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定山鋼材株式会社  目指すはIPO

解体業界の地位向上のため、立ち上がった風雲児

◆取材:綿抜幹夫

 

19_Sadayama01定山鋼材株式会社 代表取締役 定山 清氏(さだやま・きよし)…昭和31年東京都生まれ。都立高校卒業後、鋼材会社に就職、働きながら明治学院大学卒業後独立。昭和58年定山鋼材株式会社設立。代表取締役就任。早稲田大学大学院修士課程卒業。

2020年の東京五輪に向けて、様々な施設や競技場、そして住宅などが建て替えられる。だが、先端技術の粋を集める建造物も、そのための用地を確保しなければ実現できない。そこで人知れず活躍するのが解体業者だ。古い建物を撤去することで、社会に新たな息吹を吹き込む解体。これまで脚光を浴びてこなかったこの業界の地位向上のため、今一人の男が立ち上がった。昨年12月で30周年を迎えた定山鋼材株式会社定山清社長がその目標を熱く語る!

 

世界が注目した解体工事

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都心に建つ超高層ビルが徐々に縮んでいく姿は、数々のメディアで報道され、動画配信サイトやまとめサイトでも取り上げられた。ただ1棟の建物の解体が、これほど話題になった例を筆者は知らない。

 

その建物『赤プリ』こと『グランドプリンスホテル赤坂』は、世界的建築家・丹下健三氏が設計を手掛け、赤坂プリンスホテル(当時)の新館として1982年に完成した。しかし、ホテル業界を取り巻く環境の変化や老朽化に伴う競争力低下により2011年3月に営業を終了。建て替えのため、2012年秋に解体が始まった。高さ約140m、地上40階建てで、国内で解体した建物としては最高の高さとなった。

 

一般的に、建物が高くなればなるほど、解体による騒音の拡散や粉じんの飛散、破片の落下を防ぐとともに、工事中に起こり得る震動や強風への備えが必要となってくる。近隣の安全・安心の確保、環境への配慮、作業の効率化など、解体に求められるものは時代と共に大きく重くなってきているのが現状だ。ただ壊して更地にすれば済むという時代ではない。

 

だが、我々の暮らしにとって重要度が増す仕事にもかかわらず、解体業というと一般的にも、建設業界内にあっても下位に見られてはいないだろうか。

今後、高度経済成長期に建設された多くの建物が、再開発のために解体されていくだろう。その時、大いに力を発揮しなければならない解体業者は、もっと評価され、その地位を高めなければならないはずだ。

 

 

アルバイトで入った世界で独立を果たす!

秋の草

定山鋼材株式会社は『犬小屋から超高層ビルまで解体します』をモットーに、一般の住宅から公共施設まで幅広く解体を請け負っている。一代で解体業界の中堅にまで社業を伸ばしてきた定山社長だが、その道のりは決して平坦ではなかった。

 

「私が中学3年の時、父が亡くなりました。高校入試の日が父の葬儀の日だったのです。兄弟が下に3人もいたので、家計を助けるためにも卒業したらすぐに働けと親戚は言う。しかし、母は進学を勧めてくれました。高校時代はそれこそアルバイトに明け暮れた毎日でした。朝は新聞配達、牛乳配達、夜はホテルで皿洗いやウェイターをしました。そして日曜のアルバイトが解体の仕事だったんです。日曜ごとに現場に行って、先輩の仕事を見ながら、雑用をこなしていました。普通のアルバイトより単価が高かったですし、日払いだったので、こういう業界はすぐにお金になるんだと思ったものです」

 

こうした苦学の末に高校を卒業後、アルバイトでお世話になっていた解体の会社に就職した。

「1年、一生懸命仕事をしましたが、どうしても勉強したくなって、大学に通い始めました。昼間は働き、夜学ぶ。仕事は生活のためにしなければならないが、学問は自分を磨き高めるために必要だと思ったんです。その時勤めていた会社に、一生骨を埋めるかは決めかねていましたしね。だからこそ上の学校を出ておいた方がいいと思った。大学で学んで見聞を広めれば、違った道も見えてくるかもしれないと。亡くなった父は私が大学を出てホワイトカラーになることを望んでいましたし……」

 

その大学で転機が巡ってきた。

「卒業論文(『都市再開発における住環境の変化』)が、担当教授に認められて助教授になれと勧められたんですよ。大学の先生になれば好きな勉強も続けられるし、社会的にも認められる。だが一方で、今の仕事をもっと発展させられれば、経済的に豊かになるかもしれないとの思いもありました。父が亡くなってから貧しさを経験したので、同年代の若者よりもハングリーだったのかもしれません」

 

名を捨てて実を取るか。定山青年は大いに悩んだ。そして悩み抜いて出した結論が今の仕事だった。

「勉強は仕事をしながらでもできる。それに、病身の母親に楽をさせてあげたいという思いが強かった」

見事仕事と勉強を両立し、大学を4年で卒業。そして青雲の志を抱いて独立を果たした。

「勤めていた会社の下請けから始めて、昭和58年に法人化しました。仕事を通じて知り合った方から、多くのアドバイスをいただき、何とか旗揚げにこぎつけたんです」

 

近所の工務店などにも名刺を配って営業をかけた。会社の維持・発展のためには仕事量をどんどん増やさなければならない。だが、やみくもに仕事を『こなす』のではなく、常に顧客本位を貫いてきた。

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「仕事をしていく上で最も大切にしたのは『まずお客様のために』。お金は二の次という姿勢で働いていたら、それが認められたのか徐々に仕事が増えていきました。お客様のニーズとして多かった『工期を短く』だとか、『騒音や粉じんなどで周辺にご迷惑をかけないように』だとかを常に心がけてやってきたことが、施主から建設業者などに口コミで広がったようです」

 

定山社長のこの考えは、業界内で広く認められるところとなっていった。今では従業員数33人、年商15億円にまで会社は成長している。

「せっかくこの世界でがんばっている以上は、業界のリーディングカンパニーになりたいと思っています。会社を大きくするのは何も金儲けのためではありません。社会貢献ができる会社になるために必要なことだからです」

 

 

業界の地位向上のために

誇りをもって、誠心誠意仕事に打ち込んできた定山社長だが、自らが飛び込んだ業界に対して思うところも多々あった。

「とにかくやっつけ仕事で近隣のことをまったく考えない業者もありましたし、反社会団体のフロント企業、あるいはその反社会団体そのものが仕事を請け負ってやっていたなんてこともありました。とんでもない世界に入ってしまったという思いも正直ありました。ですが、私は私の考えでやっていこうと思っていたので、独立独歩、その手の業者とは一線を画してここまで来ました」

 

近年は、この業界のみならず、反社会的団体に対する社会の圧力は高まりを見せている。解体業の中でも、その手の業者は影を潜め、業界の浄化は進んでいるという。だが、そうやって体制や仕事においての質的向上が図られているにもかかわらず、業界の地位はなかなか上がっていかない。

 

我々は『とび・土工・コンクリート工事』という建設業許可を受けて仕事をしています。つまり国交省が定めるカテゴリーに『解体業』というのがないわけです。解体業を独立したカテゴリーとして認めて欲しいと言う気持ちは、私だけでなく業界内にもきっとあるはずでしょう。ところが、本来地位向上のために活動すべき業界団体は、当時、その役割を果たすものではなかったように思えたのです」

 

工事現場

だが、そんな業界団体も近年では様変わりしているという。

「今では業界団体に加入して、活動させていただいています。古くからの会員企業からは何でいまさらという目で見られましたが(苦笑)。阪神大震災やアスベスト問題、耐震偽装問題等があって、解体業界が表に出る機会が増えていきました。だからこそ、国からも国民からも認められる業界になるために、我々が何をしなければならないかを考えました。業界団体との交流も、その必要を感じたからこそ入会したんです」

 

業界全体として、社会的地位向上のために取り組むべき課題は多い。だが、定山鋼材1社でも、業界に、社会にインパクトを与える方法はある。IPO(新規株式公開)もその一つだ。

「ゼネコンは昔『○○組』と称して建設業界の荒くれ者を束ねて大きな仕事を行ってきました。地回りとも上手くやってきた歴史があります。しかし、時代と共にゼネコンは『組』から『企業』へと脱皮し、上場も果たしました。ところが解体業は相変わらずゼネコンの下請けという立場だし、上場企業もありません。解体業が社会で認知されるには、解体の専業会社が上場する必要もあるんじゃないかと私は考えています。業界の大手が先んじて上場してくだされば、我が社にも希望がある。だが、そういう気概がないのなら、我が社が道を切り拓く。先駆者になる。そんな気持ちで頑張っているところです」

 

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こうした活動や社業とは別に、定山社長はもっと大きな視野からも建設業界全体を見渡している。

「スクラップアンドビルドの一環として、我々は解体という仕事をしているのですが、どうも再開発のやり方に疑問が残るケースがありました。何故ここを壊すのか、何故こういう壊し方をするのか。もっとこういう風に壊せばいいのにという思いがあったわけです。ある時、大学教授にそのことをお話する機会がありました。そしてそのご縁から早稲田大学の大学院に入り、勉強し、修士論文も書き上げちゃんと卒業したんですよ。働きながら勉強するのは得意ですからね(笑い)」

 

この情熱が、解体業に新たな風を送り込む。

「世は東京五輪に向けて建設ラッシュを迎えると言われていますが、そんなその時限りのイベントとは別次元で、建物の防災・減災のための建て替えなどに解体を通じて貢献したいと思っているところです」

 

定山社長の業界に対する思いは深い。たまたま高校時代のアルバイトから入った世界に、ここまでのめり込むとは本人ですら想像もつかなかったに違いない。だが、この熱き思いがきっと、業界を新たなステージに押し上げることだろう。

 

ƒvƒŠƒ“ƒg定山 清氏(さだやま・きよし)…昭和31年東京都生まれ。都立高校卒業後、鋼材会社に就職、働きながら明治学院大学で学ぶ。大学卒業後独立。昭和58年定山鋼材株式会社設立。代表取締役就任。早稲田大学大学院修士課程卒業。趣味のゴルフはプロ級の腕前(2007年埼玉県社会人テレビ選手権優勝・2012年全日本内閣総理大臣杯14位/シニア部門トップタイ)。

 

定山鋼材 株式会社

【本社】

〒114-0002 東京都北区王子1-28-10-604

TEL 03-5390-0522

【埼玉支社】

〒340-0802 埼玉県八潮市鶴ヶ曽根2061番地

TEL 048-996-8231

http://www.sadayama.co.jp/

 

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