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アート印刷株式会社|愚直に、誠実に、率直に 仕事は相手のお役に立つためにする

 

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アート印刷株式会社 愚直誠実率直

仕事は相手のお役に立つためにする

◆取材・文:綿抜 幹夫 大高正以知 /撮影:周 鉄鷹

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アート印刷株式会社 有松敏樹氏

 

袖振り合うも多生の縁などというが、この人の場合は縁なんてものじゃない。3回も会ったら誰もが親友か親戚付き合いをするようになる、ともっぱらの評判なのだ。

業界では都道府県中85位の中堅印刷業、アート印刷(東京港区)の創業社長、有松敏樹氏(71歳)である。たった一人のカバン持ち(取次ぎ営業)から始めて42年

今では200人近い従業員を擁する最先端の印刷工場と、関連会社を経営するほか、印刷工業会(PAJ)の理事としても活躍。小誌の知る限り、人望は高まるばかりと言っていい。この人物の何がどうしてそこまで人を惹き付けるのか。各方面への取材から得た数々の情報&人間ドラマを、たっぷり詳しく報告しよう。

新入社員は毎年できる新しい子供か孫

02_Art_print02右上2つ/一度に片面6色まで刷れるオフセット印刷機  右下/さまざまな加工に対応可能な製本部門  左上/工場とシャトルでつながるJIT便(ジャストインタイム便)トラック  左中/アート印刷ロジスティックスセンター内部  左下/多種多様な印刷用紙を保管・管理している用紙倉庫

10人か20人の印刷工場ならいざ知らず、関連会社まで含めると役員と部課長だけでも数十人に上る企業体(グループ)である。そのトップが、新入社員の採用に、一次面接から〝自ら必ず関わる〟というケースを、筆者は浅学にしてこの人のほかに知らない。

 

「ええ。よく人さまからもそう言われます。でも私にとっては当然のことなんですけどね。だって社員とその家族を含めれば、数百人の人の人生がこの会社に懸かっているわけですよ。となると会社は、何があっても存続させ、規模はともかく発展させなければなりません。

それには何が必要かというと、やはり〝〟だと私は思うんですね。企業は人なりって言いますが、この業界こそまさしくその通りです。納期を厳格に守るとか、仕上がりが優れているとかっていうのは、これだけ技術力が進み、形式知化していることを考えると、もはや業界では当たり前の話で、何の優位性にも差別化にもなりません。

ではどう優位性を生み出し、競争力を高めて、社の存続と発展に繋げるかというと、これはひと言でいうと社員の〝人間力〟しかないんですよ。もちろん大学出たての若い人たちに、そんな人間力などあるわけがありませんが、でもきちんと教育し、鍛錬すれば身に付く筈です。

そういう教育や鍛錬に耐えられる人、この会社の将来を担うに足る素養のある人を、どんなに忙しくても、自分の目と耳でしっかりと確認をし、選考に資するというのは、社長の重大な責務の一つだと私は思うんですよ」(有松氏、以下同)

その責務は責務として、しかしよく聞くと、氏の性ともいうべき人間の本質が、そこには垣間見ることができる。

 

「若い社員、とりわけ新入社員というのは、私にとっちゃあ毎年毎年できる新しい子供か孫みたいなものでしてね。その子供か孫の顔を1日でも早く見たいと思うのは、親としては自然な欲求だと思いますし、何よりの楽しみじゃないですか。今年も14人に内定を出しましたが、正直言って今からワクワクしていますよ(笑い)」

要するに、〝人が好き〟なのである。好きだからこそ人を大切にする。人を大切にするから自分も人に大切にされる。これから順を追って詳しく述べるが、この人物の人間性や人間力の泉源、仕事人生を語るとすれば、まさにそのひと言に尽きると言っていい。

 

 

原点は濃密で貴重な体験をさせてもらった図書印刷時代

人はなぜ汗水を流し、ときには辛い思いや苦しい思いまでして仕事に励むか。仕事の意欲に駆り立てられるか。聞くと氏は、こともなげにこう言う。

相手に喜んでもらうため。相手のお役に立つためですよ

背景にあるのは、これまでに受けてきた多くの人の恩と、その恩に対する感謝の気持ちだ。

 

仕事人生のスタートは、東京オリンピックの年(1964年)である。当時から今日に至るまで、漫画本の印刷にかけては国内最大のシェアをもつ図書印刷(東京北区)がその舞台だ。大学(東京理科大)で応用物理を学んだ氏は、当然、技術畑に進むものと思っていたが、入社から1年後、案に相違して営業畑、それも社のコンテンツを主導する開発部に籍を置くことになる。同社に限らないが、当時の印刷業界において開発は紛れもなく、社内きっての花形部署と言っていい。印刷手法が活版からオフセットに移り、パンフレットやカタログ、ポスターといった商業印刷の需要が、一気に伸び始めた、まさに第二次高度経済成長の黎明期だったからである。

 

「毎日が刺激的で、しかもホントに忙しくて、時間がいくらあっても足りないほど濃密で、貴重な仕事人生を体験させてもらいました。僅か6~7年でしたけど、そのときの体験が今あるアート印刷の原点であることに間違いはありません。社長にもずいぶん可愛がっていただきましてね。(傍らに座る夫人をチラ見して)私たちの仲人にもなってくれたんですよ」

 しかし、好事魔多しとはこのことだ。

 

「原稿をピックアップしに、車で虫プロ(漫画家の手塚治虫氏が創設したアニメ制作会社)に向かっていたんですが、その途中、追突されちゃいましてね。ムチウチで2カ月ほど休むハメになったのがケチの付きはじめですよ」

当時の給与体系はどこも日給月給が一般的で、すでに結婚し、子供もいた氏は瞬く間に窮地に陥ったという。おまけに恩人とも言うべき尊敬する社長が、大手印刷会社との持ち合い株の関係で退陣を余儀なくされる。おそらく氏の心の中には、ポッカリと穴が空いたに違いない。

 

「社長の退陣で踏ん切りがついたのは確かですが、その前にサラリーマン生活が何だか頼りないように思えてきましてね。よし、それならこの機会に独立しようじゃないかと決心したわけです」

しかしこれに猛反対をしたのが、夫人なら分からぬでもないが、そうではなく現在101歳になる実の母親だったという。氏が若い頃の記憶を辿るとき、そこにはこの母親が何らかの形で必ず登場する。言うまでもないが、前述した氏の〝人が好き〟は、まさにこの母親の大きな愛によって育まれている。ということでここからは、その辺りに関するエピソードを混じえて少し話を進めたい。

 

 

田地田畑、家屋敷で足りなきゃワシの体も持って行け

おばあちゃん

とまれテコでも決心を変えないと腹を括った氏は、自分を支援してくれている古くからの親友ひとりと、その母親を伴って実母の説得にかかったという。そのとき思いもしなかったことを口にしたのが、実は親友の母親である。なんと、

 

「この人の誠実さと大企業で培ったノウハウがあれば、事業は必ず成功すると思いますよ。資本金と当座の運転資金として私が300万円を出しますから、ぜひともやらせてあげてくださいな」

と、頭を下げてくれたのだ。これではさすがの母親も認めざるを得ない。

「分かりました。そこまで認めて仰ってくれるんでしたら、一度やらせてみましょう。ただし300万円は私が出します」

 

ときに第一次オイルショックの前年、1972年(当時30歳)の盛夏の頃である。場所は東京新宿区は弁天町の小さな事務所だ。社名の「アート印刷」は、 「レベルの高い芸術的な印刷を表看板にすれば価格競争に巻き込まれることもないし、景気の動向にも左右されないだろうとの思いから付けた」という。しかし一度付いたらなかなか去ってくれないのが、ケチってものだろう。しかも帳面上ではそこそこの黒字を出していても、運転資金はアッという間に底を突いてしまうのが、零細企業のお決まりコースである。

 

「いくら大企業で経験を積んでノウハウがあるとはいっても、サラリーマンは所詮サラリーマンだなと、あのときは思い知らされましたよ。恥ずかしい限りですが、ホントに甘かったですね。この業界のある意味で慣習といえば慣習ですが、支払いはその都度即金で出て行くのに、集金は軒並み90日か、下手すると120日の手形なんですから」

もちろん出来立てホヤホヤの小さな印刷会社に、おいそれとツナギ融資をしてくれる金融機関などあろう筈もない。そこで氏はやむにやまれず、再度、母親に頭を下げたという。

これにはさすがの、「女房も猛烈に怒りましてね。母親に心配やら迷惑をかけるんだったら、そんな仕事は止めちゃいなさいと、たいへんな剣幕なんですよ(笑い)」

 

しかしここで、前回とは打って変わったかのように、大きな手を差し伸べてくれたのが誰あろう、やはりその母親である。電話で田舎(鳥取県)に呼ばれた氏は、なんと8000万円、現在の貨幣価値に換算すると、4億か5億にもなろうとする超ビッグな運転資金を手にするのだ。

 

「チマチマした金の心配など一切せずに、自分の信じる事業の道を一散に走れというメッセージだったんでしょうね。聞いたら親しくしている地元農協の組合長に、田地田畑に家屋敷、それで足りなきゃワシの体も持って行けと言って(大笑い)、規約で決められている最高額の融資を実施するよう迫ったそうですよ」

 

とまれこれを機に業績はグングンと伸びる。翌年には本社を芝(東京港区)の広い事務所に移転し、社員の採用を開始したばかりか、4年後の1977年には、同じ芝に初めての自社工場を開設する。以来、最先端のローランド4色機と2色機を同時に導入するなど、文字通り破竹の勢いと言っていい。ちなみに農協から借りた8000万円は、僅か10年で完済している。この人の誠実さと能力に着目した母親や、親友らの慧眼も然ることながら、この人の人間性、人間力には敬服するほかあるまい。

 

 

相手が良くならないと自分も良くはならない

その人間性と人間力について、最後に改めて整理してみたい。

前記したように氏は、常々「相手に喜んでもらう、相手のお役に立つ」ことを仕事の信条とし、ときとしてそのことを公言もしている。これは、相手が良くならないと自分も良くはならない、と頑なに信じているからだ。

 

ちなみに同社がここまでの業容に成長したのには、森永乳業や大日本印刷、ソニーといった大手企業の後押しを抜きにしては語れない。その後押しを引き出したのが、やはり氏の人間性であり、人間力と言っていいだろう。氏の人柄を見込んだ人物の紹介で、森永乳業の故・大野勇社長をはじめ、故・五島昇氏(元東急グループ会長)、故・盛田昭夫氏(ソニー創業者)、新井喜美夫氏(元東急エージェンシー社長)らと出会ったことに始まっている。早い話が冒頭にも書いた通り、3回も会えば誰もが親友か親戚付き合いをしたくなる、そういう人間性を持った人物だということだ。ちなみにその人たちが氏を評していうフレーズはほぼ共通している。
愚直」「誠実」「率直」─。これである。

 

余談ながら、この4年ほど前から同社は、〝ロジスティックス〟と呼ばれる事業を開始している。これもまた、氏の人間性と人間力の反映と言っていい。簡単にいうと、物流の合理化システムである。ただ印刷するだけでなく、必要に応じて倉庫で預かったり、その都度納品したりする、顧客にとっては実にありがたいサービスだ。顧客はいきおい、1枚当たりのコストが下がるよう、一度に大量の注文を出すようになる。なるほど。確かに相手が良くなればこちらも良くなる。見事というほかあるまい。

 

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プロフィール

有松敏樹(ありまつ・としき)氏…1942年、鳥取県生まれ。東京理科大卒。大手印刷会社の図書印刷で、約7年間、開発の業務に携わり、その経験とノウハウを基に、1972年、東京新宿区にアート印刷を設立し、代表取締役に就任する。その後、関連会社として好学社、三巧印刷株式会社、医学教育出版社の経営を引き継ぐほか、ロジスティクスセンター事業部を新設するなど、幅広く事業を展開する。印刷工業会理事。芝優申会会長。

アート印刷株式会社

http://www.art-printing.co.jp

【本社】

〒105-0014 東京都港区芝3-3-15 芝MONTビル

TEL 03-3454-1811

【川崎工場】

〒210-0826 神奈川県川崎市川崎区塩浜2-6-11

TEL 044-280-1211

【ロジスティックスセンター】

〒210-0832 神奈川県川崎市川崎区池上新町3-1-4 GLP川崎内

TEL 044-270-3351

 

 

町工場・中小企業を応援する雑誌 BigLife21 2013年9月号の記事より

町工場・中小企業を応援する雑誌 BigLife21 2013年9月号の記事より

 

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