株式会社チェンジ /生産人口減少の現実に、フィットする働き方を提唱! 「日本」を変えるために、「人」を変える
生産人口減少の現実に、フィットする働き方を提唱!「日本」を変えるために、「人」を変える
株式会社チェンジ/代表取締役 神保吉寿氏
大学時代に「なにもの」になるかを描けなかった青年が、コンサルティング会社に出会い、時を経て企業変革のための株式会社チェンジを設立。
「人」の変革をテーマに、企業を、日本を変えていくビジョンを打ち立てた真意、そして13年目を迎えたIoTソリューションと研修を両輪としたその事業に迫る。
■「なりたい」自分に目覚める時
転勤族の父親のもとで育った神保吉寿氏は、岡山生まれだが小学生時代は中国四国地方のあちこちへ行き、中学校1年生の時に松山、中2から高3まで新潟で過ごした。大学は祖父母が住む岡山大学に進学。
法学部で学ぶもむしろ関心事は政治や世界情勢で、徹夜でテレビの政治討論番組を見ることもしばしばだった。折しも湾岸戦争の時代。PKO、国際平和維持活動の派兵問題にも興味があった。
岡山でまだ行き先の見えない一学生に過ぎなかった神保青年は、同時に政治問題を活発に議論する硬派なサークルが存在するような東京に憧れた。国際学生シンポジウムの開催で上京の機会を得て、
「田舎から出てきて、いきなり洗練された学生たちを目の当たりにするわけです。彼らはどのような勉強をして理路整然と自分の意見を言えるのだろうとか、どんなところに就職していくのだろうと思いました。その時にたまたまコンサルティング会社という存在を知るわけですね」(神保氏、以下同)
といっても、学生同士ではそれが何をする会社かよくわからない。同じ時期に著名なコンサルタントである大前研一氏の〝平成維新〟という本に出会う。
「道州制について書かれていましたが、中身そのものではなく、ものの見方であるとか切り口に驚きまして。経営コンサルタントになれば新しいものの見方が身に付いた人になれるのではないのか」と思ったという。そこから経営コンサルタントへの道、手始めにコンサルティング会社への就活がはじまったのである。
■大手コンサルティング会社での基礎づくり
いろいろ調べると、著名なコンサルティング会社はどうやら東大卒しか採用しないらしい、ということがわかった。神保氏は就職情報雑誌で見つけたアンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)という会社の文字そのものに惹かれて照準を定める。
アメリカのシカゴ本社の大きなグローバル企業だったが、運良く就職できた。ところがである。
「実は中身がIT企業だという事をよく知らなくて、入社してからは企業に提供するシステムの開発現場に放り込まれました」
それでも同氏はシステム開発をする前段階において、その企業が何をどう変えたいのか、方針の整理や業務改革を考える部署への移動を果たす。アンダーセンでのその後の4年間は大手企業の業務改革を担当した。効率的な業務の流れとは? コンピュータはどう絡めばいいのか、それに付随した組織構造の変革など、〝組織生産性を上げる〟をキーワードにコンサルティングの仕事に終始した。
「ここで覚えた技が、業務の効率化や業務革新の仕方、組織図を設計する時の考え方です。私にとっては、本当の大学のようなものだったかもしれません。ロジカルシンキングやロジックツリーとか言われたりしますが、全て構造化したり、細かく分解して考えていく思考方法が身に付きました」
■全体を見渡す目をつかむ、自分みがきの数年
1999年になった。世の中はネットバブルに浮かれた時期、神保氏も浮かれていた。ベンチャーキャピタルに呼ばれて、アンダーセンを辞め、さらにホームページ業務に特化したベンチャーに移った。そこはアンダーセン時代の先輩が立ち上げた会社で、同氏はウェブサイトの作り方などを一通り覚えた。
「アンダーセン時代は大手企業の1部門だけの業務改革をすればよかったのですが、そこでは中小中堅企業に深く関わらせていただき、初めて会社の全体像を俯瞰で捉えることができました」
頭でっかちで、いろいろな人が様々な理由で働いていることすらわかっていなかった頃でもあった。たとえば、部長クラスの人を相手に30そこそこの若者が、20代の頃に本を読んで覚えたカタカナ英語を使って重要なことを語っても、嫌われるだけで仕事にはならない。
「日本の現場の現実を叩き込まれました。2年間、非常に貴重な経験をさせていただきました」と同氏は振り返る。
そして転機は京都の中堅企業を担当していた時に訪れた。当初のホームページのリニューアルから、基幹システムを入れ替える仕事のコンサルタントとして関わるようになり、オーナー社長に気に入られたこともあって、「もっと相談に乗ってくれないか、とありがたいお言葉をいただいて。その方はさらに『自分も31で独立したから、31のお前も独立せい』と言ってくださって。仕事面でのサポートを申し出てくれました」。
京都に移り住み、フリーで2年間、さらに自分に磨きをかけた。
■生産人口の減少に対抗するための人づくり
雌雄の時を経て、満を持したように今の株式会社チェンジを設立したのが2003年。中小企業挑戦支援法のもと、資本金650万円でのスタートだった。設立当初は外資系の大手コンサルティング会社の下請けに甘んじていた。
プロジェクトに参画してそれでお金をいただく。家族を路頭に迷わすことはないが、ただそれが本来思い描いていたプランではない。
初めに『Change People, Change Business, Change JAPAN』を旗に掲げていた。その背景には、ひとつには5人の設立メンバーいずれもが、企業の変革をお客様と一緒になって企画・推進していく現場密着型のコンサルティングの経験を積む中で、〝企業の構成要員である『人』が変わらなければ企業は変わらない〟という結論に至ったことにある。もうひとつの要因としてはその当時から生産人口が減る傾向にあって、日本全体が衰退する前に何とかしたいという思いがあった。
「生産人口、働く人が減るなら、ひとり一人の生産性を向上させなければならない。我々の主旨は生産性を向上させることに絞り、人を変えていこうということです」
人を変えるとは、なにも人格や性格を変えることを意味しているわけではない。その人のパフォーマンスを変えることを指向している。パフォーマンスを高める上で最も重要なことは、仕事のやり方を変えることである。
「野球にたとえると、今までは9人で戦えたものが7人で戦うことになる。7人でも9人の時と同じように勝てるようにする。そのためにはひとつは道具、もうひとつは人の教育。優れた道具を優れた教育を受けた人が使いこなせば生産性が上がるだろう、というのが我々の仮説です」
だから同社ではIoT、今はスマートフォンやタブレットなどスマートデバイスと呼ばれているものを使っての業務革新にかかわるソリューション事業と、若手向けの実務に役立つ研修。2つの事業を柱としている。特に、
「チェンジの研修コンセプトは、ビジネスマンの体幹を鍛える研修。ビジネススキルの根幹にあるのは、『聞く・読む・書く・話す』力ですので。その辺りをきっちり鍛えることが強みだと思っています」。
■一歩先行く先見性を持つこと
チェンジの顧客は大手企業が多いと聞く。その理由は何なのだろうか。
「もともと、特に大手企業をクライアントにしようと意識していたわけではないのです。しいて言えば人との縁ですね。私が最初に務めていた会社のOBの方が大手の人材開発の担当になられて、それでうちに声をかけてくださった。
その方がやりたい研修プログラムがある。けれど、どこも作れないそうで『お前たちは作れるか』と」
その時に創業メンバー全員が頑張ってOBのオーダーに応えた。
「『どこにも作れないものを作れなかったら、僕らのその後はない』くらいの覚悟でした。そこを乗り越えたことによって、大手企業さんの間にうちの評判が広まっていったんだと思います。大手志向はあくまで結果です」
こうした業界では、スキルも含めて専門知識がクライアントの上を行かなければ成功しない。
「どの業界でもそうでしょうけれど、今の時代は御用聞きでは簡単に見限られてしまいます。我々は常にお客様の一歩先を行かないと、付加価値は出ないですし商売にも結びつかない」
大学時代に初めてワープロに触り、会社に入ってウィンドウズの洗礼を浴びた青年は、創業12年、人と組織のパフォーマンス向上を旗印に会社を率いてきた。今では資本金も設立当時の7倍以上、社員50人、売上も14億の企業に成長した。
「先輩方から見ればまだ若輩者、未熟者でしょうけれども」と謙遜するが、常に先を見据え、憂い、具体的な行動へと結びつけてきた。その間につかんだ手応えと自信は、青年を、日本企業全体の競争力向上に貢献していきたいと願う経営者の顔にした。
神保吉寿(じんぼ・よしひさ)氏
1970年、岡山県生まれ。1994年、岡山大学法学部卒業後、アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)入社。企業の業務改革を担当。2003年4月、中小企業挑戦支援法に基づき資本金650万円で株式会社チェンジを設立
株式会社チェンジ
〒105-0001 東京都港区虎ノ門3-17-1
TOKYU REIT 虎ノ門ビル6階
TEL 03-6435-7340
http://www.change-jp.com
年商:15億5000万円(2016年)
従業員数:53人