次世代の産業を担う【中小企業】初めて明かされる秘話
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鐵光商事株式会社 – 循環型社会実現の担い手として躍進する産廃処理事業者の今、昔

オビ 企業物語1 (2)

廃棄物から日本の経済が見えてくる

循環型社会実現の担い手として躍進する産廃処理事業者の今、昔

鐵光商事株式会社
会長/千葉謙治氏・専務取締役/千葉勇治氏

オビ ヒューマンドキュメント

OLYMPUS DIGITAL CAMERA鐵光商事株式会社/専務取締役 千葉勇治

高度経済成長が始まったばかりの1958年に創業した鐵光商事株式会社は、産業廃棄物の中間処理業者として大きな成長を遂げた。そして、現在、海外進出の計画が持ち上がっている。

あらゆる分野で環境への配慮が求められる時代、産廃処理事業者が担うべき役割とは?

同社の千葉謙治会長とそのご子息・勇治専務に、社会の映し鏡とも言うべき産廃業の過去、現在、そして未来についてうかがった。

 

 

 

 

 

鉄くずの買い付けと先代の死

廃棄物はその国の経済、文化、環境といったさまざまな要素を如実に反映する社会の映し鏡である。鐵光商事株式会社は産業廃棄物の中間処理業者として、まさに日本の社会の変容とともに歩んで来た。

創業は1958年、それは高度経済成長が始まったばかりの、貧しいながらも活気に満ちた時代であった。

 

「そのころは親父が鉄くずの買い付けをやっていました。私は大学卒業後の1972年からバイトのような形で手伝っていました。当時は『将来性のある商売だな』という印象でしたね」

 

そう語るのは同社の二代目代表取締役で現会長の千葉謙治氏だ。

戦後の焼け野原から劇的に発展を遂げた日本にとって、鉄は国づくりに欠かせない資源だった。そんな時代背景に後押しされるように、同社の事業も波に乗る。しかし、1978年、突如として危機は訪れた。

 

「親父が亡くなったんです。私は28歳でした。

この仕事は集荷や販路といったネットワークが大切な商売です。しかし、そうしたつながりがすべて途絶え、それから5、6年は食べられない状態が続きました。

得意先を獲得するために必死で営業を続けましたね」

 

 

ようやく獲得した一部上場企業との契約

その営業スタイルは「まるで押し込み強盗だった」と同氏は笑う。

 

「それこそ契約を結べるまで、100回でも200回でも同じ会社に押し掛けました。『また来たのか』と呆れられることもしょうっちゅうでした。

私が狙った会社は大手ばかりだったこともあり、なおのこと、どこの馬の骨とも分からない私のことなんて相手にしてもらえなかったんです」

 

取り引き先として大手に狙いを定めたのには理由がある。

当時の日本は海外から鉄くずを輸入するほど、需要に対して供給が追いついていなかった。つまり、販売先である鉄くずを原料に鉄鋼を生産するメーカーはいくらでもあった。

問題は鉄くずの確保だ。そして、同社のように人手のない零細企業が効率よく廃棄物を集荷するためには、一カ所で大量の残材を確保できる大きな工場や会社との契約が望ましかった。

 

「社員が数名の小さな町工場では残材の量は少量。私が狙ったのは大量に残材の発生する会社でした。営業に苦労する中で、ようやく一部上場企業との契約に漕ぎ着け、それから少しずつ得意先が増えていきました」

 

 

鉄くず事業から中間処理事業へ

1960〜1970年代は都市ゴミや産業廃棄物の増加が社会問題として顕在化した時代でもあった。

大量生産、大量消費型の経済が進む中で、各種の廃棄物や建築廃材は急激に増えていく。同時に社会問題となったのが公害だ。

急速な重化学工業化が進展した結果、工場から排出される有害廃棄物などにより水俣病をはじめとする公害病が各地で問題となっていた。

こうした課題を解決すべく産業廃棄物の処理責任や処理基準を明確化した廃棄物処理法が制定されたのが1970年のこと。同法では公害問題への取り組みとして国民の健康を保護し、生活環境を保全する目的が明示された。

 

「廃棄物処理法が制定されて以降、産廃処理は埋め立てや海洋投棄をする最終処分業、あるいは焼却や中和などを行う中間処理業が中心となりました。

しかし、経済成長に浮かれる中、世間の環境に対する意識はまだまだ低く、排出事業者もより安い産廃業者を選択するなど熾烈な価格競争が起こりました。

その結果、廃油を海に捨てたり、建築廃材を山に捨てたりする無許可業者の不法投棄が横行しました」

 

そうした中、鉄くずの買い付けから始まった同社の事業は産業廃棄物の中間処理業へと拡大していく。

 

「ある企業から工場内のすべての廃棄物を請け負って欲しいと頼まれたことがきっかけでした。近年、リサイクルという言葉をよく耳にしますが、鉄くずの買い付けは日本において、いわばリサイクル事業の走りみたいなものです。

天然資源の少ない日本にとって、我々は貴重な製鋼原料を供給する重要な役割を担っている、そんな自負を持っていました。

ですから、汚泥や廃油、廃プラスチック類といった産業廃棄物の中間処理業であっても企業としての社会的責任を果たすべく、環境に配慮しながら適切に処理をする、当時からそうした理念のもとで経営を続けてきました」

 

 

リサイクル事業への転換

その後、法整備が進むにつれ、世の中の廃棄物に対する適正処理は着実に進められていった。

しかし、1990年代に入ってからもバブル景気で湧く日本の社会は、依然として大量の廃棄物を排出し続けていく。

tekkou_yachiyo同社・八千代ヤード

1991年の廃棄物処理法の改正では、廃棄物の排出抑制と再資源化がその目的の1つに加わることとなる。

さらに、2001年には循環型社会形成推進基本法や資源有効利用促進法といったリサイクルに関する法律の制定・改正が行われ、従来の廃棄物処理事業はリサイクル事業、再生可能エネルギー事業へとその役割を拡大していった。

 

「鉄くずもそうですが、リサイクル事業には廃棄物の確保が欠かせません。そこで2000年代からは環境保全と資源の有効利用を意識した建造物やプラントの解体事業もスタートさせました。

そこで回収した廃棄物のすべてを有価物にすることは不可能ですが、9割近いリサイクル率を実現できるように、現在、努力を重ねているところです」

 

 

静脈産業が海外進出をする時代に

近年では製品の製造等を行う産業を動脈産業、その動脈から排出された廃棄物をリサイクル、あるいは適正に処分する産業を静脈産業と呼ぶ。

tekkou_shiohama同社・塩浜ヤード

日本は廃棄物を限りなくゼロに近づける「ゼロエミッション」のコンセプトのもと、大量消費型社会から脱皮し、循環型の社会・経済システム構築へ向けて歩を進めている。同社が創業した1950年代から比較すると産廃業界も大きく変容した。

 

「会社自体はまだまだ大きくしたいと思っています。だけど、それはもう私の仕事ではないとも思っています。私も歳をとりました。だから、ビジネスについては倅に任せることにしたのです」

 

2008年、同氏は会長職に退き、息子の勇治氏へとバトンを託すこととなる。

同氏はその後、「別事業として、持っていた土地にマンションを建設し、不動産賃貸業を始めました。現在は300世帯ほど賃貸を行っていますが、これからは3〜4年を目標に約1000世帯を達成したいと考えています」

 

勇治氏に将来の展望を尋ねると、海外進出について語ってくれた。

 

「東南アジアの工場の大型発電機や受電設備などの解体業務を請け負う話が進行しています。1年以内には現地へ視察に行く予定です。

近年、海外に工場の拠点を置く企業が増え、そうした企業は廃棄物処理で困っていることが多いんです。実際にどんな課題があるのか、現地ではどのように廃棄物の処理やリサイクルを行っているのか、そうしたことを調査することから、まずは始める予定です」

 

実は、海外進出を検討している日本の産廃処理業者はここ数年で増えている。その理由の1つは廃棄物の排出抑制政策が進み、廃棄物その物が減少傾向にあるためだ。

いっぽうで、かつて日本が経験した大気汚染や水質汚染などの環境問題は、急速に経済成長が進む新興国で顕在化している。

これまで日本が培ってきた環境保全や資源の有効利用といった循環型システムのノウハウは、そうした国々にとって大きなニーズであることは想像に難くない。

 

 

次の世代のために

ところで、勇治氏に少しいじわるな質問をぶつけてみた。生産と消費が経済活動の表舞台とするならば、廃棄物を取り巻くビジネスは経済の裏側だ。

そして、一昔前までは不法投棄に代表される負のイメージがつきまとっていた業種でもある。跡を継ぐことに抵抗はなかったのか。

 

「まったくありませんでした。朝の暗いうちから仕事へと出かける父の姿を幼い頃から見てきました。現在、私も自分なりにその背中を追いかけて頑張っているつもりです。

父には言ったことはありませんが、父が過労によって倒れたとき、仕事を手伝わなくてはいけないと強く思ったんです。それがこの業界に飛び込むきっかけでした。

私には今、3人の子どもがいますが、次の世代のためにもきれいな緑や美しい自然を残していきたいと思っています。私たちの仕事は、そうしたことに寄与できる素晴らしい職業であると思っています」

 

 

もはや産廃業に負のイメージはない。むしろ、経済活動によって必然的に生み出される廃棄物を適切に処理することで持続可能な循環型社会を実現するスペシャリストの仕事と言える。

同社は従業員30名の小さな会社だ。しかし、その肩には日本の、そして世界の未来を守る大きな意義が託されている。

 

オビ ヒューマンドキュメント

●プロフィール

千葉謙治(ちば・けんじ)氏…1950年、宮城県生まれ。1972年、日本大学商学部を卒業後、父親が経営する鐵光商事株式会社に入社。2008年、同社の会長職に就任し、現在に至る。

千葉勇治(ちば・ゆうじ)氏…1980年、千葉県生まれ。千葉商科大学を卒業後、工業系専門学校を経て、同社に入社。2008年より同社の専務取締役に就任し、現在に至る。

 

●鐵光商事株式会社

〈本 社〉

〒272-0031 千葉県市川市平田3-16-13

TEL:047-318-9527

http://www.tekko-syouji.com

 

〈塩浜SCセンター〉

〒272-0127 千葉県市川市塩浜2-25-2

TEL 047-701-0898

〈八千代SCセンター〉

〒276-0127 千葉県八千代市村上647-1

TEL 047-489-6606 

 

 

 

 

◆2016年8月号の記事より◆

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