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株式会社タイレル – 革新的おもてなし〟で独創のビジネスホテルチェーンを築いた男が目指すアドマイヤーカンパニー(賞賛される会社)とは

 

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株式会社タイレル – 革新的おもてなし〟で独創のビジネスホテルチェーンを築いた男が目指すアドマイヤーカンパニー(賞賛される会社)とは

◆取材:綿抜幹夫 /撮影:高永三津子

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西東京を中心に広がるビジネスホテルグループ・株式会社タイレル/代表取締役会長 田中 昇

 

鉄道マンからタイル屋へ転身、そしてホテル事業へと乗り出した男の半生

東京五輪を4年後に控え、今やホテル業界は「30年に1度」と言われる活況を呈している。都心では外国人富裕層向けのラグジュアリーホテルが続々とオープンしたり、老舗ホテルのリニューアルも相次いでいる。

その勢いは上ものの開発ラッシュだけでなくビジネスホテルの稼働率にも反映されており、以前は出張に気軽に使えていたホテルの予約が難しくなるなどの状況をも招いている。

それらを冷静に見つめているのが、西東京を中心に『東京ウエストグループ』などのホテルを展開する株式会社タイレルの代表取締役会長・田中昇氏だ。最終学歴は中卒ながら、紆余曲折を経て一代でビジネスホテルグループを築き上げた同氏の足跡と信条に迫る。

 

人を大切に思う心から始まった

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ビジネスホテルが出張族だけのものだった時代は終わりを告げたのかもしれない。当初は、安かろう悪かろうと思われていたビジネスホテルだが、業界内での努力により、安心した宿泊の提供とサービスが向上すると、ビジネスマンだけでなく、旅行客を呼び込むこともできるようになった。

近年では日本観光がブームになり、アジアを中心とした外国人観光客も目立つ。おかげでビジネスホテル全体の稼働率は大幅にアップした。そのため以前なら出張のその日でも予約が取れていた都心の交通の便のいいホテルでは、直前の出張であわてて予約をしようにもすでに満室。ビジネスマンにとっては頭の痛い状況が続いている。

 

そうした現在のビジネスホテル事情の中で、ビジネスホテル大手チェーンなどでは需要に追いつけ追い越せとばかりに客室数の大幅増加を目論んでいる。その一方、現在の活況をホテルバブルと評する声もあり、東京五輪後でも利用を続けてもらうために、リピーター獲得に意欲を示すホテル関係者も多い。

 

株式会社タイレルは後者に属するのだろう。デザインやサービス、設備それぞれで差別化を図ることは当然で、表面的な事象だ。

同社がこだわるのは、人と人とのつながり、思いやりを大切にした真の意味でのおもてなしだ。具体的なことは後述するとして、その前に田中会長が「アドマイヤーカンパニー(賞賛される会社)」を目指す株式会社タイレルを、どのようにつくり上げてきたのかサマリーしてみよう。

 

 

仕事が好きだから、雌伏の時代を耐え抜いた

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田中氏が社会人としての第一歩を歩み始めたのは、1957年。名古屋を中心に路線を広げている全国屈指の私鉄・名古屋鉄道株式会社(通称:名鉄)でのことだった。入社後は、「電車の車掌さんまでやりました。運転手には試験に受からなくてなれなかった。どうしようかと考えていた時に、東京に名鉄観光ができて出向できることになったのです」(田中氏、以下同)。

 

それが22〜23歳の頃。地方からのお客様に対して東京近辺の観光案内や宿泊の手配をするなど、いわゆる観光窓口業務に従事した。

「当時文京区には修学旅行生などを受け入れるホテルがありまして、そのホテルに見学に行き、社長さんからホテルの運営の仕方や観光にまつわるいろいろなサービスを教えていただきました」

 

そうしてお客様を喜ばせるノウハウを身につけた田中氏。やがては〝名鉄観光東京駅案内所に田中昇あり〟と言われ、リピーターからも全国の営業所からも頼られるような存在になっていった。社会人としてようやく自分の道筋を見つけた同氏だったが、当時の給料はとても安く、子どもができたこともあって生活が立ち行かなくなってしまった。その頃、同じアパートに住んでいたタイル職人は自分の2倍の給料であることを知る。

「私は名鉄が大好きでしたし、いずれは名鉄観光の北海道や九州の営業所長になりたいという夢はありました。でも毎日食べていくことが優先ですから。食べていけないのだったらタイル屋さんをやろうと決心したのです」

そうはいっても最初は60キロのセメント袋を担いだりして足元はフラフラ、足場の上の作業に身体がついていかない。そこで職業訓練学校に通いタイル貼りを身につけた。

無我夢中でタイル貼りを始めた頃、3階のとある浴室タイル工事を初めて任された。

 

「夜中の3時に1階から火災が発生しているにも関わらず作業を進め、消防車、救急車の現場での大騒ぎで初めて気がついたこともありました」

これが命がけのタイル工事屋の始まり、と田中会長は言う。

「親方にも怒られましたが、徐々に笑い話になりました。タイル屋の経営は苦しい時もありましたし、辛くて悲しくてやめてしまおうと思った時もありました。それでも仕事をすることは好きでしたね。人にも親方にも恵まれていましたから。ただただ一生懸命やりました」

そしてついに1969年、「田中タイル」創業。今のタイレルの大きな柱のひとつとなる建設事業でのスタートだった。

 

 

ホテル経営に乗り出すチャンス到来!

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現在、ビジネスホテルを十数店舗、ファミリーマートを中心にしたコンビニ40数店舗、カフェ&バー、プロントを4店舗を経営している株式会社タイレルだが、建設事業から展開したきっかけは何だったのだろうか。

「それはバブルの時ですね。タイル工事などで儲けさせていただいた資金をすべてホテル事業につぎ込みました」

ソフトでゆったりとした口調とは裏腹に、田中会長の内側には並々ならぬ事業欲が隠されている。若い頃、生活のためにタイル屋になったが、名鉄観光時代に芽生えていた観光業、それもホテル業への夢が原動力になったという方が近いのだろう。

 

1990年、銀行から規制によりホテルが建てられない土地の購入を勧められた。

「でもホテルをやりたい。そこで考えたのは今でいうマンスリーマンションです。1日1泊のホテル、1週間単位のウイークリーホテル、1カ月単位のマンスリーホテル。当時は、ほかに類を見なかったと思います。そんなギリギリなところでホテル業を始めました」

 

まるで〝チャンスは誰にでも平等にある、それを掴むか掴まないかはその人次第だ〟という同氏の口癖を地で行くような、ホテル事業への展開。加えて、「ホテルを買ったら1階にコンビニが必要であった」ことをきっかけにコンビニ事業も付いてきた。

 

本来自分がやりたかった仕事ができるようになり、これまで思い描いてきたホテルづくりを実行した。それはアメリカナイズされたやり方とは全く逆で、「規模の小さいホテルをつくっています。ホテルに限っていうと1番効率の悪いやり方です(苦笑)」。

というのも、ホテルは150室以上でないと効率が悪いとされる。小規模でもかかる固定費はあまり変わらないからだ。それをあえて100以下とするホテルを狙う。

「一人ひとりのお客様を名前で呼べるようじゃないとダメですね。お客様が外出から帰ってきたらサッと鍵を渡すことができるとか、気持ちよく過ごしていただくためには100人以上になるともう無理。だからうちは最高でも69室です」

 

そういう田中会長の頭の中には人を大切にすることが植え付けられている。

「いまだに毎日ホテルの手書きのアンケートに目を通していますよ。何か問題があればすぐに対処する。現場は大変ですけれどね」

スタッフが客室用に季節に合わせた折り鶴を作ったり、メッセージカードを手書きで書いたり、手づくり感覚も大事にしているという。

「それは人のぬくもりを感じられることと、口コミでも良い評価が得られ、ホテルのリピーター獲得にも、スタッフのモチベーションアップにもつながります」

 

確立されたサービスやマニュアル通りの対応がすべて悪いとは言わない。ただ、世の中がデジタル化している時代に、体温の通った心からのおもてなしは、まさにアナログの心地よさを再認識しているかのように宿泊客からは受け入れられている。

「『SBBH』です。Sはsmall、Bはbeautiful、BHはbusiness hotel、『小さくても心暖まるきれいなホテルをつくる』ことがコンセプトですから、私どもはいち早く人の手によるアナログのサービスを提供しています」

 

 

マスコットにみるユーモアあふれる「おもてなし」

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タイレルという社名は、「タイルの仕事をしていましたし、田中昇の最初のタと最後のルをとってつけました。でも本当は……」と茶目っ気たっぷりに語る田中会長。自動車レースのF1で活躍したティレルというコンストラクターが六輪車をつくって話題になったことがある。「通常より多いタイヤのように、多くの人の力を合わせて頑張れば、世界に唯一のものになれるという意味を込めて、ティレルをもじってつけたのです」。

 

人の持つ力を活かすために掲げた指針がある。

1.ホスピタリティー:おもてなしの心

2.コンセディレイション:思いやりの心

3.スピード・チャレンジ:素早く挑戦する

4.クォリティ:品質

5.コスト:価格・原価

6.インプレッション:心の感動

7.クリエイト・ディマンド:創造

8.ファンタジー:人の心をとりこにする

 

ブレーンにもこの指針が示す『田中昇イズム』、『田中昇一家』に賛同する人が自然と集まってきた。

ホテルもコンビニもお客様あっての商売だ。おもてなしの心は基本中の基本。タイレルが目指すところは〝革新的なおもてなし〟だ。それには単に心のこもったおもてなしだけでなく、一歩も二歩も踏み込んだおもてなしが必要になる。そのヒントは指針の6番目の〝インプレッション〟と、8番目にある〝ファンタジー〟だ。

 

タイレルが経営するホテルに宿泊すると、バスルームに先客がいる。小さなアヒルのマスコットだ。この小さな存在〝ピーちゃん〟が「カワイイ」「ホッと和みました」「癒されました」など、遊び心をくすぐりながら心の感動を呼び起こし、口コミでも好評価に結びついている。

こうしたユーモアあふれるアイディアが積み重なり、人のぬくもりと相まって、ほかには類を見ないおもてなしになる。

紆余曲折を経て、ホテル業界に自社ブランドを確立し、コンビニ業界でも地位を獲得した株式会社タイレル。『田中昇イズム』、『田中昇一家』で突き進めば、ますますの発展が望めるのだろう。

「アドマイヤーカンパニー(賞賛される会社)への夢達成のため、これからも挑戦し続けたい」と、田中会長は最後に力強く語ってくれた。

 

オビ ヒューマンドキュメントプロフィール

田中昇(たなか・のぼる)氏

1938年、三重県伊勢市生まれ。名古屋市立山王中学校卒、1957年名古屋鉄道株式会社入社。名鉄観光東京支店(当時)出向。

1969年、田中タイル創業、タイル工事業開始。

1979年、有限会社田中タイル設立、代表取締役就任。

1989年、株式会社タイレルに組織&社名変更。

1992年、有限会社美好設立、代表取締役就任。

1994年、有限会社美好を有限会社東京ウエストに社名変更。

2000年、有限会社東京ウエストを株式会社東京ウエストに組織変更。

2015年、株式会社東京ウエストと株式会社タイレルを合併し、株式会社タイレルに組織&社名変更。代表取締役会長就任。

むさし府中商工会議所では労務委員、サービス業部会長、財務組織委員などを歴任、府中ホテル旅館組合組織長、府中環境衛生協会会長なども務める。

 

株式会社タイレル

〒183-0027 東京都府中市本町4-23-2

TEL 042-360-5779

http://www.tilel.co.jp/

http://www.tokyowest-hotel.co.jp/

従業員数:1,022名(2015年7月現在)

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