその当時の設計部長に『大手さんの依頼だ。チャンスだ。挑戦するだけやってみろ、開発費はいくら掛かってもいい』と言われたのです。それで試行錯誤しながらもなんとか開発にこぎつけると、お客様に喜んでいただける製品になりました。おかげでマイナス温度に対する液面計のノウハウを学び取ることもできましたし」
中村社長はこう振り返る。
「何か困った時に、いつでもご相談いただく。それに対して我々は技術を駆使してお応えしていく。お客様との信頼関係やつながりを大事に考え、挑戦する気持ちを忘れない。一世紀近くの歴史の中で育んできた金子産業のDNAが、これまでの年月を支えてきた。それと製品のひとつひとつが『セーフティデバイスとして安全で穏やかな暮らしを守る』という、明確な目的意識をもった『モノづくり』の姿勢を貫いてきたことも大きな要因です」
それは中村社長が掲げる経営理念に凝縮されている。
『穏やかな毎日、この幸せな暮らしのために、私たちの静かな技術を生かそう』─。
ベトナム進出にみる深謀遠慮な戦略
先頃、発表したベトナム進出についてはどのような思惑が隠されているのだろうか。
「まずは中国と韓国の生産機能を集約することです。海外進出で成功するには、自分では設備投資しないでアウトソーシングを使うことが必要です。うちがはじめに中国や韓国に出てみてわかったことは、品質が安定しないこと。原因は民族気質の違いにあるかもしれませんが。コツコツ型の日本人の求めることに近いと感じたのは、今回のベトナムなんです。今後はベトナムで主要なパーツを生産して、中国・韓国では最終組み立てと営業に専念します」
ほかに中小企業が海外進出を計る時の課題があるという。
「まず資金面ですね。政府は中小企業が海外に出て行くための支援が手薄。今回は国家予算を持っているジェトロの審査に上手く通りまして、ベトナムに進出できることになりました」
そのベトナムでは随分と広い敷地を確保した。
「1万平米以上でないとダメみたいです。だから、どうせなら先ほど話にも出てきた水素ガス対応のフレームアレスタという製品。これはまだ実証実験が不十分だったので、国内では熊本大学の爆発実験場を使ったり、厚木の山奥での実験を行っています。でもこの際『ベトナムで本格的に実験をやろう』ということになったのです。しっかりデータをとって、世界規格も取得して海外マーケットに出て行きますよ」
現在、金子産業の国内売上高は約30億円だが、創業100周年となる2018年度には国内30億円に加えて海外30億円、合わせて60億円を目指す。若手社員の成長を促す人材登用と中小企業とは思えない大胆なグローバル戦略。泰然自若として静かに情熱を燃やすタイプと見受けられる中村社長の、次の一手に注目したい。
プロフィール
中村善典(なかむら・よしのり)氏…1946年1月1日東京都渋谷区生まれ。1964年目黒工業高校(現・目黒学院高校)卒業。同年金子産業株式会社入社。設計製造部、経理部長を経て、1996年代表取締役社長就任。
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