オビ 企業物語1 (2)

育てた社員の活躍が何よりの心の財産

起業、上場、代表退任を越えて、中小企業のためのマーケティング支援をめざす

株式会社パル/代表取締役社長
株式会社クロール/代表取締役
髙野 研氏

オビ ヒューマンドキュメント

OLYMPUS DIGITAL CAMERA株式会社パル/代表取締役社長・株式会社クロール/代表取締役 髙野 研

「成功」は簡単ではない。が、過去の成功に囚われず新しい道に挑むのは、更に難しいことではないだろうか。株式会社パル代表取締役社長・髙野研氏は、その難事を乗り越えた数少ない1人だ。

20歳でIT業界向けの人材派遣会社スリープロ株式会社を創業し、2003年には東証マザーズに上場。しかし、内部問題を解決するために、2010年に代表を退任。築いてきたものを全て手放すことになった。

現在は株式会社パルと株式会社クロールの2社を率い、中小企業のマーケティング支援分野で活躍する、その生き様を伺った。

 

 

 

 

DMとデータを融合させた事業展開を武器に

20歳で起業、20代で上場、そして退任へ 髙野氏は金沢生まれの神戸育ち。起業のきっかけとなったのは、1995年1月、立命館大学在学中に被災した阪神・淡路大震災だったという。家族や家に直接の被害はなかったものの、大学の授業が中断するなどの影響が出る中、「自分で何かしよう」との思いから、起業を決意。後の株式会社スリープロの前身となる事業を立ち上げた。

 

「業務の内容はIT業界向けの人材サービス。20歳で創業しましたが、ITバブルと言われる1999年~2000年頃まで、業界そのものがずっと上り調子だったので、その波にのって順調に成長し、2003年に東証マザーズにも上場させていただくことができました。最盛期はパソコン教室のアビバをグループに加えて、従業員も1000人を超えてやっていました」と髙野氏はさらっと振り返るが、その成長速度は目を見張るばかりで、眩いばかりの才気が窺える。

 

そのままいけば大企業の経営者として、まったく違う道を歩んでいただろう髙野氏だが、思わぬ運命のいたずらから風向きが変わったのは、2008年のリーマンショックの後、株価も景気も回復が遅れる中で、会社の資本政策上、髙野氏が会社の株式を買い増しせざるを得ない状況が発生した時だった。

 

融資してくれる銀行がなかなか見つからない中、唯一融資に乗り気であった日本振興銀行の融資を受けたところ、その取引が「不適切な取引」ではないかと疑われてしまったのだ。

 

「当時日本振興銀行には、いわゆる循環取引だとか粉飾決算だとかをグループの参加企業にやらせているんじゃないかという疑惑があり、その一社としてスリープロも疑われてしまったわけです。本当は、融資を受けたのは私の個人会社でスリープロとは何の関係もなかったんですが、スリープロ自身に悪い評判が立つようになりました。

上場会社としてはそれを放っておくことはできません。この事態に幕引きするなら代表たる私の退任が一番早い。退任して、会社を引くことでケジメをつけた、ということです」

 

こうして2010年、35歳でトップの座を降りることになった。

 

 

自身の行動と育てた社員に支えられ前へ

上がり調子の時は追随していても、落ち目になった途端手の平を返したように接してくる人はどこの世界にもいるものだ。

髙野氏が退任する時、会社内部はクーデター状態で、髙野氏以外の役員全員で髙野氏を追放する動きを見せ、前東京都知事のように「会社の金を使い込んでいるんじゃないか」との疑惑さえ持ち上がったという。それでも、その時のことを語る髙野氏の表情に悔しさや恨みは見られない。それは一体、なぜなのだろうか?

 

「まず、私自身会社から何か取ったとか、くすねたわけではないので、何もやましいところはありません。退任の後、第三者委員会や調査委員会も開かれましたが、結局そういうものは何もなかったという結果でした。逆に言うと、会社を救うために辞めたというところではあるので、そこに葛藤はないと言えばないんです」と言う髙野氏。

 

それでも、自分の手で育てた会社を手放すことに、思い残すことがまったくなかったわけではないだろう。だが、「まあよかったな」と思わせてくれたのは、自身が採用し、育ててきた社員の姿だったという。

 

「私の退任後、私が抑えていたいろいろな問題が噴出したこともあり、会社はずいぶん苦労しました。そこをちゃんと乗り切って、今も会社を支えていてくれるのは、私が採用して育ててきた社員たち。当時から比べても、今は営業利益では過去最高に達しているし、東証マザーズから東証2部に上場替えし、会社としてはもう一度成長軌道に乗りなおしました。そこまで見届けることができたので、私自身も一旦けりをつけて、新しいことをやろうかと思うようになったんです」

 

そういう所に舞い込んできたのが、株式会社パルの社長就任の話だった。

 

 

新たな出合い

株式会社パルは愛知県に本社を置く、ダイレクトメール(DM)を使った中小企業の販売促進を仕事とする会社だ。髙野氏が同社と出合ったのは2011年、東日本大震災の影響で会社の業績が落ち込む中、経営改善のために手を貸してほしいと当時の社長から頼まれたのがきっかけだ。

 

コンサルタントとして参画することで合意し、約4年間経営のアドバイスをしてきたが、2014年7月のベネッセ名簿流出事件で「ダイレクトメール=悪者」というイメージが作られてしまったことで、さらに業績は厳しさの一途を辿る。

 

そこで現社長とオーナーから、非常勤のコンサルタントではなく、社長として会社の舵取りをしてくれないかとのオファーが舞い込んだのだ。 それは奇しくも、退任後も株式売却先の投資家の下で働きながら、スリープロの行く末を見守ってきた髙野氏にとっても、同社が成長軌道に乗りなおしたのを見届け、違う分野でチャレンジしようと思った矢先のことだった。

 

 

人間的な企業こそ評価されるべき

それまで手がけてきたスリープロとは、会社の規模も違えば事業内容も全く異なる。それでも、このオファーを引き受けた決め手は何だったのだろうか? 「正直、お引き受けした時はどうやったら上昇軌道に乗るかはほとんどわからなかった」と髙野氏は話す。

 

「2015年3月に頼まれて4月1日に就任したので、考える間もなく引き受けた感じです。具体的に心積もりはなかったけれど、単純に言うと、それまで同じ会社なのに社員同士で足を引っ張り合ったり、泥仕合をしたりというのをずっと見てきて、自分自身もそういう憂き目にあってきました。

 

けれど、このパルという会社は元々愛知県の田舎で生まれた本当に小さな会社で、社員にそういうどろどろした争いもない。その分、東京のような洗練されたビジネスモデルもありませんが、ただ目の前の仕事を一生懸命にやっている。それが私には純粋に見えましたし、そういう環境で仕事をすることが人間的に健全だと思ったんです」

 

誰かが手を抜いているわけでも、サボっているわけでもないのに業績はしんどい。そういう中小企業は全国にごまんとある。髙野氏は「そういう会社こそきちんと評価されてしかるべきだ」という。

 

「そのためにいい仕組みやお客さんを僕が東京から運べばいい、と。そう思ってお引き受けした次第です」

 

業績は、いきなり大幅回復とはいかないものの、新しいことを取り入れながら徐々に業務拡大をすすめたことで少しずつ回復。1年目を終えて、確かな手ごたえを感じている。

 

 

DMとデータの融合が鍵

そこで大きな役割を果たしているのが、株式会社パルに次いで髙野氏が2015年11月に社長を引き受けた、クローリング(ロボット型検索エンジンを使ってWebページ上の情報を複製・保存する技術)を使ったデータベース作成を主な事業とする株式会社クロールの存在だ。

 

株式会社クロール_登記簿オンライン▲クローリング技術を活用し、不動産登記情報、商業・法人登記情報などのWeb取得を行う「登記簿オンライン」(http://toukibo-online.com/)を提供している

もともと株式会社クロールの前社長と髙野氏は10年来の親交がある仲。そろそろ隠居を考えていた前社長に対し、髙野氏が同社を譲ってもらえないかと切り出したのがきっかけで、2015年11月に同社の代表取締役にも就任した。

 

今後の目標は、マーケティングに関わるDMとマーケティングの基礎となるデータの良さを融合し、中小企業のマーケティングを支援すること。両社を一体とした事業展開が大きなポイントだと髙野氏は語る。

 

「月並みですが、いいものは持っているのになかなか売れない、売るための方法がわからないという企業さんは多いと思います。それをパルのDMとクロールのデータベースでうまく支援して、一緒に儲かるビジネスをやりたいというのが一つの思いとしてはありますね」

 

従来DM会社の戦略といえば、量を増やすことに始終していた感があった。しかし、発注主が何より求めているのは、投資に対するリターンだ。

 

「通数をできるだけ減らし、高い効果が上がるような、そういうマーケティングを提供できるような会社にパルを生まれ変わらせたい。そのための武器がクロールです。例えば地方で小規模な農作物を作られている農家さんや、小さいけれどいい商品を作っているメーカーさん、そういう商品を広く認知させるアクションの部分を、我々が担えるとすごくおもしろいなと思うんです」

 

大事なのは人を育てること その目標を達成する上で、最も大事にしているのは「人」だ。

 

「オーナーからは上場させてほしいと言われているんですが、正直難しいかな……と思っている面はあります。けれど、地方の優良会社として脚光を浴びるぐらいの会社にはしたいと思いますね。前職を辞めた今でも非常に嬉しかったのは、スリープロで採用し育てた社員がその後独立して、日本経済新聞の1面で紹介されているのを目にしたこと。自分が辞めた後も、そうやって頑張っている人材を育てられたことは私の誇りです」

 

髙野氏の原点がここにあった。

 

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株式会社クロール_エントランス

株式会社クロール(エントランス)

●プロフィール
髙野研(たかの・けん)氏…1975年5月、石川県金沢市生まれ。立命館大学中退。神戸市で育ち、20歳の時にスリープロ株式会社を設立、2003年に東証マザーズに上場を果たす。2010年代表退任。売却先投資家の下での勤務を経て、2015年4月に株式会社パルの代表取締役社長、同11月に株式会社クロールの代表取締役に就任。現職。

 

●株式会社パル

〈本社〉 〒447-0866 愛知県碧南市明石町49-15

TEL 0566-55-4605

〈東京本社〉 〒108-0014 東京都港区芝5-13-15 芝三田森ビル

TEL 03-6370-0667

http://pal-dm.com/

 

●株式会社クロール

〒108-0014 東京都港区芝5-13-15 芝三田森ビル

TEL 03-6680-9668

http://www.crawl.co.jp/

 

 

 

 

 

◆2016年8月号の記事より◆

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