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明邦運輸株式会社|今は悠々自適の毎日も、昭和一ケタの気骨は健在!

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明邦運輸株式会社 戦前・戦中・戦後を生き抜いた仕事人の足跡

今は悠々自適の毎日も、昭和一ケタの気骨は健在!

◆取材:綿抜幹夫 /撮影:周鉄鷹

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01_Meihou01明邦運輸 株式会社  顧問/有限会社 明邦  会長 佐藤璞直氏

日本人男性の平均寿命は80歳弱。つまり齢80を超えれば、あとの人生、いわば『おまけ』なのかもしれない。だが、戦前・戦中・戦後をたくましく生き抜き、自ら興した会社を息子に譲って、今は大所高所から会社を見守る佐藤璞直氏は、今が青春真っ只中だ。その半生を振り返っていただこう。

満州から、命からがら引き揚げて
辛酸を舐めた青年時代

板橋の地で、裸一貫運送事業を興し、その会社を見事に発展させた創業者、佐藤璞直氏。

佐藤氏が心血を注いで育て上げた会社、明邦運輸株式会社は今年創業50周年の記念の年を迎え、息子である2代目社長、佐藤勝也氏号令の下、運送事業のみならず、多方面に業務の幅を広げている。

会社のみならず、業界や地域の組合、団体の役員などの務めを終え、現役を退いた佐藤氏は、今でこそ日々を穏やかな心持で、趣味のゴルフや観劇、あるいは旧友たちとの交流に充てているが、その人生は波乱に満ちていたという。

 

「私の父親は事業家で、戦前から満州で大いに活躍していました。ところが、日本は戦争に敗れ、父はその財産をすべて失ってしまった。栄華から一転、奈落の底に突き落とされてしまったわけです。失意の中、母の田舎である大分県の日田に引き揚げてきた頃、私は中学生でした。その父が昭和26年、59歳で亡くなってしまいました。私はのんきな子供時代を卒業して、社会に出なければならなくなった。母親や兄弟の暮らしを支えるためです。そこで地元の日田醤油に小僧として入社しました」

たぶん、この頃としては決して珍しくない光景だっただろう。それは自身が抱いていた志とは違う形で、社会に放り出される若者の姿だった。

 

「働き始めて何年かして、満州から帰ってきた友達が、東京に出て来いと勧めてくれました。田舎と違って仕事もたくさんあるだろうし、何より広い世間を見聞したかったこともあって、二つ返事でその誘いに乗ったのです。東京に出てくると、母と弟妹のために仕送りもしなければならなかったので、板橋の運送会社に住み込みで働き始めました」

幼い頃に、異国の地で款を通じた仲間は、きっと何物にも代えがたい存在だったに違いない。その仲間からの誘いとあらば、何を置いても乗らないわけにはいかなかったのだ。

 

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「その頃は神武景気に湧き返り、それこそ運送の仕事は大忙し。私は馬車馬のように働いていましてね。そんな時に、満州時代の先輩に偶然巡り合いました。こんないい時期なんだから、自分で運送屋を始めたらどうだと私に勧めてくださいました。そのためにもがんばって頭金になるお金を貯めておけとアドバイスされまして、私はその忠告をしっかり守り貯金に励みました。

やがて小金が貯まると、それを頭金にオート三輪を購入、独立を果たしたわけです。先輩の口利きで紙屋さんの専属運送屋として働くことができました。それが23歳の時です」

それから数年の間、個人事業主として運送業を続け、信用と実績を積み重ねていった。

 

「自分で言うのもなんですが、これでも学生の頃は勉強ができた方なんですよ。ところが家庭の事情で学業を諦め、働かざるを得なかった。だから、周りにいる学歴のある人たちにはどうしても負けたくなかったんです。がむしゃらに働き、ついに会社を興すまでになれたのです」

昭和39年、自身の会社、明邦運輸が産声を上げた。

 

『明邦』という会社名は、『明るい邦(国)作り』の願いを込めています。まあ、思いが大き過ぎて、その理想はなかなか実現できませんが(笑い)、それでも会社は順調に大きくなっていきました」

まさに、立身の道が拓けた瞬間だった。

 

 

先見の明があった、不動産投資

昭和39年東京オリンピック開催、そしてそれに続く高度経済成長と、国を挙げての好景気に沸き返る時代とあって、会社は右肩上がりの成長を遂げていった。

だが、その発展は夫人である清惠さんの影の功労を抜きには語れない。

 

「会社を大きくし、資産も作った。手塩にかけた会社を息子に継がせることもできた。それもこれもいい女房をもらったからだ。なかなか普段は言えないが、とても感謝していますよ。子供達も立派に育った。長男はもちろん、次男は大学の文化人類学の先生になれたし。お金の苦労はずいぶんさせたが、それ以外では泣かせたことはないな(笑い)」

夫人とは、佐藤氏が25歳の時に知り合ったそうだ。だが、当時はただただ忙しく、まだ貧しかったこともあって、実際に結婚できたのはその6年後のことだった。

ここで、清惠さんにもご登場いただこう。

 

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清惠さん「夫は仕事仕事で家庭をあまり顧みなかった人。60になったら田舎に引っ込んで、悠々自適の生活をとも思っていましたが、70過ぎても相変わらず仕事仕事(苦笑)。もう少し家族を大事にして欲しかった。仕事人、経営者としては立派だったと思うけど、家庭人としては失格ですね(笑い)。今は息子に会社も譲って、すっかり仕事から離れたんだから、残りの人生、楽しんで欲しいんですけどねぇ」

おやおや、これは手厳しい。だが、『糟糠の妻』の言い分は至極ごもっともだ。

もちろん、夫側にも言い分はある。

 

璞直氏「男はやっぱり仕事が大事。社員の生活がかかっているし、その社員にも家族があるのだから。そのすべてを守るのが私の役割だった。今は、妻が何事も主導権を握っていますよ(笑い)」

なるほど、『夫唱婦随』が『婦唱夫随』に変わったというわけだ。あるいはこれが老夫婦円満の秘訣なのかもしれない。

会社50年史の中には、今日の隆盛の礎になった出来事が数々存在する。例えば賃貸ビルの建築もその一つだ。

 

璞直氏「これを建てた時、周りはみんな反対した。会社をつぶすぞと言われた。それでも信用金庫の担当者がお金を貸してくれた。40年も前のことです。会社に安定した収入をもたらすだろうと期待してのことだったが、今でもしっかり優良店子が入って家賃収入を得ています」

 

清惠さん「主人は運が強い人なんです。ここの道路(通称オリンピック道路)は、昔片側1車線の狭い道路だった。それがこうして拡幅された。その時はまだこの土地を借りていたけど、いろいろあって、この土地を買うことができた。私欲のない人で、他人のためにあれこれしてあげることが、巡り巡って自分に返ってきている。仕事の上では本当に立派な人なんですよ(笑い)」

現在、この賃貸ビルを管理する会社として有限会社明邦がある。社長は清惠さんだ。

 

 

やり手2代目社長に託す会社の未来

再三話には出てきているが、2代目社長、佐藤勝也氏は璞直氏の長男であり、大手物流企業で最先端の物流を学んだ後、明邦運輸に入社、事業を引き継いだ。総合物流を目指し、一般運送だけでなく、トランクルームやデポ機能を備えた倉庫事業、個人や企業の引越事業などもラインナップに加えたやり手の人物である。

 

璞直氏「息子が社長になってからは、栃木の醤油メーカーの製品を我が社の倉庫に保管し、そこから都内の蕎麦屋(富士そば)に卸す業務も獲得しました。また、建築資材の倉庫業もやっています。私の代ではなかったような新しい仕事を次々始めて、業績はずいぶんと伸びていますね」

2代目社長の話をするときの璞直氏は、気恥ずかしさも多少はあるのだろうが、やはりうれしそうだ。会社もそうだが、息子も立派に育ててきたという自負の表れだろう。

 

清惠さん「息子は中二の時に、父の跡を継ぎたいと決意したんです。中学校の先生にそう語っていたそうですから。その決意は揺らぐことはなかったようです。修業の意味で、他所様にお世話になりましたが、ここを継いだ時は景気も悪くて、かなり苦労をかけました。父親の仕事ぶりをつぶさに見てきたからでしょう、至って真面目に経営に励んでいます」

2代目社長の精勤ぶりは、機会があればぜひ取り上げてみたいところだ。

 

璞直氏「社長の椅子は10年くらい前に譲り、その後就いた会長職も去年退きました。今は顧問という肩書で会社と関係を保っています。息子はいつでも私を立ててくれますし、どこへ行くにも私を連れていくできた社長ですよ。きちんとやっていれば、誰かが必ず見ていてくれるものです。そうやって周りに助けられて会社をさらに立派にしてくれることでしょう。それもこれも妻の教育の賜物でしょうかね」

もはや、会社のことでは思い残すことは何もないといった境地の佐藤夫妻。となれば、これからの人生こそ楽しまなければもったいない。

 

璞直氏「先の東日本大震災では、我が社も大きな被害を受けました。このことでは大きな心境の変化がありました。やっぱり生きていることこそ大事だと。だから、これまで築いてきた人間関係なんかを特に大切に生きていきたいと思っています。その昔、安宅産業からお仕事をいただいていましたが、伊藤忠に吸収されて会社がなくなってしまった後でも、仕事を一緒にしていた元社員の皆さんと長くお付き合いを続けていたりします。今でも年2回はゴルフを楽しんだりしてね。こういった小さな信用の積み重ねが、人生の豊かさや成功につながっているんだと思います」

 後顧の憂いなく、仕事を離れた新しい人生を歩む佐藤夫妻。きっと、若かりし日に叶わなかった楽しみをこれから満喫されていくことだろう。

 

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●プロフィール

さとう・すなお氏…昭和7年福岡県生まれ。父親の仕事で住んでいた満州から、戦後引き揚げ大分に移り住む。地元日田醤油に就職後、東京へ単身上京。運送会社を経て独立。昭和39年、明邦運輸有限会社設立。平成15年、社長を息子・勝也氏に譲る。

 

●明邦運輸 株式会社

〒175-0081 東京都板橋区新河岸3-16-5

TEL 03-3938-8686

http://meihou-unyu.co.jp/

 

 

●有限会社 明邦

〒174-0043 東京都板橋区坂下2-33-12

TEL 03-3968-0685

 

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◆2014年5月号の記事より◆

 

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