オビ 企業物語1 (2)

江戸時代から続く製薬会社が医薬品事業を止め、茶カテキンなどの天然植物成分の原料メーカーになった理由とは?

◆取材・文:加藤俊オビ ヒューマンドキュメント

白井松新薬株式会社 中谷榮志社長

我々の信念は人々の健康に貢献すること

お茶に含まれる「茶カテキン」などの天然植物成分を用いた消臭剤や抗菌剤が巷にあふれる昨今。そうした大手メーカー各社の製品に植物成分の「原料」を提供する企業がある。

元は最終製品を作る医薬品メーカーだったその企業の歴史は古く、ルーツは江戸時代にまで遡れる。なぜ最終製品を作ることを止め原料供給に切り替えたのか、そこにある物語を追った。

 

茶カテキンが秘めた大きな可能性

茶カテキンは、言わずと知れた緑茶の茶葉に含まれるポリフェノールの一種。古来より養生の薬として珍重されてきたお茶は、飲む以外にも様々な活用がされてきた。例えば、使い終わった茶葉を除菌剤がわりに畳に蒔いて掃除をするなどはおばあちゃんの知恵袋的な話として有名だ(埃が舞わなくなるためでもある)。

ただ、そうした効能を科学的に実証するデータは長らくなかった。「白井松新薬株式会社」の中谷榮志社長が目をつけたのはそこだった。

 

1980年初頭、同社が実際に分析してみると、カテキンやポリフェノールなど様々な成分が含まれており、どう作用してどういう形で体に効果を及ぼすのかが分かった。それこそガンの予防効果から抗老化作用、消臭作用まで幅広い効能を持っていた。

 

中谷氏はその大きな可能性に魅了され、独自技術で還流抽出の手法を開発。現在では抽出手法の特許も取得しており、アメリカやヨーロッパの一部機関から許可を得られるまでになった。当時について「食品事業としての試みはいくつか存在していたが、医薬品や医薬部外品としての事業は他にありませんでした。自然なものを活用しているという点は、唯一我々だったのです」と振り返る。

 

300年の歴史を持つ白井松新薬

大正13年(1924年)に大阪市今橋で13代目白井松之助により、産声を上げた白井松新薬株式会社。江戸時代の享保元年(1716年)に白井松之助が立ち上げた薬種商が前身で、小間物屋として化粧品から始まり簪まで製造するなど江戸時代には多岐にわたる事業を展開してきた。その歴史は今日まで連綿と続き、同じ「白井松」を冠する白井松器械株式会社なども同グループなのだという。

 

白井松新薬の病院向け医療用薬品事業は昭和初期には多くのヒット薬剤を生んでいる。例えば、文豪・谷崎潤一郎の晩年の作品『鍵』(昭和31年中央公論社)には以下の描写が見られる。

―午後一時児玉さん来診。体温六度八分に低下。血圧は再び上がる傾向を示す、最高一八五、最低一四○。そのためネオヒポトニン注射。今日も睾丸の検査がある―

五十六歳の夫と四十五歳の妻との屈折した性衝動を日記に露悪的に吐露したこの小説で、医者が病に伏した夫に「ネオヒトポニン」を打つのだが、この血圧降下剤こそ白井松新薬の製品なのだ。

 

現在の社長中谷氏は、商社に20年間在籍した後、妹が先代の社長と結婚していた縁で入社。新しく創設された薬粧部で取締役本部長という役職に就き、4年の期間を経て社長に就任した。

当時は病院向けの医療品しか製造していなかったようだが、現在では『薬粧部』『食品部』『アポテック部』から成る3つの事業部を展開し、大手メーカーが製造・販売する消臭剤や抗菌剤等の原料提供や海外の食品や酒類の輸入販売、ドラッグストアー等を通じて、健康に役立つ医薬品や健康食品の提供をしている。

 

医薬品の開発を止めた理由とは?

白井松新薬株式会社 中谷榮志氏(1)

中谷社長「人間の健康に貢献をする。快適な生活のための可能性を追求する。だから安全な自然植物から作った原料を世の中に普及させる。これが白井松新薬株式会社の理念です」

しかし、医療用薬品を世に提供していた同社が、なぜ事業転換を行わなければならなかったのか。中谷氏にインタビューした。

 

―なぜ病院向け医薬品の開発を止め、天然植物の原料を扱うようになったのか?

我々も最初の頃は、最終製品まで手がけていました。ただ、中小企業にとっては最終製品を扱う難しさがあるのです。時代とともに安全性を実証するための実験をより広範に行わなければならなくなりました。医薬品の製造過程には当然、副作用の問題から安全性の問題まで対処する必要があり、組織力や金、人材が必要になります。

つまり会社側としてよほどの大企業ではない限り、投資等が重荷になるようになっていったのです。それにある一定期間を過ぎたら小売店から売れ残りが返品されてしまうこともあります。

中小企業はそういったリスクを負いきれません。原料の供給であれば、取引先の商品が売れ残っても返品はありませんから。

 

―長いこと医薬品メーカーをやってきているのだから投資のかからないジェネリック医薬品メーカーとして進むという道もあったと思われるが…?

ありましたが、同じ成分で同じ効能を謳っているけれども厳密には同じ薬ではないし、薬としての安定性が保持できるのかわかりきらないところがあったのです。

それであれば我々は独自の道で行こう、何もそういうところで競争することはないと。それで人々の健康に貢献するとは何なのかをより広い視野で考えました。その果てに医食同源だから口に入れるものはいくらでもあると思い至ったのです。

 

―捉え方が違ったと。

そう。もともと私は薬屋ではなく商社マンでしたから。大学も経済学部出なのです。薬学をやっていたらまたちょっと違った経営判断を下したかもわからないですけど。確かにあのときは業界でも騒がれましたからね。でもあの時の決断があるから、今もこうして生き残っている。

 

医療用薬品事業を田辺三菱製薬に製造権・販売権とも承継譲渡

1999年、その頃取引先である旧東京田辺製薬が三菱化学と合併して三菱東京製薬(現:田辺三菱製薬株式会社)となり、資本や組織の新体制が整えられつつあった。それは同社の製品がどうなるのか不透明な状況になったことを指していた(旧東京田辺製薬への売り上げ依存度は一時30%近くを記録したものの下がる傾向になっていた)。

そこで中谷氏は同年、田辺三菱製薬に医療用薬品の製造権や販売権を承継譲渡することを決心する。もちろん簡単にいくような話ではなく、そこには多くの苦悩があった。

 

―社長に就任してから、これまでに苦労したことは?

医薬品の事業から切り替える時ですね。事業とともに医薬品部門の従業員を手放さなければならなかったからです。多くの従業員に他社の医薬品メーカーに移ってもらいましたしね。

白井松新薬株式会社 (4)

竹由来の成分を使用した除菌剤は、食品や食器にも使用が可能

 

―医療用薬品事業を手放し、天然植物成分を扱う『薬粧部』が中心となった。お茶以外の天然植物成分、竹や月桃はどうやって探したのか? 

当社からというよりは、最近は企業の方からお話を頂くことが多いです。それで一緒に開発をしましょうと。

 

―中谷社長が白井松新薬に入社した頃、お茶だカテキンだと世間的に騒ぐ状況は何もなかったのか?

今から30年近く前の話でしたからね。そういった点では、当社が今日の健康志向の高まりに微力ながらも影響を与えたと自負しています。

 

最初のカテキンを応用した製品はいつ?

帝人さんの「消臭ワタ」というこたつの掛け布団とか布団製品が最初です。ワタに当社の抽出したカテキンとかポリフェノールをつけたもの、それが最初のヒット商品になりました。もう一つはチューインガムやキャンディといった食品関係です。それこそ色々ところにご利用頂きました。

 

お茶としてカテキン何パーセント以上と謳っているお茶はある大手化学メーカーしか出していない。あれは普通に煎じたら出ないようなお茶のカテキン量が入る特許をそのメーカーがたくさん取っているからと聞いたことがある。応用特許というか。カテキンが何パーセント入っているというような特許を全部おさえているので他のメーカーが作れないと聞いているが。

そうですね。当社が提供している企業もあります。また、当社が提供する原料としては、ペット用消臭製品にも幅広く活用頂いております。

 

―最後にこれまで幾度の困難を乗り越えてきた、御社ならではの強みとは?

当社の強みは「バカ正直」なところ。まさに我々がいつも話しているのは近江商人の「三方良し」の心得です。売り手良し・買い手良し・世間良しの三方良しの精神が、近江の地、滋賀の研究所をもとに全社員へ根付いていると思っています。

 

世の中に多大なる貢献をしている独自技術

白井松新薬株式会社 (3)

オフィスなどに置かれる観葉植物にも、消臭剤として白井松新薬の原料が吹きつけられている

今日、消臭の効能を活かす製品は一般的な消臭剤だけではなくなった。法人の事務所に見られる観葉植物やエアフィルターにも同社の原料が吹きつけられているという。

また、約10年前からノーベル賞候補に挙がっている光触媒の権威・藤嶋昭氏(化学者)から連絡を受けて共同研究も実施。主に技術の開発関係に携わり、製品に活用する「安全・安心」な原料を生み出すことができたという。

 

白井松新薬の市場は国内だけに留まらず、取引会社との関係からドイツやイタリアなどを中心にEU諸国へ向けての輸出も行っている。特に昨今はおむつ関連商品が随分と売れているようで「高吸水性ポリマー」、いわゆるSAP(スーパーアブソーベントポリマー)というおむつ関連や生理用品の原料を手がけている。

同製品は化学品製造企業などを通じて世界中に提供されている。吸水ポリマーの中に、消臭関連の技術が活かされているので、匂いを漏らさない仕上がりになるということだ。

 

 

大手メーカーに原料を提供することで安定した経営を実現することができた同社。「食」の喜びや楽しみ、そして医薬品や健康食品などを通じて、人々の健康で豊かな生活に貢献し、清潔で快適な生活のための可能性を追求する。これが同社の理念だ。この「人々の健康に貢献する」という視座に立ったことで、病院向け医薬品事業に固執することがなくなった。中谷氏が語るこの言葉には多くの企業が学ぶべきヒントがある。

 

現在、白井松新薬ではスペイン、イタリア、チリといった国からワインなどの輸入事業も手広く手掛けている。多くの苦難を乗り越えながらも自身の信念を貫き、大胆な舵取りを行なってきた中谷氏。気丈な決断を下した者にのみ与えられる美酒がそこにはあった……。

 

オビ ヒューマンドキュメント

中谷榮志氏…1940年9月大阪府生まれ。同志社大学経済学部卒業後、株式会社大沢商会を経て、白井松新薬株式会社に入社。代表取締役社長として現在に至る。

 

会社概要

白井松新薬株式会社

所在地:東京都中央区京橋2丁目7番14号

TEL:03-5159-5700

http://www.shiraimatsu.com/

 

2016年1月号の記事より
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