経営再建請負人、株式会社T&INKキャピタル代表取締役田中裕氏に聞く「再生局面の企業経営とは?」
◆文:菰田将司
田中裕 株式会社T&INKキャピタルCEO
企業再生局面における、業績不振企業の経営再建を担うアドバイザリー会社のCEOとして活躍中の人物がいる。「中小企業の勝ち負けは、ほぼ経営者さんの力量で決まると思います」。そう語るのは株式会社T&INKキャピタルCEOの田中裕氏。
今まで数社の経営再建に関わってきた彼の目には、成長する企業とそうでない企業、そして成長する局面の経営者像が写っている。今、企業経営にとって何が求められているのか。最前線で会社を支援している田中氏に伺った。
現実に目を背けがちな経営者
田中氏が代表取締役を務める(株)T&INKキャピタルのHPには、ターンアラウンドマネージャーとしての経営再建を行った案件、CFOとして経営に参画された案件、事業財務デューデリジェンス(以下DD) 案件、Debt/Equity双方の資金調達支援、M&Aアドバイザリー業務等で携わった数々の案件が並ぶ。
2015年11月の起業から僅か2年半、田中氏の積極性がそこから伺える。その活動の根源には企業経営への意欲と共に、企業経営を普遍化したいという情熱がある。
「業績不振の企業は、経営者さんご自身の変革マインドや活力が失われているケースがほとんどです。最も大切にされた最大の経営資源である、自社の従業員との関わりが薄れしまっていることが多いです」と話す田中氏にとって、どのような経営者が業績不振に陥ってしまうのか。
「外部環境として、我が国の斜陽産業である産業を中心に、様々な業種や業界に関与をさせて頂きましたが、どの様な業界や業界に、好況及び不況に陥ったシチュエーションでも、その企業ならではの”勝ち方”は存在すると思います。その”勝ち方”を見出すことは、決して簡単ではありませんが、海外企業を含む競合先と比較して、唯一無二の存在となるサービスや商品を愚直に磨き続けることだと思います。
そのヒントとなる種は、社内では自社の従業員、社外ではそれまで歴史があればある企業であればあるほど、関わって来られた得意先、仕入先、外注先が持っていることが多いと思います。
それはどこの企業のどのポジションや役職に居る方々にでも可能なことだと思いますが、企業にお金をもたらして頂く、お客様の声が聴こえていなかったり、声を聴くこと業務を怠けてしまったりすると、次第に業績不振に陥っていきます。
当たり前の業務プロセスですが、商品やサービスを長年に亘り開発し、生産し、販売して、その先にクライアントがいます。ビジネスとは競合とのあくなき戦いですので、そのお客様に対して、当たり前ですが、競合先もどんどん商品やサービスを提案します。
業績不振の企業は、往々にして社内の従業員や部門やセクションを名指しし、企業のインサイド(中)で敗因や犯人探しが始まりますが、そのインサイドでもたもたしている間に、スピーディーに尖った企業(競合先)が、その商流、商売ごとを奪っていくことが実態です。
ですので、私は現状認識が必要な業績不振の企業に対して、口を酸っぱくして、競合先を意識させることにエネルギーを注いでいきます」
業績不振の企業は、企業経営において大切な「規律」が失われていることが多いと田中氏は語る。逆を言えば、良い経営者さんに求められる要素とは、社内に「厳しくも暖かい規律」を醸成し、お客様の声に耳を傾け、この人に言われたらし方々ないと人たらしで明るく謙虚で情熱を持っていることだと田中氏は言う。
田中氏は尊敬しているという、IBM社で経営再建を担ったルイス・ガースナー氏の言葉を引用して、こう話してくれた。「『(危機に際して)最も必要ないもの、それがビジョン』(『巨像も踊る』より)。
「特に再生局面では、リアルな現実を数字とロジックを以て、全従業員さんに分かり易く伝え、このままではまずい、という自覚を持って頂き、主体的な行動に落とし込んで貰うことが大切だと思います。現実から目を背けることなく、リアルに現状を認識することが大切だと思います。綺麗ごとはあまりありません。当たり前のことを派手さもなく、愚直に実行していくのみだと思います」。更に田中氏はこう提言する。
「成長する企業の経営者は常に最前線の現場にどんどん行きます。社長室に閉じ困らず、むしろ従業員さんが声をかけて貰える自由闊達な社風を大切にされるため、社長室自体が存在しないと思います」。と話す田中氏。
定量的に数字とロジックを認識することと、従業員に対しては、難しい言葉を使わず、シンプルに伝え、情熱と熱意を持ちながら、従業員を巻き込み、努力を怠たらないことが業績不振の企業から脱却する鍵だと思います。「最後は気合いしかないです」。と話す田中氏。
「自分に嫌気が差した」
特に業績不振の企業に対して、情熱を持つ田中氏だが、その根底には自分自身の歩んできた苦い経験がある。
「5歳で野球を始め、県下の普通高校に通い、野球一筋の人生を送っていました。1年生から主力選手として活躍。野球を始めた頃からの夢である、甲子園出場とプロ野球選手を叶えたいと思っていました」
その夢が崩れ去ったのは、高校3年生の夏。自らが起こした不祥事により、甲子園出場どころか、プロ野球選手への道も断たれることになった。
「今思いましたら、あの事件が人生最大の挫折ですし、人生のドン底でした。チームメンバーやそれまで応援して頂いていた全ての方々に迷惑をかけ、その原因自体が100%自分にあるわけですし、本当に逃げ出したい辛い経験でした」
だが、田中氏は不祥事から3ヶ月ほど経ち、ひょんな経験から、「僕の人生はこのまま終わって良いのか?」と自問自答し、嫌気が差していた自分自身に対して別れをつげるべく、高校3年時の9月3日から、1日20時間の猛勉強に挑む。偏差値23からの再スタート。
「当時は自分への怒りもそうですが、周囲を見返したいという、何というか負のエネルギーみたいなものがありました」。その努力が実り神様がチャンスを与えてくれたのか、半年後、志望大学に現役合格する。
こうして上京してきた田中氏だったが、大学在籍中も異端児だったという。
「田舎の岐阜県から上京してきているので、都会の方に嘗められてはいけない」と、変なプライドから、その容姿は金髪に髭をたくわえ、黒革のジャンパーを来て、大学へは愛車のカワサキのゼファーXで通学。そんな容姿で大学に行くので、友達が出来るはずもなかったという。高い学費を何とか取り戻そうと、大学の視聴覚室で映画をほぼ毎日見る日々を送る。
「1日に何本も映画を見ているうちに、学生時代にそれまで打ち込んできた野球の代わりに”英語”を頑張ってみよう、と、勢いでTOEIC検定を受けてみたらところ、スコアは400点。
それで調子にのっていたら、数少ない友人から、世の中には帰国子女という方が居て、900点以上の点数を取る、ということを知る。であれば勝負したいと、本気で英語を勉強することになっていった。アルバイト先でも外国人が来たら英語で積極的に話しかける等、寝ても覚めての英語漬けの生活を送り、結果的に860点まで点数を上げることが出来ました」
他にも様々な学問に触れるにつれ、英語を使用し、世界で戦えるビジネスパーソンになりたいという夢が大きくなってきた。就職の志望業界は総合商社。もっと上のレベルと大学ではないと厳しいと言われたが、ご縁があり、これまで迷惑をかけた両親にとっても誇りの企業であった豊田通商(株)に入社する。
「そこで自動車部品の輸出入業務や米国電力事業のM&A等に携わり、順調な商社マンとしてのキャリアを積み重ねていった。ほぼ4年の米国の駐在も見えていたものの、ビジネスマンとして、リスクを取るという意思決定をするまでには、日本企業では『意思決定をする側』になるには30年近くもかかってしまう。社内の上司に迎合し、生産性の低い業務をこなすだけの日常が嫌でしょうがなかった。
折も折、(株)リクルート(以下R)がリーマンショック以降控えていた中途採用を再開するという話を伺い、興味本位に中途採用に応募。数万人が応募したと聞いていましたが、ご縁を頂き初の転職をすることになった」
「Rでは主に求人広告媒体の媒体営業職に携わり、社内外の元Rの上司や自己顕示欲の強い(笑)同僚達にも恵まれ、好業績を上げることが出来ました。人間としても、課題ばかりの人間でしたが、成長させて頂きました」。と田中氏は回想する。
しかし、ここで再び転機が訪れる。クライアントの様々な経営者と対峙するにつれ、自らも経営に携わりたいという気持ちが沸々と湧いてきたのだ。
「サラリーマンだった自分に、経営者の話や生き方が凄い刺激と勉強になりました。Rの創業者江副浩正氏も『自らによって機会を創出し、その機会によって自らを変えよ』という、本当に深く考えさせられる、素晴らしい名言を残されていらっしゃる。それで私自身も経営者の一人になりたいと志しました。
数字とロジックで考える
「起業して成長して成熟して。それからは衰退するか飛躍に転じるか。ですから企業の本質は衰退期にどうするかだと思います」と話す田中氏。
「野球等のスポーツでは、負けた試合は、流れを変えたプレイや敗因が必ず存在します。企業も同じではないだろうか。起業、成長、成熟を経てその先は衰退するか飛躍するか、成熟から衰退のフェイズこそが、経営の本質であるエッセンスが詰まっている気がしました。ですので、その負けの本質を学び、理解をすることが出来れば、その逆を実行することで、もしかしたら、勝ちをもたらすことが出来る経営者になれるのではないか?と思いました」
Rを退社した田中氏が扉を叩いたのは事業及び企業再生領域の財務アドバイザリー会社である、ロングブラックパートナーズ(株)(以下LBP)。
LBPでの3年間、事業財務DD(デューデリジェンス)や事業計画策定、アクションプランの実行等といった、業績不振企業約30社と従事した経験が、田中氏にとって血となり骨となることになる。
「再生案件と言いますと、聞こえが良いかもしれませんが、やっていることは愚直で泥臭い積み重ねの連続です。全く以て、カッコイイ仕事ではありません。時間的制限や案件によっては資金繰り破綻目前であるクライアントと対峙し、財務資料の保管条件等も、企業によってまちまちである。DDでは、ひたすらPL(損益計算書)とBS(貸借対照表)を分析し、本質に迫っていく。時間と根気のいる仕事です。
夜中の2~3時までウォールーム(資料を精査し、DDを行う部屋)にいることは当たり前で、徹夜もしょっちゅう。あまり大きな声では言えませんが、年間の休みは数日の文字通り仕事漬けの状況でした。1年のほぼ毎日は地方のホテルで暮らし、週末に洗濯をするために東京に戻り、月曜から新幹線か飛行機で通勤する、という生活でした」
「LBPは大企業の再生案件で名高いPwC(Price Waterhouse Coopers)社の最前線で、企業及び事業再生案件に従事をされた、業界の先駆者の方々が立ち上げられた野武士ファームです。私の様な事業会社出身で、企業の財務や会計知識の乏しい私に対して、徹底的にノウハウ、スキル、経験、つぎ込んで頂きました。LBPでの3年間がなければ、財務プロフェショナルとしての実力はついてないですし、私自身は独立が出来ていないと思います。各案件で債権者である金融機関さんとの厳しいバンクミーティングに何度も何度も出させて頂いて、経験を積ませて頂き、本当に有難い環境でした」
ただ、田中氏はLBPで3年が経つ際に悩みがあった。
「理路整然と数字やロジックにより、業績不振の企業にDDや事業計画書を提示、債権者からの同意が取れても、実際の経営計画の実行の主体は、業績不振企業の経営者さんになるわけです。中小企業の経営者さんはほとんどの金融機関借入金に対して、経営者さん個人の連帯保証を入れられている、という事象は、頭の中や理屈としては理解出来ていても、私自身は事業を始める際に、金融機関から借入れをしたこともなければ、個人保証を入れたこともない、ということに対して、違和感を感じると同時に申し訳なさを覚えました」
「その頃から、クライアントとコンサルティング会社というテーブルを挟んだ距離がとても遠い距離に思えて仕方ありませんでした。再生局面の企業の経営者さんにとっては、崇高なDDや事業計画書をコンサルティングファームに作成して貰うことが大切なことではなく、このリバイバルプランをどの様に具体的に“実行”していくかの方が重要であり、同時に当たり前ですが、その経営者さん自身の、人生と生活が懸かっていることがとても重要なことだと再認識しました」
こうして田中氏は、経営現場へのハンズオンでの実行支援も行いたい、という意思を以て、企業再生及び事業再生のコンサルティングファームである、(株)T&INKキャピタルを2015年11月に設立する。31歳の時だった。
現状日本史上最高のCFOは土方歳三では?
高畑不動尊の土方歳三像 写真AC
起業をされて、これまで数社の企業経営に内側から関わられて、自身にとって何が大きく変わりましたか?
「経営の意思決定と判断1つ1つに対して、責任とリスクを負うという重みです。特に資金力が乏しい、中小企業においては、経営者の一つの意思決定を間違えることが出来ないことが、日常茶飯事で起きている、と身を染みて分かるようになってきました」
「一方で、企業再生局面の経営者さんは、そういった特別なシチュエーションにいらっしゃいながら、従業員、得意先、仕入先、金融機関に対して勇気と元気を与えながら、経営改革を実行していかなくてはなりません」
では、リーダーとして重要なことは何なのだろうか?
「現時点で私が思うことは、数字と現状を正しく理解すること、情熱、謙虚さ、人の気持ちの理解、人望、失敗から学ぶ力、愚直な努力を貫くことが大切だと思います。それがリーダーには求められると思います。
ですので、私も起業してからが特にそうですが、幾多の挑戦と失敗を経て、リーダーの立場を経験させて頂けますと、成長のスピードは格段に上がると思います。
20代後半や30代前半ぐらいから、リーダーとなり主体的に経営に関わるビジネスマンが増えれば増えるほど、日本は元気になると思います」
数々の業績不振企業に内側から関わってきた田中氏だが、業績不振企業再生の、鍵となるのが、企業内の従業員であり、これまでキャッシュフローに貢献をしてきたキーマンの存在だという。
「私はオセロのようなイメージを持っています。業績不振企業は、心が荒んでしまった方々が、まるでオセロの黒い駒の様に、社内のあちこちにいらっしゃいます。そんな企業においても、辛うじて白い駒のキーマンが必ずいらっしゃいます。一人では何も出来ませんが、その白い駒のキーマンに、情熱をたきつけ、僭越ながら教育とマネジメントを施させて頂くことで、キーマンの従業員さんは、水を得た魚の様に、主体的に改革に取り組んで頂きます。
ですので、キーマンの選定は決して間違えてはなりません」
「定性的な話ですが、業績不振企業の従業員さんにとって、会社とは、単に給料を貰えるためだけの場所となっています。このやってもやらなくても一緒、という不敗ムードから、キーマンさん自身による変革により、会社や仕事に改めてやりがいを覚え、とても楽しいという状態に変革していくことが、企業再生における理想的なプロセスだと思います」
最後に、ご自身にとって最高の経営は、と伺った。
「現時点では経験不足ではありますが、経営の醍醐味はゴールがないことだと思います。従業員さんとその家族のことを考え続け、意思決定1つ1つで、生活が変わってしまう責任を伴うということです。これはとてもとても重いことだと思います。ですので、ビジネスマンとして、ずっと勉強し続けなければならないのが経営だと思います」
「私が尊敬する経営者は、社内外全ての問題と過大を自分の責任として認識し、周囲に自分の目指す先を指し示しながら、夢と希望を与えることが出来る方々です。平成30年6月現在、私は主にCFOとして、CEOを支えさせて頂く立場が多いのですが、一人のCFOとして、憧れているのは日本市場2番目に出世したと言われる、新選組の副長であった土方歳三です。
彼は、筆頭局長近藤勇の右腕として、組織に規律を与え、幕末最強の剣客集団である新選組を創り上げました。組織の太陽の様なリーダーの側近として、CFO業をやり抜いてきた方だと思います。土方の最期は、最愛の近藤が流山で新政府軍に捉えられた後、近藤の後の新選組を託され、立場としてはCFOからCEOとなり、現状から逃げることなく函館の五稜郭まで戦い続けた姿はとても心を打たれます」。
「素晴らしいCEOであればあるほど、経営の各シーンにおいて、相対矛盾する”情理”と”論理”の合間にはさまれ、自問自答を繰り返し、葛藤があると思います。
得てして、業績が良い企業のCEOは、社内外からの象徴であり、太陽の様な存在だと思います。その状況で、自ら好んで嫌われ役を引き受けることはとても難しいことだと思います。そのCEOに代わり、組織の中での嫌われ役となり、規律を与えながら、組織のために尽くすことが出来る存在が、CFOの役割ではないでしょうか」
…本人曰く、まだまだ経営経験と能力が低い田中氏ではあるが、良い経営者にとって必須なストレス耐性と胆力を付けたい意向である。その意地を持って進むその姿には、彼が愛してやまない新選組副長の土方歳三の姿が重なって見えた。
田中裕(たなかゆう)……1984年、岐阜県生まれ。明治大学商学部卒業後、豊田通商(株)、(株)リクルートを経て、ロングブラックパートナーズ(株)にて約30件の経営再建案件に携わる。
株式会社T&INKキャピタル(英文:T&INK Capital Co.,Ltd)
東京都荒川区西日暮里2-6-18-712
http://tandink.com/