オビ コラム

よみがえる砂川の亡霊

◆文:加藤俊

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これだから歴史は面白い。砂川の亡霊がよみがえった。6月4日に行われた衆院憲法審査会であがった憲法学者の声に端を発して安保法制が「違憲」との見解が、今このタイミングで示されたことが騒がれている。一方で政府側が「合憲」の根拠に持ちだしているのが、砂川闘争の最高裁判決である。憲法判断が一刑事事件の判決の傍論でされていたことにも驚くが、一審と最高裁で判断が分れたことが今日の混迷を生んだという影響の大きさを思う。

砂川闘争の学生側の指導者の一人、小島弘氏のインタビューが連載中のこのタイミングというのは、小誌的には美味しいが、日本の置かれた立場を考えると暗澹たる気持ちになる。

砂川闘争の詳しい経緯は、小島弘氏のインタビューをお読み頂くとして、裁判の過程に少し触れておく。

 

米軍が立川基地の砂川町などへの拡張を行おうとしたところに、砂川町の地主と全学連の学生達が中心となって繰り広げた反対運動が「砂川闘争」である。裁判は1957年7月に反対派の学生が基地内に立ち入ったとして、日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反(施設または区域を侵す罪)でスタート。

公判では、学生ら被告人がそもそも安保条約や米軍の駐留自体が憲法に違反しているから無罪と主張。それで下された判決が有名な「伊達判決」と呼ばれるもので、伊達秋雄裁判長が憲法9条に駐留米軍は違反するとして、全員無罪の判決を出したものだった。

ところが、最終的には1959年12月に出された最高裁で地裁判決は破棄差し戻し。差し戻し審では有罪(罰金2000円)となって確定。…というのが経緯である。

はたして共産党は、「米国の圧力で、司法の独立を投げ捨てた対米従属の最たるもの」と最高裁判断を見ているが、肝心の砂川闘争時には地主と学生からそっぽを向かれて蚊帳の外に置かれていたとは小島氏の弁。

 

さて、在日米軍が憲法9条2項で保持を禁じている「戦力」に該当するのか、しないのか。ことこの段階になっても合憲か違憲かの判断に引き摺られるとは、そんなことどうでもいいだろうと言ったら怒られるのか。

 

しかし、中国が台頭する情勢のもと顕在化するリスクに対して理想論を議論している時間が有るとは思えない。

砂川の亡霊を鎮魂するのは誰だ。憲法学者でも裁判官でも政府でもない、手痛い中国の一撃でなんてことにならないことを祈る。

オビ コラム

 

2015年7月号の記事より
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